宮廷画家と征服王

つるよしの

武蔵野は凡庸な地だ、だが……

「では、新王はムサシノという国の出身なのか?」


 宮廷画家アルフレッドは朝のひかりの中、絵筆の手入れの手を止めて、工房を訪れた将軍ギルバートに問うた。久々に見る旧友の精悍な顔は、先日、終わったばかりの戦による、刀傷が目立つ。


「ああ。サイタマ、とも、トウキョウともお答えになるのだが、どうやら、新王はそれらの国を転々とした挙句、謎の力で我らの世界にやってきたと言う。さらに問うと、結局はこう仰るのだよ……“敢えて言うなら、ムサシノだ”と」

「寡聞にも、俺はそのような国は聞いたことがないな。新王は、狂人ではないのか?」


 途端にギルバートが顔を顰める。


「しっ……新王の耳に入ったら、首が飛ぶぞ」


 だが、アルフレッドは動じることなく、にやり、と笑った。工房の中の空気が、ゆらり、揺れる。


「大丈夫だ、この部屋には俺とお前しかおらぬ。それに祖国が征服されたというこの時期に、宮廷画家などの工房には、お前のような物好きしか来ぬ」


 アルフレッドの時勢をも構わぬ軽口に、ギルバートは軍服に包まれた肩をすくめた。そして、やれやれ、という口調で抗弁する。


「物好き言うな。俺だって、敗軍の将としてやるべき事がたくさんあるんだ、アルフレッド。今日だって、お前に頼みがあって来ている」

「わかってるさ、冗談だ。ギルバート」


 そして、アルフレッドは絵筆を作業机に置くと、真剣な面持ちになって、ギルバートに向き合った。


「……では、用件を聞こうか」

「……ああ、新王はお前に、そのムサシノとやらの絵を描いて欲しいそうだ」


 アルフレッドは、そのギルバートの言葉に一瞬、虚を突かれたような顔つきになった。てっきり、征服王となった己か、それか寵姫の肖像画でも描くように命じられると思っていたのだ。数瞬の沈黙ののち、アルフレッドは呆れたように語を放った。


「見たことも無い国の光景を描かねばならぬのか、俺は。なかなかの難題だな」

「そう言うな、新王はこの大陸の統一を果たした今、心にぽっかり穴が開いて、妙に故郷が懐かしくなっているとのことだ。それで、執務室にその国の光景を描いた絵を飾って、気持ちを癒やしたいとお望みなのだ。というわけだ、アルフレッド。一緒に新王のもとに来て貰いたい」


 ギルバートはそう言い終わると、工房の扉を勢いよく開け放った。そして自ら率先して廊下に身体を滑り出し、アルフレッドに来い、とばかりに視線を投げた。それに応じて、アルフレッドは大きく息を吐きながら、木製の椅子から立ち上がった。感じたことのない緊張がひたひたと、彼の心を浸しはじめていた。



「よく来た、宮廷画家アルフレッド・ミュラー」


 謁見の間にアルフレッドを迎え、この大陸には珍しい、黒い髪に黒い瞳の新王の口元がほころぶ。だが、その目元は笑ってはいない。アルフレッドはなるべくそれを見ないように跪きながら、本題に話を進めるべく、新王に問うた。


「恐れ入ります、陛下。さっそくですが、ムサシノ、とはどのようなところなのですか」

「ふむ……こういってはなんだが、凡庸な土地だ。とくに変わったものはない。だが、全てのものがある土地でもある」


 その、つかみどころのない新王の言葉に、アルフレッドは、戸惑いの表情を浮かべた。


「陛下、それだけでは何も描けませぬ。せめて、もう少し具体的に仰ってはもらえませぬか」


 すると新王の口が僅かに歪んだ。ひんやりとした大理石の床の感触が、アルフレッドの足を伝って身体に回る。それがなんとも、新王の表情と相まって、心を騒がせる。そんなアルフレッドを見据えながら、王は淡々と語を継ぐ。


「強いて言うなら……緑の濃い台地であるな。ざわめく木々に、蒼い丘陵、肥沃な畑……とはいえ、近年はその上に建物が、城壁の如く連なるようになって久しいが。そしてそこに、数多の老若男女の人間たちが、蠢いておる」

「それでは、ムサシノとは、都市なのですか、それとも、田園地帯なのですか」

「そのどちらでもないな。だから、全てのものがある土地だと再三申しておこう」


 はぐらかすような新王の物言いに、アルフレッドは言葉を詰まらせた。


「……アルフレッドよ、俺がムサシノについて言い表せるのはこのくらいだ。お前の頭に思い浮かんだムサシノを描いてみせよ。期限は十日。その出来次第で、今、処分を決めかねている将軍たちの行く末を決めよう」


 その新王の言葉に、アルフレッドは思わず、ともに隣に跪いているギルバートの顔を見た。彼は身体こそ動かさなかったものの、目をかっ、と見開き、表情を強ばらせている。アルフレッドの手は、震えた。

