最終話 ヨーロッパ一人旅(夏編) 後編
そして8月16日。最後の地、ユングフラウの麓の町、ラウターブルンネンにやって来ました。
ケーブルでユングフラウに登るにも、その眺望を楽しむにも、じっくりとハイキングを楽しむにも、はたまたショッピングを楽しむにも、殆どの観光客はグリンデルワルトに宿泊します。
ラウターブルンネンは深いV字型の谷底の町で、有名な山は見えません。マラソンのコース上20~25km地点に位置しており、この25km地点から勝負どころの山登りになります。
グリンデルワルトで日本からのマラソンツァーに合流するまで、ここを拠点に大詰めトレーニングと、ユングフラウのハイキングを楽しむ事にしました。
今回の3ヶ月の旅の中で、ここでの1週間が最も充実していたように思います。 午前の好天の中、20km地点からゴール近くまで、4日間ほどゆっくりジョギングしてみました。
その後、登山電車の駅に隣接したレストランのベランダで、アイガー、メンヒ、ユングフラウの超美人3姉妹を眼前に見ながら、食事をすると言う大変贅沢な時間を過ごし、午後から、3姉妹を眺めながらホテルに帰ります。
通常は元来た道を引き返すのですが、2度程あまり人の通らない細い山道を下ってみました。
途中に小さな家があり庭があったので行ってみると、とても可愛い女の子が笑顔で、小さな垣根の中のドアーを開けて招いてくれました。
その純真な可愛さに引かれ、谷間の見下ろせるベランダに腰を下ろし、コーヒーをオーダーしました。その家の孫娘と思われますが、ウェイトレスとして貴重な戦力になっているようで、トレイにカップまけまけのコーヒーを持ってきてくれました。
テーブルに置くとき少し撒けましたが、愛嬌たっぷりに“わあー、失敗しちゃった!”といった表情が何とも愛らしく、すっかり彼女のファンになってしまいました。いくつになっても青春で、惚れやすい私めの面目躍如といったところ。
カナダの旅の時、赤毛のアンの島でカナダ人の女性に恋心を抱きかかったことがありましたが、今回はそれはありませんでした。というのもその娘はあまりにも私には若すぎました。外人さんの年齢は分かりにくいのですが恐らく、5歳か6歳ぐらいだと思いますね(笑)。
丸1日ハイキングの日もありました。崖の上からスカイダイビングをしているのも見ました。村の祭でヨーデルも聴きました。
8月24日。 日本人観光客の大好きな町、グリンデルワルトに移動しました。 レース8日前です。観光地だけあり同じレベルのホテルの宿泊料金は1.5倍にはね上がりました。この地で29日に日本からの“ユングフラウマラソンツァー”に合流します。
それにしても日本人観光客は多いです。帰国したような錯覚を感じるぐらい。 日本食が恋しく、日本のレストランにも入ってみました やはり寿司はうまい。
8月29日。 マラソン仲間に合流しました。男ばかり、30代前半2人、60代前半2人、それに52歳の私に応援のカメラマン1人、現地在住の女性添乗員1人の計7人です。
翌日、昼間はユングフラウヨッホまでの登山電車による観光をした後、夜は全員でディナー。それにしても1人のときはあれほど天気が良かったのに、みんなに合流した途端、空模様が怪しくなりました。
8月31日。 レース前日、スタート地点のあるインターラーケンに下ってきました。みんなで連れ立って受付を済ませました。雨が降ったりやんだり。晴れて欲しい。
9月1日、レース当日。 ついにその日がやって来ました。願い空しく小雨。 雨男はだ~れだ?
