サキュバスとドスケベボーイ

「ペイ、見せて」


 石のように固まる二人の方へとウマオカは無造作に近寄ってきて、キヨラにそう言った。

 ビクビクしながらキヨラがそれを差し出すと、ウマオカは取り上げるような動作で受け取った。


「これで全部?」

「は、はい……」

「ふーん……」


 ウマオカはペイの表面をじっと見つめつつそう言うと、黙り込んだ。

 そうして何かを考えているのだろうか。というか、一体それを見て何を思っているのだろうか。

 輝きというものがまったくない漆黒が広がるその目と、感情の色がまるで浮かんでいない表情からは何も読み取れそうになかった。


「な、なあ……もしかして、あいつが……」

「はい……私の、というか父親の借金の取り立てを担当している借金取りのウマオカさんです……」


 とはいえ、ウマオカがそうして黙り込んで動きを止めていること自体は、その間にこっそりと会話をするのに好都合だった。

 平助がウマオカに届かないくらいのひそひそ声でキヨラに尋ねると、キヨラも同じくらいの声でそう返してきた。

 それを聞いた平助は、再びちらりとウマオカの全身を眺めてみる。

 しかし、それで相手の印象が変わるわけもない。やはり、どこからどう見ても。


「ガチガチの極道じゃねえか!」

「えっ、高利貸しって普通そうなんじゃないですか?」

「確かにそうだけども!」


 ツッコミに対して不思議そうな声でそう応じるキヨラに、平助もそれ以上反論しようがなかった。

 確かに、言われてみればそうである。

 しかし、平助の方は流石にもう少しマイルドな見た目のお方がやってくるものだと勝手に想定していた。そうであって欲しかった。

 こんな外見からゴリゴリの本職を相手にする覚悟なんてとても固まっていない。

 無論、いざとなったら自分も一緒に頭を下げるという約束を反故にするつもりはない。キヨラを見捨てることは絶対にしない。

 だが、そうは言っても二人で頭を下げたところで、こんな相手に果たして話が通じるのかどうか。

 それどころか相手の癇にさわり、酷い目にあわされるかも。

 具体的なものは避けつつも最悪の想像をしてしまい、平助は震え上がる。


「あのさあ」


 そんなところにまた唐突に声をかけられたものだから、思わず心臓が止まりそうになった。


「ひ、ひゃい!」


 キヨラも似たような感じだったのだろうか。二人揃って妙に裏返った声で返事をしてしまう。


「お前ら、本番やってねえだろ?」


 そんな二人の態度を特に気にとめる様子もなく、ウマオカはそう訊ねてきた。

 問い詰めたり、咎めているような感じでもないどこまでも平坦な声であったが、静かな威圧がそこからは感じられた。


「ど、どうしてそれを……」

「勘でわかる。悪魔の勘でな」


 キヨラの返事に被せて、ウマオカはそう言った。

 それは冗談なのか本気なのか。その見た目でわかりにくいことを言わないで欲しい。

 二人は反応に困るしかない。


「つーか、この公園に入ってきた時からお前らのことはしばらく監視してた。日付変わったその瞬間に取り立てるつもりだったからな。さっきまでのことも全部見ていた。あの時に出てきただろう量の精気しかここには入ってねえ。やることやってりゃこんなもんじゃねえはずだ」


 結局判別がつかない内にウマオカは続けてそう言ってきた。


「…………っ」


 それに対してどういう返事を返せばいいのかわからず、二人は黙り込む。

 しかし、ウマオカの方もどうやら別に返事は求めていなかったらしい。

 特にそれを咎めてくることもなく、感情の読み取れない冷たい顔のままであった。


「――――!?」


 そこから、今度は何故かふらりと平助の方へと近づいてきた。

 そのままじろじろと、その全身をつぶさに観察するように平助を見下ろしてくる。

 ……一体何なんだ!? 何がしたいんだ!?

