1 それでも、宮之浦世界は問い続けている
一人きりなった非常階段にて、俺は立ち尽くす。
今日ほど、自分の平凡さを呪ったことはない。
きっと俺がどこぞの世界の主人公であれば、去り行く彼女を呼び止められていたかもしれない。
だけど、もう、その彼女はここにはいない。
これが現実だ。俺には彼女を引き止められるだけの理由もなければ、言葉も勇気もなかっただけ。ただそれだけのことであり、所詮、現実はこんなもん。
なんの間違いか、あるいは数奇な運命の悪戯か、はたまたお茶目な神様の暇つぶしなのか、俺は彼女と出会い、行動を共にして、あまつさえ恋人関係になれた。言ってしまえば、この数日が奇跡みたい日の出来事だったのだ。
……だから、気にする必要はどこにもない。
退屈で平凡な日常が戻ってきただけだと思えばいい。元鞘に収まっただけだと考えればいい。夢から覚めただけなのだと理解しとけばいい。夢は、いつか覚めるものであり、いつだってご都合通りに進んでいくから、夢なのだ。
だからきっと、今の俺が物寂しさを抱くのは、自然な心理であり、今、この胸に抱く一抹の寂寥感じみた感情もまた、夢から目覚めたあと特有なものなのだ。
きっと、目覚めるべき現実があるからこそ、人は夢を見る。
「あーあ、彼女、行っちゃったね」
そんなことを考えていると、校舎へと続く階段のほうから間延びした声が聞こえてきた。
視線を向けると、そこには限りなく金色に近い茶髪を靡かせた男子生徒、宮之浦世界が立ち入ってきたところだった。
「もしかして、怒らせのか?」
目尻と口元を緩めた笑みは、しょうがなさそうな奴を見るようで。
「……盗み聞きか? 随分と素敵な趣味をお持ちのようで」
「まさか。ただの偶然さ。俺にそんな趣味はないさ」
「偶然、ね……」
「ああ、偶然だよ」
俺がなおも疑いの眼差しを向けるも、宮之浦も自分の意見を曲げる気はないのだろう。肩を竦めて自分は何も知らないアピールが鼻につく。
正直、偶然にしてはあまりにもタイミングが良すぎる。しかし、困ったことに宮之浦の主張をダウトと決めつけるだけの証拠もなければ根拠もない。つまり、これ以上の詮索は無意味、イタチごっこになるだけ。
なので俺は、この不毛な腹の探り合いから早々に手を引くことにした。
「じゃあもう用はないな」
「おっと、ちょっと待った」
しのごの言わず、男らしく真っ直ぐ校舎の方へと立ち去ろうとした俺の肩を宮之浦が不意に掴んできた。
「んだよ」と、俺は少し不機嫌気味に視線で問う。すると宮之浦は、ブレーザーのポケットから二本の缶コーヒーをおもむろに取り出し、「少しだけ、話をしないか?」と、俺に会話の継続を申し込んできた。
そんな彼には、俺から少し意地悪な質問をぶつけてやることにした。
「……さっきお前、偶然ここに来たって言ってたよな?」
とれる揚げ足はとっておくに限る。普段、俺よりも上位にいるような人間ならなおさらだ。
自分でも性格悪いなと思う。だが、これは俺なりのサインなのだ。これ以上、お前と話す気などないという明確な合図。
しかし宮之浦は微笑するだけで、その場を動くつもりも、はたまた俺の肩から手をはんつもり見られない。どころか、早く受け取れと言わんばかりに、くいっと缶コーヒーをさらに押し付けようとしてくる。いや何こいつ、心にA Tーフィールドでも貼ってんの?