ず~っと以前に“いつかは出たい”と夢見ていた、憧れの“Jungfrau Marathon”。今まさにその憧れのレースのスタート地点に居ると思うと、何だか1人感動的。4人の仲間がいてくれるので助かります。
スタート地点に向う途中、観光客の若い日本人女性から“頑張って下さい!”と声援され、何か日本の代表になったみたいな変な錯覚に陥り、晴れがましかった事を思い出します。
5時間10分を目標にしました。なぜなら、初参加および前年タイムが5時間10分以上のランナーのナンバーカードの色は、一番遅いグループの色だったから。出場者の50%がそうですけど。
5人で“エイ、エイ、オー!”で気合を入れました。号砲とともに3300人が一斉にスタート。我々も5人が一塊でスタートしました。
事前の談笑で夫々のレーススタイルがわかっていたので、私よりも持ちタイムの良い61歳のイトウさんが公約どおり、私をぴったりマークしてきました。しかし後半型の私のペースが序盤の平坦コースでは遅すぎたとみえ、やがて置いていかれました。この時点でメンバー中最下位になりました。
25kmまでは日本のレースとあまり変わりません。25kmからが勝負です。タイムをチェックすると、5km通過時で28分。普通のペースです。10kmでも56分と一定のペース。
このすぐ後、30代のイケさんを捉えました。10kmからは徐々に上りになりました。勝負前の25kmを2時間25分、予定のタイムを5分オーバーしました。
20kmからは1週間前まで合宿し、練習していたコースなので成果を出さなければ・・・。気合の入れ過ぎか、思ったより早く脚にきました。勝負どころの前にまずいな・・・。
25.5km~28.5kmは急坂の上りで、何度もトレーニングしたコースです。27km地点でイトウさんに追いつきました。私はこの急坂は半分歩きましたが、あとで訊いてみると、イトウさんは90%歩いたそうです。
もう1人の60代のコンドウさんはその前に、気がつかないまま追い抜いたようです。するとあとは30代のニイドメさんだけだ。よ~し、追いつこう。
25km~30kmは40分を費やして、30km地点で3時間5分。悪くない。これから先は天気が良ければ、ず~っと美人3姉妹が見えるはずでした。でも今は小雨が降り続いています。
31kmのヴェルゲンの駅付近では、日本人観光客の声援を受けるはずでした。添乗員の女性(セキヤマさん)を見つけましたが、小雨の精か気付いてもらえず、こちらから声をかけましたが、カメラは間に合わず残念。
31km~39kmは石ころ道を上るのですが、トレーニング中は余裕だったコースがきつく、3分の1は歩いてしまいました。
39kmからは泥だらけ(と言うより牛の糞だらけ)の田圃を上ったあと、急坂のシングルトレールを上り、2km走りきったところで、スイス娘に“ヒヨリ~”と声をかけられ、最後は気分良く下りを500m走って、無事ゴールできました。5時間3分、1617位でした。
4時間48分の好タイムでゴールしたニイドメさんはじめ、メンバー全員が完走できました。今回は天気には恵まれず、美人3姉妹の美しい雄姿も、日本人観光客の沿道からの声援もありませんでした。
ゴールのクライネ・シャイデックも冷たい雨が降り続き、ゴール後の心地良い疲労感に浸る事もできませんでした。それでも、私自身、密かな大目標だった5時間切りはなりませんでしたが、精一杯走りきった満足感は十分で、キリマンジャロ登頂とはまた違った達成感がありました。
またいつの日か、チャンスあれば今度こそ、“快晴の中を我らが大和なでしこの声援を背に走り、最後はユングフラウの雄姿を見ながらゴールしよう!”
先生、これで私の半生記代わりの、海外一人旅・五部作を終わります。
だいたい分かっていただけたでしょうか。私に変化があったとすれば、北海道転勤が転機であったと思います。
蝦夷地でのユースホステルを巡りながらの気ままな一人旅。これが私の変化の原点であると思います。
今度は久しぶりにお会いして、お互いの経験談など、じっくり語り合いたいと思います。
今年は4年ぶりに、四万十川ウルトラマラソン100キロの参加申込みをしました。
出場は抽選で、7月初旬に結果がでます。出場できれば、開催日は10月18日(日)なので、翌10月19日(月)に、先生をお訪ねしてみようと思うちょりますが、先生のご都合はいかがでしょうか? その日は実家で一泊し、20日には戻ります。
小島 見明先生
平成21年6月18日
The End.
海外一人旅(恩師への手紙) 門脇 賴 @chirolin
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