神降ろしの被験体
土御門 響
禁忌
妖怪や鬼といった人外の生き物と共存しながら発展してきた日ノ本。
機械工学や生物工学も発展を続け、倫理と宗教と科学の軋轢は激化していた。
とある廃村に、ひっそりと建てられた学校。
ぱっと見は小学校に見える。が、実際の中身は研究所兼実験場、工場であった。
「システムは正常。オールグリーン」
「サンプル体のバイタル、異常なし。規定値をクリア」
「カウントダウンを開始」
無機質なバベルの塔。無数の蛍光色の光の線が走っている塔からは不穏な機械音が響く。
「……」
そんな塔に拘束具で磔にされているのは少女。
「……お父、様」
塔の近くに設置されている制御用のコンピューターと無心に向き合っている男を見て、少女は小さく呟いた。
母は早くに亡くなり、科学者の父と二人で暮らしてきた。この研究所は彼女にとって我が家だ。
父は優しくも決まり事には厳格な人で、子供の頃から外部の人間と接触することを決して許さなかった。それを少女は当たり前に受け入れていたし、何の疑問も感じていなかった。
しかし、その意味が今、明らかになろうとしていた。
父は見慣れたマシンの設定を弄りながら、何やらぶつぶつと呟いている。
「この子は依代に相応しくなるよう乙女のまま育て上げた。きっと、神も我々の召喚に応じざるを得まい。私の願いがついに叶う」
少女はこの研究所で父から色んなことを学んだ。その辺の子には理解できないような難しい理論や法則についても理解した。
そのせいで、磔にされながら少女は悟った。自分は、実験のために育てられたモルモットに過ぎないのだと。
「……神、様」
父は、いつか人間と神の融合体を造りたいのだと言っていた。神を人間の中に封じ、その能力を更なる人類の発展のために利用するのだと。
少女は倫理を持ち出して反論しようかと思ったが、目をキラキラさせて夢を語る父に水を差したくなくて、曖昧に笑っていた。
父が少女に教養を身に付けさせた理由は、全知全能の神の器として相応しくするためだった。少女は厳しく躾けられていたし、素直な心の持ち主であったため、父に逆らい、歯向かうことは出来なかった。
その結果、少女は実験の被験体になっている。
「召喚三秒前。……二、一」
刹那、少女の肉体は雷に貫かれるような衝撃に襲われた。
***
「……私、は」
死んだのだろうか。
「……」
目の前に知らない少女が立っている。
「誰?」
少女は一瞬、猛烈な怒りを露にしたが、何を思ったのか、急に哀れむような目を向けて来た。
「……哀れな人の
少女はそう呟いて、消えた。
***
「おい」
「……」
「おい、おい! 大丈夫か?」
「…………あ」
気付くと見たことのない木目の天井と見知らぬ顔があった。年は一回り上だろうか。少し目つきは悪いが、害意は感じられない青年だった。ずっと買い替えていないのか、よれた白衣を着ている。
研究所で父の助手である男の人達と話す機会があったので、少女はさして動じていなかった。ただ、初めての外部の人間だと思っただけだった。
「お前、爆発事故に巻き込まれたんだぞ。何故か、打ち身しか怪我がなかったけどな。あんな廃村に工場があったとは。恐ろしい話だ」
「ここは」
青年の言葉から実験のせいで研究所が吹き飛んだことを悟った。少女は状況をもっと把握しようと口を開いた。
すると、青年はぺらぺらと事故の顛末を語った。
「俺の診療所だ。こんな貧相な見た目でも医者だからな。ここは、あの廃村から程近い村だ。この辺は辺鄙だからな。いきなり裏山が吹っ飛べば、人が駆けつけるってもんだ。……お前しか、生きちゃいなかったが」
「そう、ですか」
少女は父の死を知った。しかし、さして感情は湧いてこなかった。実験の贄に使った怒りもないのに、父を悼む気持ちも湧いてこない。
夢を見ているような、ふわふわした不思議な気分だった。