 平助は生きた心地がしないまま、困惑しつつ無言で固まり続けるしかない。蛇に睨まれた蛙の気持ちが今なら完全に理解出来る。


「……面白えな、坊主。ぶっ壊されるだろうと思ってたキヨラがピンピンしたままで戻ってきたから何か妙だと思っちゃいたが、なるほど納得だ」


 すると、さらに突然ウマオカはそんなことを言った。

 ビビり散らしつつも、どういう意味かわからず首を傾げる二人。

 果たして二人のそんな反応のせいなのか、それとも元々そうするつもりだったのか。

 定かではないが、ウマオカは続けて語り始める。


「あの噴き出てきた精気の量からして、お前は間違いなくブラックリスト級のドスケベだ、坊主。だが、普通のドスケベでもねえ。どっちかと言うと特異体質に近いな」


 平助の顔を睨みつけるように見下ろしながら、ウマオカは言う。


「ちょっとした性的興奮でも、とんでもない量の精気が出てしまう。それがお前の特異体質だ、坊主。いや、それも元を正せばお前の体内で生成される精気が異常に多いせいか。やっぱ結局のところはドスケベなのかもしれん」


 そう言いつつ、ウマオカは初めてその表情を変えた。

 唇の端を上げ、微かではあるが笑顔となる。

 しかし、だからと言ってその印象が和らぐわけではない。

 むしろ恐ろしさは増した気がする。


「だがまあ、面白いことには違いない。俺も初めて見るよ、お前みたいな人間は。その体質を上手く利用出来りゃ、魔界の経済を大混乱に陥れることも可能だろう。魔界に生まれてりゃ神だよ、お前は。まったく愉快極まりない」

「ど、どうも……」


 恐縮しつつ、平助は思う。

 ……いや、そう褒められましても。

 平助はこんな恐ろしい相手に照れるわけにもいかず、ひたすら複雑な気分になるしかない。

 何より、そんな特異体質、正直そんなに嬉しくない。

 魔力とか、その他の超人的なエネルギーならまだしも、精気て。

 それをとんでもない量生み出して体内に保有しているというのを一体誰に誇ればいいというのだろう。何のスーパーパワーに利用出来るわけでもないのに。

 そもそも自分が途轍もない精気を生成して保有している特異体質だなんて、恥ずかしすぎて誰にも明かせんわ。

 結局アンタの言うとおり、行き着くところはただのドスケベじゃねえか。

 平助は表には出さずに内心でキレつつ泣くという器用さを発揮する。


「そして、さらに面白いことにお前、好きな相手じゃないと精気が出ねえタイプだな。だが、そっちの方は面白がってばかりもいられねえ。そういうタイプの人間はざらにいるが、お前の特異体質とそれが組み合わさるとなると非常に厄介でもある」


 ウマオカはなおもそう語り続けながら、再び二人から離れるように歩き出した。

 少し距離を取ったところで立ち止まり、振り返る。


「しかし、幸いお前はキヨラに気があるらしい。だったら別に問題はない。むしろこちらにとっては好都合だ。サキュバスの中で唯一キヨラだけがお前のその莫大な精気を吸い取れるってことだからな」


 そう言うと、ウマオカは指で挟んだキヨラのサキュバスペイを顔の前まで持ってきて軽く二、三度振ってみせる。二人の視線をそこに集めるように。

 そうしながら、驚くべきことを言い放つ。


「返済期日を、もう一ヶ月だけ延ばしてやる。その間に二人で本番やって、全額返済しろ。それが出来ねえなら、今夜と同じ量の精気をもう一度期日内に持ってこい。そうしたら、また一ヶ月だけ延ばす」

「えっ――」


 今まで黙ったままで大人しくウマオカの話を聞き続けていた二人だったが、その言葉には流石に仰天して声を上げてしまった。

 それはまさしく二人が望んでいた温情であった。

 二人で頭を下げて必死に頼み込むしかないと思っていたものが、何もしないままで目の前に降ってきた。

 それ自体は非常に喜ばしい、歓迎すべき事態だろう。

 ウマオカがいなければ二人で手を取り合って大喜びしていたかもしれない。

 だが、それは本当に二人が何もしていなかった場合である。

 キヨラは先ほど、手にするだけで身震いするほどの量の精気をウマオカに渡していた。

 それが相手に返済期日を延ばしてもらう決め手になったことは間違いないだろう。

 だが、あれだけの量を渡して得られたものがそれだけというのは少しばかり納得がいかない。

 その気持ちに突き動かされるまま、平助はウマオカに問いかける。


「ちょ、ちょっと待てよ、さっき渡した精気は――」

「あぁ?」

「――ど、どうなるんでしょうか……?」


 その途中で凄まれて、平助は思わず両手を上げつつそう言葉を和らげた。


「あんなもんで追いつくわけねえだろ。あれでようやく一ヶ月の利息分ってところだ。だが、確かに利息分は返してきたから、もう一ヶ月ジャンプさせてやるって話だよ。元金は一切減っちゃいねえ。それくらいとんでもねえ額をキヨラの親父は借りてたんだ。わかったか、坊主?」


