サキュバスと一歩前進
キヨラはその告白を聞いて、しばらく呆然とした顔で固まっていた。
だが、その言葉の意味するところはしっかり理解していたらしい。
その顔は耳まで真っ赤になっていた。言ってしまった平助の方も似たようなものであったが。
それから、キヨラは何かに耐えられなくなったように顔を俯かせた。
そうしながら何回か深呼吸を繰り返した後で、
「い、今の告白……グッときました……!」
おもむろに顔を上げると、キヨラはそんなことを言ってきたのだった。
「は、はあ……?」
平助の方はキヨラがそう言うまでずっと、完全に勢いに任せてやらかしてしまったことを後悔していた。
拒絶されるかもしれない不安に内心怯えまくっていた。
というか、そもそもそれを素直に受け入れてもらえるなら、こんな面倒くさい事態になっていない。平助の告白はほとんど単なる自爆と言えるだろう。
だが、そうだというのに、キヨラからはあまりに予想外の返事が返ってきた。
なので、思わず平助は間抜けな声を返してしまう。
「今日一番、素直に心にキュンときてしまいました……!」
しかし、そんな平助に構わず、キヨラは顔を真っ赤に染めたままで話し続ける。まるで熱に浮かされているように。
「イケるかもしれません……」
「え?」
「今なら私の方も、この雰囲気とキュンキュンきてるハートに任せて本当にイケちゃうかもしれません……!!」
「――――っ!? そ、それって……まさか……!?」
目を閉じ、心臓の辺りを手で押さえながらそんなことを言い出すキヨラ。
その言葉の意味するところを鋭敏に察し、平助も驚愕する。
まさか、信じられない。そんな半信半疑の気持ちが大きい。
でも、もしかしたらというワンチャンにも少し期待してしまうことを誰が咎められようか。
「いや、ごめんなさい、やっぱり一線越えるのは無理なんですが……!」
「無理なんかい」
しかし、結局すぐにそんな前置きが飛んできた。
平助のテンションはストーンと急降下し、限りなく平坦な声でツッコミを入れてしまう。
淡い期待であった。一瞬でも夢を見てしまった自分の浅ましさに少し死にたくなる。
「でも……! キスくらいなら、イケるかもしれません……!」
「――――っ!?」
しかし、キヨラがそう言葉を続けるのを聞いて、平助は再度の驚愕に身を固くする。
「ほ、ほっぺたにキスくらいならイケるかもしれません……!!」
そこから振り絞るように放たれたキヨラのその言葉で、平助は思わずコケそうになった。
ここまで相手の告白に絆され、雰囲気に流されそうになっている気配を見せながら、最大限許せる行為がそのレベルとは。
本当に、筋金入りのお堅さである。まさしく
「…………」
だが、それでもとにかく喜ばしい成果であることは間違いなかった。
平助はそう思い直す。
先ほどまでの言葉と違って、それは嘘ではないキヨラの本心から出てきたものである。その時の平助には何故かそう理解できた。
キヨラが自分を偽ったり、無理をしようとすることなく、自然に、自発的にそこまでならしてもいいと思えている。
それはひとまず歓迎すべき、二人の関係の大きな前進と言えた。
だったら、この場はそれで良しとして受け入れるべきだろう。
ただ、それでも一つだけ引っかかることがあった。
「よ、よし、キヨラさんがそうしてもいいって言うのであれば、俺の方も異存はない。でも、その、ほっぺにキスするくらいで今の状況がどうにかなるものなのか……?」
「……基本的に、サキュバスと肉体的に接触することで相手が興奮するとその体から精気が立ち上り、それを吸い取ることが出来ると言われています。その上でもっとも効率よく、大量にそれを吸い取れる方法が性行為というだけであって……。と、とにかく、互いの肌が触れ合うことで、それに相手が少しでも興奮すれば精気は吸い取れるんです!」
平助が素直にそれを問うと、キヨラはそう答えた。
しかし、その後で少し表情を曇らせる。
「でも、確かに平助さんが心配するように、ほっぺたにキスする程度で吸い取れる量は高が知れてるかもしれません……。でも、それは普通の人間の場合です! ブラックリストに載る程のドスケベである平助さんであれば、あるいは……!」
「可能性はある、と?」
