河童と呼ばれた日

武田武蔵

河童と呼ばれた日

 終わりかけた季節の、せわしないひぐらしの鳴き声と共に、木々の梢の影から泣き声が聞こえてきます。それはかなかなというひぐらしの声をさえぎる程に大きく、寺の和尚さんは聞いてはいられず、本堂から顔を覗かせました。

賽銭箱の影で、坊やが泣いていました。

「もしもし坊や、どうしたんだい?」

 と、坊やのそばに寄り、和尚さんは優しく尋ねました。

「おっかぁが、おっかぁがおいらを打ったんだ! もう家に帰るもんか!」

 泣き声が止まる事はありません。

 和尚さんは一度首をかしげてから、坊やのかたわらに腰かけ、口を開きました。

「よし、じゃあこの辺りに伝わるお話をしてあげよう」



 むかしむかし、この村に若い幸せそうな夫婦がおりました。夫は農夫でしたが、いざ召集がかかると、戦へと出かけて行く武士でもありました。しかし妻が臨月を迎えたある時、とうとう戦から帰って来る事はありませんでした。妻は一人、男の子を産みました。その時から、妻もまた母親になったのです。しかしその子供は、産まれた時から、どこか他の赤ん坊と違うものでした。

そうして子供は育っていくうちに、肌はうすい緑になり、ぼさぼさの黒髪、唇はくちばしのようにとがり、何よりも頭に皿のようなあざができてきました。それはまるで異形の河童のようでした。

 それでも母親は自ら腹を痛めて産んだ子供だと、できるかぎりの愛情を注ぎ育てました。

 そんなある日、母親は子供と共に寺へと出向きました。寺には観音様がまつられていて、信心深い母親は、昔から通っているのでした。

「おっかぁ、何してるんだ?」

 子供は尋ねました。

「お前がすこやかに育つ事を祈っているんだよ。お前も手を合わせなさい。観音様が見守ってくださるよ」

 手を合わせ、うつむいて観音様に祈る母親の横顔を見つめながら、子供は一緒に小さな手を合わせるのでした。

 しかし、そんな親子に村人たちは冷たいものでした。

「こんな気味の悪い子供は村に置いておけねぇ」

 そう言ったのは村長でした。

「河童にそっくりじゃないか」

 ある村人はそう言い捨てました。

 せまい村でしたから、やがてうわさは瞬く間に広がり、親子は仲間外れにされ、道を歩けばひどい罵声を浴びせられ、石を投げられました。そんな仕打ちに耐えきれず、母親はとうとうある夜、このような村で育つよりもと、眠る我が子を寺のわきから流れる川の下流の、河童が出るとうわさされる河原へと置き去りにしたのです。

 翌朝目覚めた子供はおどろき、あわてて母親を探しました。そうして我が家へとたどり着くと、戸を開いたのです。

「おっか──」

 子供が言いかけた時、

「この河童!」

 母親は声をあらげ、石を片手に叫びました。

「これ以上家に上がったら石を投げるよ。早く仲間の所に帰りな!」

 河童と呼ばれた子供は、何も言えず、ただ家の戸を閉めました。そしてとぼとぼと捨てられた河原へと向かって行ったのです。

「ごめんよ……ごめんよぉ……みんなと達者で暮らしておくれ」

 我が子が出ていったあと、閉ざされた戸を見て、母親は静かに泣きました。

 河原に仲間などいるはずもなく、子供はしゃがみこみました。夏虫たちの鳴き声が、木立をかき分けて聞こえます。ふと自分の手を見ると、水かきが広がっているような気がします。望まずとも河童に近付きつつある自分に、恐怖がよぎりました。

それから子供は川を流れてくる野菜くずを食べたり、畑から食べ物を盗んだりして日々を過ごしました。

 しかしそんな生活も長くは続く事もなく、お腹が空いてため息をつくことが多くなりました。その姿を、影から見守るいくつもの影があることも知らずに。

そんなある日、子供はとうとう河原に倒れこんでしまいました。

「もう限界だ。おいらは結局何のために生まれて来たのだろう?」

 かわいた唇で、ぼそぼそと呟きます。よみがえるのは。優しく育ててくれた母親との思い出です。

「おっかぁ……」

 焦げ臭いにおいがしたのはその時でした。それは、良く母親と参拝に出かけた寺がある方角でした。

「あのお寺が燃えている……!?」

 子供は最後の力を振りしぼり立ち上がり、寺を見上げました。ごうごうと音を立て、寺が燃えているのが目に入りました。

「観音様、どうか!」

 子供は祈りました。

 するとどうでしょう、寺の上に暗雲が立ちこめ、雨が降りだしたのです。しかし、火が消えるほどではありません。

「おいらたちが力を貸そう」

 その時、どこからともなく子供たちが河原に集まりだし、一緒に手を合わせ始めたのです。彼らはみな、食いぶちを減らすために、河原に捨てられた子供たちでした。雨の勢いは強くなり、やがて火は消えました。

 火が消えたのと同時に、子供はばったりと倒れてしまいました。もう動く力もありません。そんな子供に差し出された手がありました。顔を上げると、そこには観音様のお姿がありました。

「私のよりしろを守ってくれて感謝します。お礼に願いを一つ叶えましょう。さぁ、願いを言ってご覧なさい」

「おいらは……」

 子供は一度息を吸い込むと、

「おいらはあのお寺にある木になりたいです」

 観音様はにこりと頬笑まれ、答えました。

「わかりました。その願い、叶えましょう」

 こうして子供は寺の前に埋められた木の精になり、春には花を咲かせ、秋には実を作り、良縁に恵まれ再び産まれた子供と共に参拝に来る母親をずっと見守り続けたのでした。



「お話はこれでおしまい」

 和尚さんは言いました。

「それって、本当のお話?」

 涙と鼻水をぬぐい、坊やは問いました。

「どうだろうねぇ。でも、お母さんも好きで自分の子供を打つものじゃない。さぁ、お家にお帰りなさい」

「うん!」

 階段を飛び下り、坊やはかけて行きました。長い年月をかけ成長した太い木は、いまだ村を見守っているような気がしました。

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河童と呼ばれた日 武田武蔵 @musasitakeda

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