失ったモノはあれど④


 暗闇だった。


 光源となるものは何もなく前も後ろもわからない。地面に立っているのか、そもそも地面があるかどうかもわからない。


 ピシッ――――――ピシッ――――――。


 何かがひび割れるような音が聞こえる。一回一回の間隔は長い。しかし一定の間隔でこの音が聞こえてきた。


 それが自分にとって何か大事なモノが壊れていく音なのだと気がついたが、不思議と焦りはない。


 だって、今までずっと、いろいろなものを壊してきたのだから。


 ――殺してしまった人よりもより多くの人を救う。もう涙を流す人がいなくなるように。もう傷つく人がいなくなるように。


 黒神輝の誓い。アルフィーに出会ってから彼女と共に抱いた信念。


 その誓いを自ら折った。彼女が殺してくれた〝神殺し〟に戻り、多くの人間を殺めた。


 アルフェリカを救うため。夕姫を守るため。


 そのため仲間たちも裏切った。この信念に共感してくれて力を貸してくれていた大切な仲間たちを裏切った。


 穏やかな日常も捨てた。暖かな陽だまりの毎日に背を向けて荒涼と果てた外の世界へと旅立った。


 そして黄金郷に辿り着き、また多くを傷つけた。


 誰かを助けるためにそれ以上の誰かを傷つけている。血を流させ、涙を流させ、多くの不幸を生み出して、ほんの一握りの者たちを救う。


 自らに問う。


 ――これで良かったのか。


 良くはないと答えた。


 ――ならばどうすれば良かったのか。


 どうすることもできなかった。全てを守るには力が足りなさすぎる。守れるものは限られていた。守るものを選んで、それ以外は切り捨てるしかなかった。そうしなければ大切なものが守れない。


 ――ならばそれは正しいことではないのか。


 正しいことだ。けれど正しいだけだ。黒神輝が夢見ていたものとは程遠い。


 ――それはどうして。


 人間を殺した。大勢を殺した。戦火の海を作り出し、破壊と絶望と恐怖を生み出した。


 ――けれど救えたものはあったのではないか。


 あった。抑圧されていた転生体たちは自由を取り戻した。


 ――それだけか。


 それだけだ。


 そう。たったそれだけだ。少数を救うために多数を切り捨てた。前回も今回もそうすることでしか苦しむ者を救えなかった。


 これではあまりに意味がない。


 ピシッ――――ピシッ―――――。


 ひび割れていく。自問自答を繰り返す度にどうしようもなく壊れていく。


 大切な何かが欠落した。


 ――救いたいモノすべてを救うことはできないのか。


 できない。できないことが証明された。同じやり方では同じことを繰り返す。


 ――ならばどうする。


 やり方を変えるしかない。


 ――どのように。


 すべてを同時に救うことはできない。だから選ぶ。最初に救うべきモノを選択する。


 ――人間、転生体、神。対象は様々。では手始めに何を救う。


 決まっている。すでに実行している。前回も今回もそれに従って結果を出していた。


 ピシッ――ピシッ―――。


 音が加速していく。黒神輝の誓いを砕いた。仲間の信頼を裏切った。殺されたはずの〝神殺し〟を生き返らせた。


 何かと理由をつけて、自分に課したはずのルールの悉くを捻じ曲げてきた。


 今回も同じことをするだけ。


 ピシッ、ピシッ――バキンッ。


 音の質が変わった。


 一つの感情を失った。大切な想いを忘却した。そのことすらも忘失した。


 その中でもなお残ったモノ。残った想い。


 目的は変わらない。目指す場所は今までと同じ。


 人間と神が共存できる世界。


 そのために必要なもの。


 すでに共存を体現している者たち。彼らが安息を享受できる場所がこの世にはどこにもない。


 転生体の居場所を創る。彼らだけの楽園をこの世に創造する。


 人間の居場所、神の居場所はその後だ。


 まずはそこからだ。


 一際大きな破砕音と共に、暗闇の世界が粉々に砕け散った。


 同時に多くのモノを失った。砕け散ったそれらはもう元に戻ることはないのだと理由もなく確信した。


 構わない。


 我欲など自分にはあってはならないのだから。


 






 

 目が覚めた。飛び込んできた光に目が眩むがそれは一瞬だけ。


 思考は驚くほどクリアだ。頭に痛みはない。眠っている間に見ていた夢のことも鮮明に思い出せる。


 そのほかのことはどうだろうか。


 気を失う前は何をしていたか。


 王の間で【世界の叡智】クロニクル・オブ・ザ・アカシャを過剰行使して倒れた。


 自分は誰か。


 黒神輝であり〝神殺し〟ブラックゴッド


 大丈夫。思い出せる。


 もっとも、気を失う前の記憶は虫食いだらけで断片的にしか思い出せない。思い出せる記憶も、まるで他人の物語を見ているようで、自

分のものだという実感が湧かない。


 目的は。


 人間と神が共存できる世界の創造。そのためにまずは転生体の居場所を作る。


 問題ない。これさえ忘れなければ自分の過去が欠落していようと構わない。


 身体は動く。手足に違和感はない。身体が気怠けだるいが、これは長時間眠っていた弊害だろう。



「そもそも、俺はどれくらい眠ってたんだ?」



 関節を軋ませながら輝はベッドを降りようと上体を起こした。


 ちょうどその時、部屋のドアが開かれて純白の少女が姿を見せた。



「黒神さん!」



 純白の少女は輝と目が合うと翡翠の瞳を大きく見開きながら、思わずといった様子で輝の名を呼んだ。


 彼女は――レイ。レイ=クローク。極度の男性恐怖症で異性とまともに話すことができない転生体の少女。彼女が男性恐怖症を克服できるようにティアノラに頼まれて協力していた。


