平和な日本に激動の昭和の世界大戦の語りは確かに重要であります。
けれど、語らなかったことには理由があって、それは自分ごときの若輩者には想像しえぬ葛藤だったのだと思います。
あの戦争はあまりにも常軌を逸していて世界の多くの人々に爪痕を残しました。
広島の原爆ドーム前や資料館を見ましたが、悲惨さが滲み出ていました。
曾祖父様が黙しておられたのはご自身の信念に基づくことだったのかも知れません。
知らない者に語ること。それはご自分の傷と向き合う痛みだったのかも知れません。
ただ、判るのは曾祖父様は貴女様を愛されておられたという事実のみです。
何の慰めにもなってなくてごめんなさい。
雪子様に心残りが、戦争について曽祖父様に聞けなかったことの他に、まだあるのかなぁと感じました。
曽祖父様の人生は、105年という長い年月の中で『戦争』に翻弄されただけが人生ではなく、少なくとも、その後に起こった経験の中に、雪子様が存在する出来事があって、今に繋がっている。語り継ぐだけが、語り継がれていくことではないような気がします。
もちろん、『戦争』についての『事実』は、歴史的な事実としてあり、実際どうだったのか。経験者にしか分からないことがたくさんあり、綺麗事でもなく、後悔だけでもなく、それでも今を、これからを、生きていく者として、『知るべきだ』という風潮はあるかと思います。
だけど、曽祖父様をーー『戦争を体験した貴重な存在』として認識していることの証明のように感じられたーーと仰るように、それくらい戦争とかけ離れた生活を私達はしていて、雪子様の学びたい、知りたい、でも。。という葛藤が、血の繋がった曽祖父様に対して思われたそのお気持ちが、『受け継がれたもの』であることも歴史的な真実であるような気がします。
それが、私の考え過ぎであったとしても。です。
素敵な文章でした。
戦争は語り継がれるべきかと私は考えていて、
何故なら、唯一、国が自国の兵士に殺人を命令するから…
そこに個人の考えは尊重されません。
逃げれば非国民、脱走兵として逮捕されます。
父方の祖父は軍医で満州開拓時代に満州に父を含めて家族渡航しました。
結局戦争により、祖父はシベリアに抑留され、父以外の家族は全員亡くなられ
一人で日本に帰ってきました。祖父もシベリアで亡くなってます。
そのせいか、父は、他人の世話になる事が全く気にならない性格でした。
それは、戦時中一人で生き抜いた、生きる本能がそのまま性格に定着してしまったのでしょう。
そのせいか、父の目に余る非常識的なことは、戦時中の話を聞くと
許せるようにもなりました。そのためには知って良かったことでした。
色々な意味で過ちは二度と起こさないと思うのであれば、
戦争経験者の体験談は貴重だと、再認識させられるお話でした。
『僕個人の考え』としては、データとして、戦争の歴史は知っておいた方が良いと考えます。
ただし、『語り継ぐ』となると、意味合いが少し、変わってきます。
語られると、当然、聞く事になります。
僕のように、『過去のお話』『他人事』『反面教師』『武勇伝』『悲惨だった出来事』と、割り切って聞く事ができる人達だけならば、問題はないでしょう。
しかし、語り手の心情をより鮮明に、思い浮かべてしまう人達が聞いてしまうとそれは、その人にとっての『新たなツラい経験』として、追加されてしまう事にもなるのかも知れません。
それが、親しい人物の口から語られるなら、尚更です。
我々人類共通の、悲惨な過去を、見るべきなのか、聞くべきなのか、知る事だけに止めておくのか、それとも、敢えて聞かずに、前を見るべきなのか。
それを考え続ける事『自体』が、大切なのではないでしょうか。
良い悪い、正しい正しくないではありません。
皆さんも、『考えて』みて下さい。