聖月の瞳は新月の色

真砂 郭

血の契約

 真昼の蝙蝠コウモリは何処にいた

 青い空にはいないのは

 眩しいから居られないせい

 ヒトはそう言った


 翼は黒い真夜中の

 星無き夜の

 コラージュだ


 夜をのぞき込む

 漆黒の瞳の君がいる

 黒曜石の眼差しが

 怖いくらい

 こわくら


 切り下げ髪の女子高生

 いとこの一人

 会ったことはなかった

 親戚の

 聖月みづきという名前のキレイな子


 口数は少ないけど

 同級生の誰よりも鋭くて

 剃刀のように冴えている

 触れたくて

 触れられない


 僕は見つめていた

 大人びた顔つきで

 頬杖をついている

 ため息なんかついたりしない

 ついているのは僕の方


 黙ったまま

 見惚れている

 好きとかどうとかいう前に

 憧れていた


 こういうヒトがこの世にいることが

 僕にとっては一種の奇跡

 奇跡を前に僕は言いよどむ

 どういえばいい

 どうすればいい

 僕は独りで考える


 恋というには幼すぎて

 きっかけは唐突すぎる

 夏の日だった


 叔父夫妻の一人娘

 背筋を伸ばしまっすぐな瞳

 物怖じはしないけど

 こころが何かを言いそびれ

 置き去りになってしまった

 迷子のように

 言葉を選ぶぎごちなさ


 深窓の令嬢なんて

 見当違いというモノだった

 孤児の彼女を

 叔父夫妻が引き取ったと

 両親が言っている

 訳あっての事という


 訳って何だろう

 好奇心というより

 気がかりだけが募ってゆく

 大人の都合は知らないけれど

 聞かないほうが

 よさそうだ

 僕のズルさが顔を出す


 口がきけない理由がまた増えた


 夏休みが終わったら

 彼女は転入生に

 僕の学校に通う日々

 クラスは違っても

 彼女のうわさは耳にする


 良いものもあれば

 悪いものもあった

 信じたくないものは

 聞きたくもない

 嫉妬するほど僕の気持ちは

 恋になっていた

 そういう噂だった


 それでも平穏な日々は続く

 そう思っていた

 ついさっきまでは


 人気のない放課後の教室で

 彼女と出会う約束をした

 再会に気もそぞろ

 どうして今まで何もしてこなかったのだろう

 どうしてこれまで何も言えなかったのだろう


 怖かったんだ

 たとえ好きでも怖かったんだ

 彼女の何もかもが

 触れてはいけない秘密の言葉

 好きだと言ってしまったら


 もう引き返せない

 もう取り戻せない


 僕のカンがそう叫んでいる

 何より言いたいはずなのに


 教室の扉の前で「聖月さん」と声をかける

 それくらいには親しくなっていた

 彼女が家を訪ねた際に機会があった

 それは成り行き上でも

 お互いを名前で呼び合おうと約束していた


「そうしましょう?」


 かまわないわね?初めて聖月は微笑んだ

 その口元は花びらのようにほころんで

 見つめる瞳は鏡のように

 僕の姿を映し出し

 泉のように澄んでいる


 二人きりの約束に

 僕は無邪気に舞い上がっていた

 クラスが離れ離れでも

 彼女の姿を見かけると彼女から

「裕一郎」と語りかけた


 聖月は微笑むでもなく

 さりとて邪険にもしない絶妙のさじ加減で

 僕の心を震わせる

 クラスメートはさっそく騒ぎ立てたが

 その媚びを売らない彼女の仕草には周囲もいつしか

 平気になった

 騒がれなくなったころから

 彼女とは距離ができた


 すれ違っても応えない


 何が気に障ったんだろう

 そのころからだ

 よからぬ噂が立つようになったのは


 誰も真相は知らないのに

 そんな噂話には尾ひれがつく

 とりとめもないのに

 何かが不安にさせるそんな気配が

 彼女の周囲を取り巻いた


 僕は入るよと声をかけ

 扉を開けたのとすれ違いに

 ひとりの男子生徒が飛び出した

 一目散に廊下の向こうに駆けていく


 ぶつかりそうになるくらい

 勢いをつけたその生徒をかろうじてかわしたとき

 彼が蒼白な顔色で怯えるような視線を

 教室の中へ向けていたことを

 僕は見て取った


 僕は慌てて中を見た

 聖月は机の上に腰かけて

 制服の胸元のリボンを結びなおしている

 ほんのちょっと戸惑ったけど

 二人が何をしようとしていたかは

 一目瞭然だった


「ごめん!」

 僕はとっさに謝っている

 考える暇もない

 後ろめたさがそう言わせていた

 見てはいけないものを見た

 それが実感だ

 いけないことをしてしまった


 そんな僕を聖月は見つめている

 同情のかけらもない褪めた視線が

 僕の心に突き刺さる


「早かったのね…」


 もうちょっと後でもよかったのにと

 彼女はつぶやきながら夕景の映る窓を見る

 それは恥ずかしいというより

 僕の慌てぶりを見て同情したかのようだ

 実際そうなのだろう


 聖月は不意に笑った

 やがて含み笑いに変わったそれは

 いかにも世慣れした風のふてぶてしさすら感じさせる

 僕は聖月に子ども扱いされていることに

 急に腹が立った


「やめろよ!そんな笑い方。そんな、そん…」

 ちくしょう!悔しいが後が続かない