「偶然さ、本当に、ただの偶然だよ」
そう言って、あくまでも偶然を装う宮之浦の浮かべる微笑には一寸の隙も見当たらない。僅かでも隙を見せようものなら即刻弾糾して、それみたことかと批判してやろうかと思ったのに……。いや俺ほんとに卑屈だな。
それでも、やはり宮之浦は引かなかった。動じなかった。俺がこれみよがしに盛大なため息を吐き捨て呆れを醸し出そうが、お構いなしときた。
図太い。図太すぎる。さすがは海千山千である世の経済界を生き抜き、今なお股に掛けている家系で育った男は違うというわけですか。そうですか。
ならば、一般家庭で育った俺も引けをとっていないことを証明しなければなるまい。
「……次の授業はどうすんだよ?」
親がどんなに大物であろうが、俺たちは一学生であることには変わらない。
次の授業まで五分もないだろう。宮之浦の様子から察するに、次の授業は放棄するに違いない。ならば、そこを突くまで。学を学ぶ身として正しいのは俺のはずだ。
「あぁ、それなら問題はない」
「……どいうことだ?」
怪訝な表情で問いかけると、宮之浦は形のいい唇を薄く広げた。
「ふっ、君にそんな顔をされるのは心外だな。同じ手段を用いた仲間じゃないか」
俺は宮之浦の言葉を頭の中で反芻し、ハッとした。
宮之浦が話を続ける。
「田端先生のことなら問題はいらない。二時間目も保健室には戻れないって、ついさっきおっしゃっていたからね」
こいつ、俺が保健室を抜け出したことを逆手に取りやがった。
くそっ。イケメンでみんなから好かれている癖に頭まで回るとか許せんな。
いや、それよりも——
「やっぱり確信犯じゃねぇか」
退路を先に立たれた俺にできることは、嫌味ったらしく文句を口にすることだけだった。なんですか、この差って。
「ははっ、悪い悪い」
宮之浦はへらへらと笑って謝罪するだけで、実際は一ミリも罪悪感を抱いていないことなど俺にはお見通しである。
「悪いで済んだら警察はいらねぇんだよ……」
吐き捨てるようにそう言い放つと、宮之浦は「悪気はなかったんだ」と苦笑を浮かべ、少しだけ、ほんの少しだけ申し訳なさそうな表情になる。
が、それも一瞬。
そのあとで、手に持った缶コーヒーをさらにくいっとこちらに差し出しててきて、「じゃあ、これはそのお詫びの印ってことで受け取ってくれ」などと、今度は都合の良いことを口にしやがった。
そのあまりの図々しさに、思わずなんて恐ろしい男なのだろうかと改めて戦慄してしまったではないか。しかし、このままではなんか負けた気がするので、俺は再度じろりと睨みつけ、缶コーヒーをひったくってやった。ふむ、なかなか温かいなぁ……。
缶コーヒーを両手で持ち、少しほっとした気持ちになった俺を、宮之浦は目尻を下げて見ていた。どこか仕方がない奴を見る者の目だった。……いやだからその微笑みやめろ。そんな顔俺に向けんな。まるで俺がおもちゃコーナーにて欲しいおもちゃを買ってもらえずごねているところに好きなお菓子を与えられてすっかり気分を良くする子供みたいに思えるじゃねぇか。
「……」
しかし、俺は大人の対応ができる男なのだ。よく内心では悪態つきながらも、俺は自らの負の心境は一切言葉にはしない。
理由は簡単。俺が愚痴ろうが駄々をこねようが、話が前に進まないと知っているからだ。
そのぶん俺は、ひったくった缶コーヒーのプルタブに怒りをぶつけることにし、話題を提供してあげることにした。
「んで、授業をさぼってまでしなくちゃならん話ってのは?」
カチッカチッとプルタブに指を引っ掛け開けようとするが、指が悴んでいるせいかなかなか開いてくれない。プルタブまでこの男の味方かよ。ありえん。
「そう言いながら、君もなんとなくわかっているだろ?」
「……おかしなことを、言う。わからないから俺は問いかけたんだ。それに、質問に質問で返すのはっ、マナー違反だって、親に言われなかったのか?」
言いながら、俺はプルタブと激戦を繰り広げる。指の腹ではどうにもできんなこれ……。
「おっとこれは失礼。確かに、君の言うとおりだ。悪かった」
「いや、別にそこまで怒ってるわけじゃないんだが……」
そんな簡単に頭を下げられるとこっちが悪いことをしたみたいな気分になるだろ……。くそっ。にしてもこのプルタブ、くそ頑固すぎんだろ。がんこちゃんより頑固すぎんじゃねぇのこれ。いやがんこちゃんは名前ほど別にがんこじゃないんだけどね。
「なぁ、それ俺が開けてやろうか?」
いつまで経ってもプルタブと激戦を繰り広げる俺を見かねたのか、宮之浦が見え透いた優しさを出してきた。
「いや、いい。こいつには俺が勝つ」
「そ、そうか」
プルタブにまで負けたらいよいよ俺の立つ瀬ってものなくなってしまう。なんなら一緒にアイデンティティーも瓦解してしまいそうな気がする。
ふと、そんなことを思った俺は気がついた。
まさか、これも奴の作戦っ!? 俺がプルタブに気を取られている間に、うまく話を進めて自分が思うままに話を持っていく高度な罠っ!? くっ、ありえん。この男、優男のくせに腹黒いっ! きっとこれも祖父や父に教え込まれた一種の話術スキルなのかもしれない。ほーんと恐ろしい奴である。よし、俺も覚えておこう。
——プッシュ。
そう決意したと同時にプルタブが鳴いた。長かった戦いも、俺の勝利という素晴らしいフィナーレを迎えたのだ。
Fin。
「じゃ」
そう言って宮之浦の脇を抜けようとした俺を、もちろん彼は逃してくれるはずもなくて。
すげなく肩を掴まれた俺は、この先交わすであろう会話を思い、辟易とした。
今ここに、話し合いパート2切って落とされようとしていた。
平凡になりたい君へ。特別になりたい俺から捧げる最高の在り来たり Next @Takahiro19
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