 ウマオカは淡々と言い聞かせるような調子でそう言ってきた。

 しかし、怒鳴られるよりもよほど怖い。平助はぶんぶんと首を縦に振ってウマオカの確認に応じる。


「だが、俺の見立てじゃ、お前らが本番やりゃあ借金はその一発で全額返済出来るだろう。俺としちゃあ、早いことそれで済ましちまうことを勧めるよ。確実に全額返ってくる方が、こっちも面倒がなくていい。まあ、ずっと本番しないままでダラダラと利息だけを払い続ける方でも構わねえけどな。それはそれで儲かる。どちらかを果たす限りは、取り立て以外でこっちからお前らに干渉はしねえ。これまでみたいに二人で好きに過ごしゃいい。だが――」


 言いながら、ウマオカは二人をぎろりと睨みつけてくる。


「もしも一日でも返済が滞ったら、容赦はしない。キヨラは即刻引き上げさせて、別のブラックリストの人間のところへ送り込む。それどころか、もしも二人で逃げ出しでもしてみろ、地の果てまでも追いかけて絶対に見つけ出す。そして、確実にケジメを取らせる。逃げずに借金返済してた方がずっとマシだったと思うようなケジメをな。もちろん二人ともに。わかったか?」


 刃物のように鋭く、氷のように冷たい目でウマオカはそう言った。

 相変わらず淡々とした調子の話し方。しかし、何度も言うがそれ故にウマオカの脅しは何よりも恐ろしく感じられた。

 背筋が凍り付くような恐怖をビリビリと感じながら、二人は仲良く首をぶんぶんと縦に振って返事をする。

 声に出す余裕もなかった。


「まあ、とにかくそういうこった。今夜のところはこれで終いにしといてやる。そんで元金にせよ利息にせよ、一ヶ月後までにどっちかきっちり用意しておけ。そのために、精々二人で励むんだな、若人」


 二人の返事を受け取ると、最後にそう言ってからウマオカはくるりと背を向けて歩き出した。

 別れの挨拶のつもりなのか、片手を軽く掲げてひらひらと振っている。

 そんなウマオカの後ろ姿は、やがて小さく遠ざかるというよりも漆黒の闇に飲まれていくようにして消えた。

 立ち去り方までどこまでも悪魔そのものであった。比喩表現ではなく。




        ***




 ウマオカが完全に立ち去ったことを確認してから、二人は大きく息を吐き出した。

 そのまま何度か大きく深呼吸して、息を整える。


「こ、怖かった……殺されるかと思った……」


 それから、平助はしみじみとそんな感想をこぼした。

 さっきまでの状況に対して、その言葉以外のものは出てきそうになかった。

 キヨラも同じ気持ちなのだろう、平助の方を見ながら同意を示すようにコクコクと頷いている。

 それほど、あのウマオカという男は恐ろしかった。

 外見もそうだが、それ以上に言動から滲み出る冷酷さに平助は一番震え上がった。

 必要とあれば一切の躊躇も容赦もなく暴力的な手段を用いていくるタイプであるということを肌身でビンビンに感じられた。

 そんな男を相手に、こうしてどうにか穏便に切り抜けられたのは本当に運が良かった。

 あらゆることが上手い具合に噛み合って起こった奇跡と言えるだろう。何かが一つでも違っていれば、もしかしたら本当に殺されていたかもしれない。

 そんなことを考えてしまい、平助は背中にじっとりと嫌な汗をかく。

 とにかく、今日のことは本当に運が良かっただけでしかない。次もこうなるという保証はまったくない。

 それを思うと、正直ウマオカとはもう二度と顔も合わせたくないのだが。


「会わなきゃいけないんだよなぁ……また一ヶ月後に」


 もはや平助はウマオカから完全に目をつけられ、今さら逃げることも出来ないくらいに巻き込まれてしまっていた。

 何に? キヨラの借金問題に。

 だから、そんな相手と否が応にもこの先しばらく渡り合っていかなければならない。荷が重いどころの話ではない。

 キヨラのために立ち入ることを決めたのは自分であるとはいえ、少しくらいは突然背負わされたこの過酷な使命を嘆いても許されるだろう。


「ま、まあまあ、平助さん! そう落ち込まないでくださいよ! ウマオカさんは確かに悪魔ですけど、でも、そこまで悪い悪魔じゃないはずですよ! 今回はこうして温情も与えてくれましたし! まあ悪魔ですけど!」