「お前、名は?」
「……
「何か苗字みたいな名だな。苗字は?」
「……知らない」
知っていたが、口にすれば面倒なことになる。父は、決して苗字を人に告げるなと言っていた。今思えば、国家から手配でもされていたのかもしれない。危険な思想の持ち主として。
「まあ、あんな廃村に住んでたんだ。この国の文化も廃れちまったのかもな。俺は
「……そうなの?」
「そうだ!」
幸風はふと瞬きする。
「そういや、身寄りがなくなっちまったのか。お国に預けてもいいんだが、扱いが雑そうだしな。……お前、俺の助手する気はないか?」
「助手?」
「そう。診療所だからな。俺だけでも回せるが、手伝ってくれる奴がいると助かる」
天美は思案する。
あの実験が成功したのかもわからない。事前に割り出した成功率は低かったし、きっと失敗している。小さな診療所とはいえ、医学の心得のある者の近くにいた方が安心だ。都会に出てしまえば、身元が露見した時、禁忌の被験体として隔離施設に収容されてしまう危険性が出てくる。このような田舎にいる方が、安全と言えた。
「では、お願いします」
「おう。労働条件は三食寝床付き。お小遣いも別途出してやるから安心していいぞ」
「……あの、私これでも十八なのですが」
そう言うと、幸風は目を丸くした。
てっきり、もう少し年下だと思っていたらしい。
***
気付けば数年が過ぎた。
外部の人間の暮らしは学んでいたし、研究所で育ったとはいえ、多忙な父に代わり家事の一切を担ってきたため、さして苦労はしなかった。
ただ、強いて言えば。
「天美」
「何でしょう。幸風」
「お前、いい年頃だろう。縁談の一つや二つ、受けた方がいいんじゃないか?」
「いえ、お構いなく」
天美の年齢を知った幸風が妙に父親のような、親戚のような気遣いを年がら年中する点は頂けない。
この辺りでは今でも年頃になると身内が縁談を持ってきて結婚する風習があるらしい。もちろん、自由恋愛が禁じられている訳ではないが、人が少なすぎてそんなことは滅多にないそうだ。
「それを言うなら、幸風も独り身です」
「俺は好んで独身を貫いているからいいんだ」
「では、私もそのように」
こんな会話を一週間に三日はする。
だが、天美が結婚はしないと断る度に、幸風はどこか安心したような空気を纏う。
天美は不思議でならなかった。
そんな、ある日のことだった。お節介で有名な近所の主婦が腰を痛めて診療所にやって来た。
「そういや、天美ちゃん」
村医者の助手、天美の存在は村の優しい気質のおかげか、すぐに溶け込んだ。
「あんた、幸風とはどうなんだい?」
「どう、とは」
「え? まさか、まだ気付いてないのかい? 幸風ったら、あの事故の時さ。森に倒れてたあんたを助けてね。随分と綺麗な顔立ちしたあんたに一目ぼ」
「おっかぁ、余計なことは言うな! おら、湿布!」
「おやおや、いいところだったのに」
「ちっとも良くない!」
「全くこの子は昔から不器用なんだから」
因みに、幸風は生まれて間もなく山の事故で両親を亡くし、この主婦が丁度乳飲み子を抱えていたことから、孤児となった幸風を引き取って育てたそうだ。
この主婦の家は村の名士であるため金には困らず、幸風は数年間都会に出て医学を修め、生まれ故郷の力になりたいと言って再び村に舞い戻ったという。
「……幸風、さっきの話は」
「捨て置け」
地雷を踏まれたのか幸風は苦虫を百匹は嚙み潰したような渋面を浮かべている。
「しかし」
「気になるのか?」
不機嫌さが丸出しの剣呑な目を向けられても、天美は平気だった。もう慣れたし、何より話が気になる。
「まあ」
「……」
幸風の瞳から剣呑な色が消え、代わりに切実なものが宿った。
ピンと室内の空気が張り詰める。こういったことは、ここで暮らすようになった数年間に何度もある。飯時だったり、寝る前だったり、朝だったり。