 こんな彼女に動揺している自分が情けなかった

 さっきまでの高揚感がウソのよう

 何もかも台無しにされた気分


 聖月はその様子を眺めながら

 ゴメンなさいと謝った


「気に障ったのなら謝るわ、でも…」

 でも?僕は聞き返す

 だったらなぜ?という疑問に蓋をするように

 彼女は言葉を継いだ


「君の気持ちは分かっていたわ、裕一郎」

 だからアナタを呼んだわけ

 聖月の表情から笑みが消える

 僕はゾッとする

 うれしいとは感じなかった

 それは予感だが

 疑うべくもない恐怖の始まりだった


 聖月は机からそっと飛び降りる

 軽やかだが何かが違う


 彼女の視線が僕を凝視する

 見開いた瞳は満月のよう

 でも光を吸い込むように真っ暗なそれは

 何も映してはいない漆黒の闇だ


「裕一郎、そこにいて」

 彼女は生気のない声でぼそりとささやいた

 その途端に

 僕の体は動かない

 指先一本はおろかまつ毛一本揺らせない

 何なんだ何が起こった?


 僕は入口のところで立ちすくんでしまっている

 全身に汗が噴き出す

 動けないが脚は震えていた

 ゆらゆらと聖月の姿が斜陽の中に揺らめいている

 それはいびつに歪んだ鏡に映りこんだ虚像のよう


 悲鳴を上げたい

 でも出来ない全身が総毛だつ

 助けて…誰か、声も出せないダメだ

 僕は絶望する

 もう駄目だ…


 その時だ

 聖月は歪んだ声で言う

 暗がりの洞窟の中から響くように


「その扉を越えた時に私たちは分かりあえるのよ」

 アナタが望めばそれは叶う

 だから来て頂戴

「あなたの意志で決めるのよ」

 聖月の声が僕の耳元に忍び込む

 囁いて、

「それが血の契約」

 私たちは契りを結ぶの

 永劫の時を共に生きる権利を得るわ

「だからワタシに血を頂戴、ほんの少しだけ」


 もう聖月の姿は闇に溶け込んでいるかのよう

 暗がりに瞳だけがギラギラ光っている

 誘うような仕草が揺れている

 魔性の気配が忍び寄る


 そして僕の足はその一歩を踏み出そうとしている

 それは自分の意志なのか

 それとも彼女の願いなのか

 陶酔する感覚に支配され僕は彼女にあらがえない


 夢が叶うだけじゃないか

 何をためらう必要がある


 僕は正気を失った


 聖月は僕の耳元でささやいた


「ゴメンなさい、坊や」

 これが私たちの”しきたり”なのよ

 怖かったかしら

 だから怯えているのね


 ワタシはアナタを選ばないの

 今はそう決めたのよ


 さっきはあなたに邪魔をされたから

 仲間の手前もあっての事なの

 本意ではないけれど驚かしてしまったわ

 故あって仕方のないことなのよ


「許してね」


 裕一郎はもう彼女の言葉は聞こえないが

 酔いしれる感覚に溺れるままになっている


 それは彼女も分かっていた

 それでも聖月は言葉を継いだ


「それでも、いつか私は戻って来るわ」

 あなたの成長を待つつもり

 その時が来たら

「もう一度会いましょう」

 あなたがふさわしいヒトならと聖月は告げる


 その時こそは

 その時こそ裕一郎


「あなたはわたしといつになる」


 齢を重ねた魔性は聖月の身体を抜けだした

 それはヒトならぬ化生のモノ

 聖月の身体は水飴のように溶けだすと

 抱きつくようにしなびて崩れた


 聖月だった粘液上の滓を浴び

 裕一郎は横たわる

 用務員に発見されて

 病院で手当てを受けるが

 何の異常も見いだせない


 何も知らない覚えていないと

 繰り返すは裕一郎

 警察の事情聴取を終えて家に帰るが

 聖月のことを尋ねると

 見たこともない知らない娘が

 彼女を名乗り現れる


 こんな子は知らないと言い張るが

 誰も本気に取り上げない

 いぶかる彼女の顔を見るうちに

 結局は彼女を聖月と受け入れる

 いつしかそんな気がする僕だった


「一緒に帰ろ」

 僕の知らない制服姿の聖月が

 僕を誘って

 学校からの帰り道

 初めて会ったような違和感が

 どうしても

 拭えない僕だった


 先を行く聖月が振り返る


「ワタシは君を待っている」


 何処かで聴いたその声は

 思い出せない誰かの声

 懐かしくて

 ちょっぴり怖い

 そんな声


 聖月は、はっとした顔で

 アタシ何か言ったと尋ね

 僕はいや、何も聞かないよと言う


 僕は何かを知っていた

 いつか思い出すのだろうか

 駆け出した聖月を追いかけて

 僕も駆け出す


 無邪気なはずの

 聖月の声が

 今は何故かうつろに響くのは

 気のせいだろうか

 僕にはそれも分からない


 それでも

 やっぱり

 本当の聖月がきっと

 何処かにいるはずだ

 きっとそうなんだ


 今はそう思うようにしている

 僕の聖月は待っている


「そうなんだろ、聖月」


 なぁに、と目の前の少女は聞き返す

 聖月という知らない女の子が

 裕一郎の手を取った

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聖月の瞳は新月の色 真砂 郭 @masa_78656

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