それが私の考え過ぎだったとしても。

雪子様に心残りが、戦争について曽祖父様に聞けなかったことの他に、まだあるのかなぁと感じました。
曽祖父様の人生は、105年という長い年月の中で『戦争』に翻弄されただけが人生ではなく、少なくとも、その後に起こった経験の中に、雪子様が存在する出来事があって、今に繋がっている。語り継ぐだけが、語り継がれていくことではないような気がします。
もちろん、『戦争』についての『事実』は、歴史的な事実としてあり、実際どうだったのか。経験者にしか分からないことがたくさんあり、綺麗事でもなく、後悔だけでもなく、それでも今を、これからを、生きていく者として、『知るべきだ』という風潮はあるかと思います。
だけど、曽祖父様をーー『戦争を体験した貴重な存在』として認識していることの証明のように感じられたーーと仰るように、それくらい戦争とかけ離れた生活を私達はしていて、雪子様の学びたい、知りたい、でも。。という葛藤が、血の繋がった曽祖父様に対して思われたそのお気持ちが、『受け継がれたもの』であることも歴史的な真実であるような気がします。
それが、私の考え過ぎであったとしても。です。
素敵な文章でした。

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