 キヨラの方も流石にここまでガッツリ平助を巻き込んでしまったことに多少の負い目を感じているのだろうか。

 暗い顔で頭を抱えている平助を、わざとらしいくらいに明るい声で励ましてくる。


「それに、こうなって良かったことだってあるじゃないですか! だって、そのおかげで私たち、明日からもまた毎晩こうやって一緒に過ごせるんですよ!」


 それからにこやかな笑顔で、胸を張りながらそう言ってきた。


「だから、暗い顔はやめて、ひとまずそれを一緒に喜びませんか? 私は嬉しいですよ。平助さんと離れずに済んで、また一緒に遊べるんだって思うと、飛び跳ねたいくらい嬉しいです!」


 キヨラはそう言いつつ、実際にぴょんこぴょんこと小さく跳ねてみせる。

 そうやって無邪気に喜んでいる様子を見せた後で、


「それなのに、もしかして平助さんの方は違うんですか? 嬉しくないの?」


 平助の顔を上目遣いに見上げながら、キヨラはそう問いかけてきた。

 そうされて、平助はうっと息を飲み、心が揺らぐ。

 まず、その仕草はズルい。女の子からそのアングルで迫られて、揺らがない男はいないだろう。

 偶然か故意かはともかく、そうしてくるキヨラは普段と違い何だかほんのりと男を惑わせる色香を漂わせていた。

 その辺は腐ってもサキュバスということなのか何なのか。平助は戸惑いを通り越してキヨラを見直しそうにすらなる。

 そして何よりも、その問いかけが一番ズルい。

 明日からもまた一緒にいられるようになって嬉しくないのか、だって?

 平助の方だって、そんなもの――。


「あー、もう! 嬉しいに決まってるだろ! 本当は俺だって、落ち込む以上に喜んでるよ!」

「ほ~ら、やっぱり~。もう、平助さんってば顔真っ赤じゃないですか~照れちゃって~」

「うっせえ! 真っ赤なのはそっちも同じだろ!」

「うぐっ! そ、そんなこと……ありますけどぉ……」


 先に煽ってきたものの、やっぱりキヨラの方もまだまだこういうやり取りは恥ずかしいようだった。

 何だかんだで二人とも窮地を脱した開放感で少しおかしくなっていたことを自覚し、反省する。

 熱が早くどこかに去ってくれるように、しばらくお互いに無言で明後日の方向へ視線を逸らしながら顔をパタパタと扇いでいた。


「あっ……」

「えっと……」


 それからようやく落ち着いてきたと判断したところで、二人は仲良く同じタイミングで正面から向かい合う。

 今夜の締めくくりとして、最後に二人で話しておくべきことがあった。


「……巻き込まれたこと、後悔してますか?」

「それは全然してない。……ウマオカさんは怖いけどな。あの人とは一日でも早く関係を切りたい」

「ふふっ……なら、そのためには頑張って借金返さないとですね」

「ああ。二人で一緒に、な」


 そう言うと、微笑みながら頷き合う。

 お互いの気持ちが同じであることを確認するように。


「それじゃあ……そういうことで。明日からもまた、よろしくお願いしますね」


 キヨラがすっと手を差し出してきた。

 平助も同じように差し出し、それを握る。


「ああ、こちらこそ。また二人で一緒に頑張っていこう。借金を完済出来るように。そして、そのために――」


 固い握手を交わしながら、平助は真剣な顔でキヨラを見つめて、言う。


「いつかセックス出来るようになろう!」

「もうちょっと言い方ってものがあるじゃないですかぁこのドスケベ!!」

「結局このオチかよッ!?」


 頬に走った平手打ちの痛みと共に、平助はこの頭カチカチなサキュバスとそういう関係になるにはまだまだ先が長そうだということを改めて思い知る。

 しかし、たとえそうだとしても。

 やれやれと思いつつ、平助は笑う。

 結局それは、その先の長さの分だけまだまだキヨラと一緒にいられるということでもある。

 どうしたものか。今のところ平助はそれを、何よりも嬉しく思ってしまうのであった。

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清純カチカチサキュバスと純情ドスケベボーイ 一山幾羅 @ikura_kun

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