キヨラは一転、希望に燃える瞳を向けてくる。
「私は最初からずっとそれに期待してきました! やってみる価値はありますよ!」
「何度も言ってるけどマジで嬉しくない期待なんだよな……」
平助は溜息を吐く。
「それに、その……そうするのは精気を吸い取るためだけじゃなくて……」
すると、キヨラが何やら言いにくそうにごにょごにょとそう言葉を発する。
不思議に思っていると、やがて意を決した顔でキヨラが真っ直ぐに平助を見つめてきた。
まるで、先ほどの平助のそれをやり返すかのように。
「平助さんの告白に、私もちゃんと応えたいって思ったから……! こ、これが私からのお返事の代わりってことでも、いいですか……?」
「…………! お、おう……」
おずおずと、それでも真剣な声でキヨラからそう問われて、平助は普通に照れた。
照れたままぶっきらぼうにそう答え、思わず目を逸らした。
キヨラの方も照れているのか、その了承を受け取ると黙って俯いてしまった。
しばらく、そうして二人でガチ照れする。こんなことでこの二人は本当に大丈夫なのか。
だが、そうやって再び甘酸っぱい雰囲気が蒸し返されたことはむしろ状況的にはプラスに働いたらしい。
「じゃ、じゃあ、いきますね……!」
「あ、ああ……!」
その雰囲気で復活した勢いに任せて、二人は位置につく。
「もしも出てくる精気が大した量じゃなかったら、すまん」
「……その時は、一緒に借金取りさんに頭を下げてくれるんですよね?」
「……ああ、約束する」
「じゃあ、許してあげます」
キヨラはそう言って微笑むと、
「…………っ」
恥じらいからなのか、ちょっとだけ間をあけた後で、
「――――」
少し背伸びをして、平助の頬へと軽く口づけた。
それは本当に軽くであったし、時間にしたってほんの一瞬だった。
熱烈に長いこと押しつけていたようなものでは断じてない。
しかし、キヨラの少し熱っぽくて柔らかい唇が頬に触れた瞬間、平助はまるでその一瞬が永遠のように引き延ばされて感じられた。
時が止まるとはこのことか。唇が触れたところで、平助の時間は確かに止まった。
それどころか魂が体から抜け出て天へと昇り、そのまま大気圏を突破して宇宙に飛び出ると、星々の瞬くその中で燦然と輝く太陽の光をそこで見た。
無論、全て錯覚である。ただ、そのキスはそう感じるほどの衝撃を平助にもたらした。
そしてその結果、とんでもないことが起こった。
***
キヨラの唇が離れ、止まっていた時間が動き出した瞬間。
「へっ――?」
「なっ――!?」
突然、平助の体全体から、半透明な光の奔流が立ち上った。
まるで漫画に出てくる何らかの不可思議なオーラのようなそれが平助の全身から噴き出ていた。
それだけでも信じられない超常現象だというのに、さらに信じられないのがその量と勢いだった。
それは、まさしく巨大な滝を逆流させたような様相であった。
その勢いで猛然と天に向かって噴き上がるオーラの奔流。
その輝きたるや目が眩むどころの話ではなく、二人は一瞬その場で何かが爆発したのかと錯覚した程であった。
「えええぇぇぇ!? 何これ何これ何これ!? 今何が起こってんの!? 俺今一体どうなってんの!?」
「おっ、落ち着いてください平助さん! とても信じられないことですが、これは――恐らく全部、あなたの精気です!!」
自分の体に突如発生したあまりの異常事態に、とにかく狼狽えるしかない平助。
そんな中で、キヨラがまだ多少の動揺を残しつつも何とか落ち着きを取り戻してそう断言してくる。
「精気!? これが!? 何かいきなりとんでもない
「いえ、普通じゃないです……どう考えても……! 普通の人間なら、たとえ性行為であったとしてもこれほどの精気なんて……!」
唖然とした様子で噴き出る精気を見上げつつ、キヨラはそう呟く。
それから、何を恥ずかしがっているのか頬を赤らめながら平助を睨みつけ、
「それなのに、ほっぺにキスしただけでこんな量が出てくるだなんて、一体どれだけドスケベなんですかぁ!」
「遺憾にも程があるんだがッ!?」
あまりにも理不尽な言葉を投げつけられ、平助も必死でそう言い返す他ない。
「つーか、そんなこと言ってる場合か! どうにかなんないのかこれ!? このままじゃ何かの事件と思われて警察来ちゃうって!」