 ……なんということだ、旧友を筆頭とした軍人達の命までが、自分の筆にかかっているとは。

 アルフレッドの背を、知らず知らずのうちに冷や汗がつうっ、と流れる。

 そんなアルフレッドの様子を、新王は、顔に微かな笑みを浮かべ面白そうに見やっていた。そして、十数秒の後、もうよい、とばかりに手を振ってみせる。退出の合図だった。

 最後に新王は、謁見の間を後にするアルフレッドの背に向かって、こう、ぼそりと呟いた。


「どの世界も、この国とたいして変わらぬよ。来てはみたが、ここも同じ人の世だからな」



 その日から、アルフレッドは昼夜を問わず画布に向かった。新王の言葉から思いつく限りの、ムサシノの光景を描き続けた。緑の野も描いた。陽に揺れる木々も描いた。新王の言葉から、想像に想像を重ね、己の感性を絞り出し、思いつく限りの景色を画布の上に展開し続けた。異国の建物や動物、そして人をも、試行錯誤の末に描いてみせた。


 しかし、満足のいく仕上がりには一向にならない。新王の心の内にあるムサシノには、どうあっても辿り着けないように感じてしまうのだ。それでも彼は、絵など投げ出してしまいたい気持ちを、工房から逃げ出してしまいたい心を無理矢理押さえつけて、握りしめた筆を、休みなく動かし続けた。


 だが、十日目の夜、彼はついに懊悩の挙句、全ての絵をナイフで切り裂いた。そしてその身をゆっくりと崩し、昏倒した。

 やがて、朝のひかりが、新しい日のはじまりを告げるべく、工房の窓から眩しく差し込む。その時分になってもなお、アルフレッドは意識を失なったまま、床に横たわっていた。


「描けなかったか」


 ……気が付けば、工房のなかでは、新王が供も連れずひとりで、切裂かれた絵の数々を見下ろしていた。アルフレッドは慌てて、床から身を起こした。

 彼は覚悟した。新王から叱責と失望の言葉が漏れるのを、頭を垂れて待った。

 だが、意外にも新王の口元に浮かぶ笑みと、そこから流れ出た台詞は柔和なものであった。いや、意外なものだった、というべきか。


「実のところ、俺もな、あちらの世界……ムサシノでは画家だったんだ。ムサシノにある美術の学校で学び、そこを出てからも長く絵を描き続けていた。ムサシノの風景を飽きることなく描いていた」


 新王は黒い瞳を遠くに投げて、独り言つように語を継ぐ。


「しかし、まったく金にはならなくてな。そのうち俺は自分の才能に絶望し、絵も描けなくなり、ムサシノの里山で首を吊った。ところがふしぎなことに、気が付けば俺はこの世界にいてな、そして、前の世界とは全く違う才能を得て……あれよあれよといううちに、いつの間にか、この地位に収まっていた」


 思いもしない新王の独白に言葉も出ないアルフレッドに、新王はゆっくりと視線を放る。


「だが、そんなとき、この世界に宮廷画家という人間がいると聞き……アルフレッド、お前のことだが……俺の心にふっと、前の世界での記憶が蘇った。そして、お前に嫉妬を感じたんだ。この世界には、俺と違って画家として成功した奴がいるとな。俺の心はひさびさに疼いたよ、過去のふがいない自分を思い出して。……そこで、俺は試そうと思った。見たことも無いムサシノの風景を描くという、無理難題を出すことで、お前がどのくらい真剣に絵を描いているかを」

「陛下……」

「お前がいいかげんな、分かったような絵を描いたら、俺は速攻お前の首を刎ね、将軍達も処刑する腹づもりだった。だが、お前は真摯な奴だった。……そうだ、絵ってものはそんな容易に描けるものじゃない。それが人間だ。ましてや、人の心の中にあるとりとめない風景など。……そう思えたら、俺も、心の底でくすぶっていた情けねえ過去の自分と、和解する気になったよ」


 チチチ、と外から小鳥の囀りが聞こえる。それに被さるように、ふっ、とその顔に笑みを閃かすと、新王はいまだ呆然としているアルフレッドに向かって、静かに囁いた。


「俺はお前にかつての自分を見た。礼を言うぞ、アルフレッド・ミュラー」


 それだけ言うと、新王は深紅のマントを翻し、アルフレッドの雑然とした工房から、靴音高く去って行った。


 アルフレッドは暫く、床に散らばる切裂かれた絵を放心したように見つめていた。その絵の破片に、ムサシノを描くことのできなかった、己の姿が透けて見えるのを確かめる。だが、その自分こそが、ギルバートをはじめとした数多の命と、痛ましい過去に苛まれた新王の心をも救ったことを知る。


 ……芸術とは、人間とは、なんと、ふしぎな。


 そして彼は改めて夢想する。ムサシノとは、いったい、どんな土地であるのかを。

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宮廷画家と征服王 つるよしの @tsuru_yoshino

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