日の差さない地下室より

 ベッドの下に隠されたごく狭い入口の向こう、日も当たらない冷えた地下室。蚕棚のように縦横に張り巡らされたパイプの一つ一つにスーツケースが乗っている。報告する刑事の声音も、室温同様に冷えてこわばり硬かった。


「……警部の仰るとおりでした。スーツケースに人骨が。中にビニール袋に包まれた名札があって、養護施設から行方不明になっていた児童のものと一致しています。全く信じられません。なんでここに、Aの自宅の地下にこんなものが……」

「ああ、正直、ここまで大勢が犠牲になってるとは思っていなかった。『我が子を亡くした悲しみから、災害遺児やホームレス、身寄りのない者によりそう篤志家』という名声の陰で、こうして獲物を見繕っていたんだな」

「でも、一体なぜなんです? どうしてAはこんな事を……それに、どうして警部はAの企みに気付いたのですか?」

「俺にも分からん」

「え?」

 あっさりと言い放つ警部に、刑事は戸惑う。

「Aが何を考えて、どうやってここまでの殺人をやりおおせたか、それは俺にも分からない。分かったのは、X病院の事件で"Aだったゾンビ"が何を考えていたかだけだ」

「ええと……すみません、話が見えなくて」

「ふん、あのゾンビの目的はな……あー、順を追って話すか」

 妙に歯切れが悪いな、と考えてから刑事は気付く。念願の大手柄だというのに、警部の口調からは興奮や高揚が感じられない。むしろ、鉛のように重く沈んでいる。


「一応事件に取り掛かる前に調べたんだが、ゾンビっていうのは俺らと大して変わらない物を食ってるんだろ? 『昨日までカレーやラーメンを食ってた奴が、ちょっと病気したからって喜んで人肉を食うようになるなんて、それは映画の中だけの話だ』と言われれば、まあそんなモンかとも思う」

「ええ。ですが……」

「そうだ。実際にゾンビが人を食う事件は起こった。何が起こったんだろうな。お前はどう思った?」

「ええと、例えば『事故、あるいはテロによる人為的な遺伝子操作でウイルスが変異して、凶暴な個体が生まれた』とか『何らかの行動、タブーを破ってしまった事がトリガーとなって、知られていなかった習性や元々秘めていた凶暴性が目覚めてしまった』という話を見た事があります。……それこそホラー映画の中の話ですが」

 急に話題を振られ、うろたえつつ答える刑事。概ね予想通りの答えだったらしく、警部はゆっくりと頷く。

「だよな。ところが、今回の事件ではウイルスをどんなに検査しても他のゾンビと何も変わらないというし、少なくとも動物実験ではゾンビにヒトや同族を食わせる事はできなかったという。お手上げだったんだ」

「それは……」

「初めは誰かが嘘をついていると思っていた。ゾンビの保護施設が住民の反対運動を抑えるためにゾンビの危険性を隠蔽している。雑誌の記事は見てきたような嘘を書いているだけで実際はただの事故、あるいは正気のAによる殺人。何なら、国の検査機関はゾンビの凶暴化因子を突き止めていたが、軍事利用するためにその事実を隠しているとかでもいい。可能性は何だってある」

 様々な仮説を挙げる警部の口ぶりは、どこか投げやりで、上の空だった。もう少し先にとても嫌な事が待っていて、目の前の話に集中できないとしたら、このような感じになるだろうか。

「……だが、ちょっとそれは現実味に欠けるんだよな」

「ええ、全国のゾンビ保護施設がずっと口裏を合わせているというのは無理があるし、ゾンビを軍事利用するというのもメリットがなくて荒唐無稽過ぎる気がします。雑誌の記事にしても、関係者に聞き取った限りでは概ね正確なもので、少なくとも、捜査で得た情報との矛盾はありませんでした」

「そうだ、結局、誰かが嘘をついているとは考えにくい。……だから逆に考えたんだ。もし全ての証言が本当だとしたら? 矛盾しているように見えるのは情報が足りないだけで、全部説明できるやり方があるとしたら? そう考えたら、全部の筋が通る説明を、一つだけ思いついてしまった」

「そのやり方とは?」

「……さっき、"Aが何を考えていたか分からない"と言ったな。あれは半分嘘だ。Aが何をしたくてこんなに大勢の人間を殺したのかは分かっている。分からないのは、何でそんな事をしようと思ったかだ」


 また急に会話が噛み合わなくなったな、刑事はそう訝しんだ。さっきから、警部の話は妙に遠回りをしている。まるで、核心に触れるのを少しでも後に延ばそうとするように。

 たっぷりと間を空けてから、警部は結論を口にした。


「もう一度言うが、結局、全部が本当だったんだ。雑誌の記事にあるように、Aは看護師を食った。何でそんな事をしたのかと言えば、それはゾンビになったからだ。だが、そのゾンビは別にウイルスの突然変異で人を襲うようになった変種ではなく、これまでに知られていなかった習性があった訳でもない。ありふれたゾンビが、ありふれた行動をおこなっただけだったんだ」

「それは、つまり……」

「ゾンビの食習慣は生前と大して変わらない、ゾンビは保守的だ、だったな。Aもそうだったんだ。だけだったんだ」

 ふーっと大きなため息をつき、ぴしゃりと頬を叩き、警部の表情が力強いものに切り替わる。無駄話は終わりだ、というサインだ。

「さあ、家宅捜索を続けるぞ。遺留品や遺体の痕跡を徹底的に探せ。重点捜査の対象は、食卓と厨房だ」


 -了-


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ゾンビ食人事件 @IEND

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