「そっ、そうでした! 今すぐ全部吸い取りますね! そうすればとりあえず収まるはずです!」
キヨラははっと気を取り直したようにそう言うと、自分の懐を探って何かを取り出した。
「サキュバスペイ!」
そう叫びつつ、その手に持った何かを掲げる。
それは、一枚のカードであった。サイズは一般的なトランプのそれに近い。
しかし、カードとしてはかなりしっかりした造りをしているようで、ぱっと見た感じでは何らかのICカードを想起させた。
というか、さっき叫ばれたそのカードの名称と思わしきものといい、恐らくまんまそれであった。
そのカードをキヨラが立ち上る精気へ向けると、
「――――っ!?」
天へ向かって噴き上がり続けていた精気が突如方向転換し、その小さなカードに恐ろしい勢いで吸い込まれ始めた。
カードはダイソン掃除機もかくやという吸引力で精気を吸い込み続け、わずか数十秒足らずで全て余さず吸い取ってくれたようだった。
平助の頭頂部から僅かに残った光の残滓がちゅるんとカードに吸い込まれると、元の薄暗い公園という状況が戻ってきた。
「……精気って、そんな風に吸い取るんだ……」
何と言っていいものやら。
あまりに凄まじすぎた一連の光景に呆然となりつつ、平助はどうにかそんな感想を絞り出す。
「ええ、はい。魔界では精気もお金ですから、色々と効率化が進んで今ではこんなシステムになってるんです。このままこのカードをお会計時に機械にかざせば、それで支払い出来たりもするんですよ?」
魔界も結構ハイテクでしょう?
キヨラはそう言いつつ、何故だか自慢げに胸を張っていた。
しかし、平助の方は「自慢されてもなぁ」と困惑するしかない。こっちにもあるしそういうの。
というか、ここではない異世界に対して抱いていたほのかな幻想を打ち砕く魔界の
「それにしても……」
すると、キヨラがおもむろに目を細め、カードをかざすようにして見つめながらぽつりとこぼす。
「私、こんな量の精気の表示、生まれて初めて見ましたよ……あまりの量に、手が震えてきちゃいました……」
そう言って、キヨラは手どころか軽く身震いしている。
どうやらキヨラのように善良な小市民サキュバスでは思わずビビってしまうくらいの量らしい。
自分の体からそんなものが出てきたということに対して平助は複雑な心境になる。
少なくともそれが自分のスケベ心から発生したものだと思うとあまり誇らしくはない。
しかしまあ、それでも一応望んでいた成果であることには間違いない。
平助はそう思い直すと、肝心なことを確認するためにキヨラへ声をかける。
「……借金返済、いけそうか、それで?」
「はい! これだったら、多分――」
キヨラが明るい笑顔でそう応じたところで――。
「――オウ、どうやら用意は出来てるみたいだな」
突然、薄暗い闇の中から何者かが二人の前に現れた。
「――――っ!?」
気配も何も感じさせず、唐突にであった。
……誰ッ!?
あまりの驚愕に心臓を跳ねさせつつ、二人はその人物を見やる。
それは平助にとってはまったく見知らぬ誰かであったのだが、キヨラの方は違うらしい。
「う、ウマオカさん……!」
明らかな怯えを含んだ声で、キヨラはそう呟いた。どうやらそれがその何者かの名前であるらしい。
そのキヨラの様子に、平助も目の前のウマオカなる人物が一体何者なのかをすぐさま直感的に察した。
短く刈り込んだ坊主頭。強面としか言い表せない人相。そこに色の薄いサングラスをかけているせいでその威圧感は倍増している。
さらにヤバいのが、大柄で屈強そうな体躯を包むその服装。
ラフに着こなした真っ黒なスーツは、その顔も相まって明らかに堅気のお方でない雰囲気を漂わせている。
これだけでも街で見かけたら回れ右して逃げ出したくなる風貌だといういうのに、そいつは極めつけに頭の上に二本の禍々しく捻れた角を生やしていた。おまけに体毛のないつるんとした黒い尻尾まで垂らしている。
まさしく悪魔である。比喩的表現ではなく、確実に種族としての悪魔だった。
そして、恐らく――。
「じゃ、返そっか、借金」
というか間違いなく、魔界の借金取りであった。
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