幸風が腹を括ったような顔をして、天美に手を伸ばす。
その時だった。
天美の視界が大きくブレた。
「っ」
平衡感覚を失い、倒れる。
「天美!」
幸風が咄嗟に天美を抱き留める。
「お前、また発作が」
「……」
「天美?」
天美の顔面は蒼白だった。何か恐ろしいものを見たような怯えた目をしている。
「どうした」
「……私は」
私は、もう保たない。
***
時折、発作のような謎の症状に襲われた。平衡感覚を失ったり、意識が飛んだり。
その時は必ず視線の向こうに強い光が見えた。天美はそれを掴もうと手を伸ばすのだが、いつも届かなかった。
けれど、今日は違った。
光の向こうから、事故の際に見た少女が現れたのだ。そして、天美を指さして告げた。
「其方は、もうじき死ぬ」
***
それを聞いて、天美は確信した。
あの実験は成功していた。奇跡は起こっていたのだ。
この身には神が宿っている。父の設定通りなら、豊穣の女神がこの身に居る。
振り返ってみれば、天美が村にやってきてから、毎年豊作だと村人が喜んでいたような。そのせいか、豊穣の娘さんなんて呼ばれてもいたが、本当に自分が豊穣を招いていたのだ。豊穣の女神を身に宿しているために。
ならば、光の中にいた少女は女神の本体なのだろう。
「……何のメンテナンスもせずにいれば、確かに」
神通力に人の身体が耐え切れず、崩壊するのは道理だった。
「死ぬ、のか」
いつまでこの身は保つのだろう。いつ、この身は滅ぶのだろう。
天美は先の発作から、起き上がることが出来なくなった。もう、運動神経がイカれてきているらしい。
会話能力と自我が正常なだけマシかもしれない。
「……幸風」
礼くらいは言っておきたかった。
きっと死の瞬間は呆気ない。コンピューターの電源が落ちるようにブツリと逝ってしまうだろう。
小さな声だったが、幸風は診療所から母屋に来てくれた。もしかしたら、ずっとこっちの様子を気にしていたのかもしれない。
「どうした、天美」
「これまで、本当にお世話になりました」
「……」
「私は、貴方に助けられて嬉しかった。ならず者に拾われていたら、とうに死んでいた」
「やめろ」
「家族以外の者と暮らすのは初めてのことだったが、楽しいことは多かったと思う」
「黙れ」
「私がいなくなったら、村の皆が寂しがるかも」
「その前に俺がやってられんわ、大戯け!」
幸風が怒鳴って天美の身体を搔き抱く。
天美はそれでも動じない。神が宿っているせいだった。人の心というものが、神と融合していることで鈍ってしまっていた。
「聞け。俺が必ず救ってやる。治療法を探す。だから、そんな今生の別れみたいなことは言うな」
「幸風」
「惚れた女すら救えなくて何が医者だ。俺は絶対に諦めない」
「……!」
天美がようやく身動ぎする。そして。
「……惚れ、た?」
「そうだ。お前を助けた時に一目惚れしていた。俺は、ずっとお前を好いていた」
「幸風……」
真剣な眼差しを注ぐ幸風の頬に、天美がそっと触れる。彼女の頭の中は既に白んできていた。限界が近いおかげか、天美の思考に人間らしさが戻ってくる。この数年、鈍っていた感情が胸の底から溢れ出す。
天美は懸命にそれを言の葉に乗せようと口を動かす。
「嬉、しい。……私、も……よ」
やっとの思いで天美は身を起こし、自分の頬を幸風のそれに寄せる。
「ああ。なおのこと、お前は死んではいけないな。俺と幸せになるんだ」
「ゆき、か、ぜ……貴方を、私は……
そこで言葉は途切れた。
糸が切れるように。
電源が落ちるように。
被験体が動くことは、二度とない。
神降ろしの被験体 土御門 響 @hibiku1017_scarlet
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