後編
道を歩いていると後ろから先ほどの女性が追いかけてきた。
「待って。私も一緒に行っていい?」
僕は立ち止まった。
「行き先は荒れ地だよ。何もないところさ」
彼女は不審がる様子もなく頷いた。
「どこでもいいから。あなたが行くところに行きたいの。私、ラメナ――」
「僕の近くにいると嫌な目にあう。だからついてこない方がいい」
「でも……」
彼女の言葉を聞かず、僕は歩き出した。雨は少し小降りになっていた。
周囲の景観からは緑が少なくなり、どこまでも暗い荒れ地が続いていた。
未だに彼女は僕の後ろを着いてきていた。一体どこまで着いてくる気なのだろう。これでは自らの破滅に彼女まで巻きこんでしまう。
早いうちに帰って欲しい。
僕は歩みを止めてそこに寝転んだ。歩き疲れたので、そこで少しのあいだ休もうと思ったのだ。
彼女は雨の範囲に入って同じように座った。
僕は立ち上がり、ちょっと移動した。彼女が雨に濡れているのが気の毒だったので、雨の外に出してあげようと思ったのだ。
しかし、僕が移動すると彼女もついてきた。
僕は走った。荒野を全力疾走した。
息が切れて膝に手をつく。
ビショビショの髪から雫が垂れる。
後ろに彼女の姿はなくなっていた。
僕は倒れ込むようにしてその場に伏せた。荒野は雨でドロドロになっていた。
このまま雨に溶けてしまいたい。そうして地面に吸収されてしまえばいい。
仰向けになって手足を広げ、大の字で雨を見た。
にゅっと視界にラメナの顔が現れた。
「まだ着いてきてたのか」
「急に走り出して倒れるものだから心配したの」
「僕みたいな人間を心配してると身を滅ぼす。わからないのか? 僕は雨を連れて生きているんだ。だから僕に着いてくると不幸になる」
「あなたが雨を降らしているのはわかってる」
僕は眉をひそめた。
「何だって?」
「あなたが雨を降らしているとわかった上で、一緒に行きたいの」
こいつは何を言っているんだ?
頭がおかしいのか?
「鬱陶しいから着いてくるなよ! 僕みたいな迷惑しかかけない奴は一人で野垂れ死にすれば良いんだ!」
こんな怒号を飛ばしたのは初めてかもしれない。
それも出会ってまだ一日も経っていない女性に。
彼女は悲しそうな目をしていた。
「ごめん」
ぼそっとそう口にして、僕は俯いた。
彼女は近付いてきてそばに座った。
「私、他に大切な人がいないの」
彼女は静かに切り出した。
「皆いなくなっちゃって、家も無くなっちゃって……あなたしか一緒にいたい人がいないの。だから雨が降っていても一緒にいたい」
顔を上げてみると彼女のまつげが震えていた。
「あなたは私を助けてくれたし、今だって私が濡れないように気を使ってくれたでしょう」
「違う、僕はそんないい人間じゃない」
「あなたは優しい人」
彼女の顔が目の前にあった。
彼女の手がそっと背中に回された。温もりが体に伝わってくる。
僕は震える手でそっと彼女に触れた。
それから同じように優しく、彼女の体を包んだ。
視界が揺らいだ。プールの底にいるときよりもぼやけていた。
一度流れ出した涙は止まることを知らなかった。
僕は声を出して泣いた。体中の悲しみが外に流れ出た。
同時に滝のような雨が降り注いだ。今までで一番あたたかい雨だった。
空の上にもう一つの海があるのではと錯覚するくらい、大量の雨が降り続け、荒野に川を作った。
その中で僕たちは、いつまでもお互いの体を抱き寄せて泣いているのだった。
***
意識を戻したらベッドの上だった。
隣のベッドにラメナが座っていた。
僕の視線に気が付くと、ラメナは僕の手の上に自分の手を重ねた。
「僕の名前はシリル」
彼女はきょとんとした目で僕を見下ろした。
「……今更だけど、言ってなかったから」
彼女は無邪気な笑顔を見せた。僕もそれにつられて笑った。
そこは荒れ地の中にある小さな村だった。
パトロール隊が荒れ地で二人のことを見つけ、連れてきたという。
この村では近くのオアシスが枯れてしまい、長らくの少雨もあって水不足に悩まされる日々が続いていたという。
村ではこの雨を祝う祭りが行われていた。
僕とラメナが外に出ると、子どもたちが駆け寄ってきた。
彼女は子どもと手を取り合って楽しそうに踊った。微笑ましい光景だった。
それから僕らは村長と話をした。
僕が雨を降らせる力について伝えると、喜んでここで生活して欲しいと歓迎された。
いくら乾燥していても、ずっと雨が降っているのは嫌だろうと考え、僕は村から少し離れたところにある空き家を借りることにした。そして定期的に村へ訪れるのだ。
僕は一人で良いといったのだが、ラメナがどうしても僕と住みたいと言ったので、僕らは二人でその家に住むことになった。
村人はとても親切で、子どもたちは僕の雨を浴びるためによく遊びに来た。
こうして新しい生活が始まった。
***
あの日できた川の周りには、少しずつだが草木が生え、土壌も肥えてきているようだった。
僕はラメナと二人、川沿いを歩いていた。
二人で傘の下にいるこの時間が、彼女は幸せだという。
傘ではじける雨の音が次第にまばらになっていき、遂に止まった。
僕は傘を折りたたんで陽光を思いきり浴びた。
何て気持ちの良い太陽だろう。
「おとうさーん、おかあさーん。綺麗な蝶々を見つけたよ!」
サンが虫かごを持って駆け寄ってくる。
まさか僕とラメナの間に息子が、しかもとてつもない晴れ男が生まれるとは思いもしなかった。
「ほんとうに綺麗」
ラメナが蝶を褒めるとサンは高い声を出してはしゃいだ。
彼が持つ「晴れ」の力は僕が持つ「雨」の力と同じくらい強大で、僕たちが一緒にいるとその時々によって天気が変わる。
天気が変わるというのは素晴らしいことだ。地球上で、天気の変化を心から喜ぶことのできる人間はどれだけいるのだろう。
それに気付けるだけでとても幸せになれる。
サンはラメナの手を引いて虫を捕りに走って行く。ラメナは僕のことを手で招きながらサンの後を追う。
その場所が合わない人間も、どこか違う世界では求められているのではないかと思う。
何事にも向き不向きというのはあるものだ。その場所でどんなに嫌われているように思えても、少し違った居場所ではきっと役に立てる。
やまない雨はない、なんていう言葉がある。
僕は今、その言葉を信じている。
そしてもう一つ、気が付いたことがある。
やまない雨も悪くない、ということだ。
今でも相変わらず、一人でいると雨に降られる。だけど、その雨がそれほど嫌いなわけでもない。
何といったってラメナに会えたのも、サンに会えたのも、この村に住むことができたのも、全てやまない雨のおかげなのだから。
掌に冷たい感触。
「雨……」
陽差しの中に降り注ぐ雨。天気雨だ。
「見て!」
サンが指差した先の空には虹が架かっていた。
「お父さん! あそこまで追いかけっこ!」
言いながら駆け出すサン。
ラメナと目を合わせてから、僕も後を追って走り出す。
今なら虹まで届きそうな気がした。
雨男は虹を追いかけて 滝川創 @rooman
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