 大丈夫。ちゃんと覚えている。ティアノラのことも忘れていない。


 レイは輝に駆け寄るとその手をしかと握りしめた。その表情は晴れやかで輝の目覚めを心から喜んでいるように見える。


 嬉しいことだが、輝が覚えているレイは異性に対してこのような表情を浮かべられる娘ではなかったはずだ。彼女から手を握ってくることなどあり得なかった。


 もしかすると直近の記憶にも欠落があるのかもしれない。



「ああ、よかった。本当によかったです。もう目覚めないのかと思っていました」


「レイも無事でよかった。俺のせいで怖い目に遭わせてしまって悪かった」


「いいえ、いいえっ、謝罪など……黒神さんが目を覚まして下さっただけで、それだけで充分です」



 手を握り締めたままレイは熱っぽく輝を見つめた。


 翡翠の瞳に見つめられて輝は何も感じないことに気がつく。レイに触れられて、見つめられて、自分の身体が何も反応しないことが不思議だった。



「レイ、【魅了】の力をコントロールできるようになったのか?」


「いいえ。その点に関しては以前と全く変わっていません。これはコントロールできるものではありませんので。ただ男性恐怖症はかなり改善しました。これも黒神さんが助けてくれたおかげです」



 見惚れるほどの微笑みを浮かべるレイを見ながら、輝は自身の変化について得心した。


 壊れたのだ。おそらく三大欲求の一つ。性欲や愛欲の類が。


 別に構わない。自分には必要のない欲求だ。むしろレイの【魅了】が完全に効かなくなったのはありがたい。



「レイが頑張ったからだよ。正直見違えた。出会った時とはまるで別人だな。今の笑っている顔の方が断然可愛い」


「そ、そんな……ありがとう、ございます……」



 褒めるとレイは紅潮して両手を頬に当てた。今の話し方は改善前に似ているなと輝は思った。



「でも改善したとはいえ、あまり愛想を振り撒きすぎないようにな? 【魅了】がコントロールできないなら今までよりも寄ってくる男は増えるだろうからな」



 それがきっかけでまた以前に戻ってしまったら元も子もない。


 輝の忠告にレイは嬉しそうに声を弾ませた。



「大丈夫です。もう以前のように怯えるだけではありません。ちゃんと自分の身は自分で守れるようになりました。もう誰にも私の肌を許しません。で、でも……黒神さんとなら、その……スキンシップくらいなら……」



 もじもじと恥じらう純白の乙女。その様子を前にして、よくここまで前に進めたものだと輝は感心した。一歩どころか十歩二十歩と前進している。


 今度は男を手玉に取る魔性の女にならないように気をつけてもらわないといけないかもしれない。



「それよりも俺が眠っていた間のことを教えてくれないか?」


「はい」



 輝が眠っていた六ヶ月間のことを輝はレイから聞いた。ロギーヌやアレグラたち王家の人間は全て命を落としたこと。都市の被害状況。情勢。貴族や住民の不満や感情。


 途中、部屋に入ってきた看護師に輝が目覚めたことをティアノラに伝えてもらうように頼んだ。しばらくして部屋に駆け込んできたティアノラ、イリスからも都市の状況を聞いた。


 話をしている間イリスはずっと口を閉ざしていたが、向けられた眼差しには明らかな非難の感情が含まれていた。


 少し遅れてアルフェリカが部屋に飛び込んできた。彼女は顔を合わせるなり輝の胸に飛び込んでわんわん泣いた。


 輝が眠っている間、アルフェリカは『鋼の戦乙女』アイゼンリッターや友好覚醒体たちと、神の力を悪用する転生体や窃盗強盗の犯罪に手を出す人間を取り締まって治安維持に努めていたらしい。


 ずっと気を張っていたのだろう。輝の前以外ではいつも気丈に振舞っている彼女がレイたちの前で泣きじゃくるくらいなのだから相当不安な日々を送っていたに違いない。


 アルフェリカを守ると言っておきながら、その彼女を不安にさせるなど自分の不甲斐なさに呆れるしかない。


 しかしそれもここまで。


 これからアルフェリカには隣に居てもらう。レイにもだ。それだけではない。ティアノラにもイリスにも、この都市に住む転生体たちにも、みんなに協力してもらう必要がある。


 状況は把握した。ならば実行するのみ。


 黄金郷を理想郷に作り変える。

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