第9話 ヨーロッパ一人旅(夏編) 中編


 そんな事がありましたが、7月6日、今回のメインであるアルプスに入りました。 日本を発ってから丁度1ヶ月です。オーストリアでは3ヶ所でハイキングを楽しみました。

 21年前にダンスホールで盗難に遭ったり、クリスマスや新年を祝った思い出の町、オーバーグルグルが今回も記憶に残っています。以前に宿泊したペンションは名前が分からず、記憶を頼りに捜してみましたが無理でした。後で今回宿泊したペンションの女将に、筆談も交えて訊いてみましたが分かりません。

 この町はスキーリゾートで、今はシーズンオフとみえ、宿泊費は意外と安く助かりました。もっと意外だったのは21年前には、日本人スキーヤーには1人しか会わなかったのに、今回は何組かの団体に会いました。野性の花は山の上部よりも下部のほうに多く見られました。

 レースのことも気になり始めていたので、山へ上る車道をランしてみました。海抜1700mの町の中心から海抜2500mのスキー場まで、標高差800m。初めての高所トレーニングです。天気に恵まれた時は気持ちよく、途中から吹雪に変わったときは寒かった。23年前のカナダの旅で、バンフからジャスパーへのサイクリング途中の吹雪を思い出します。

 7月19日、スイス入り。チューリッヒで予定通り、“スイス・アルパインマラソン”のナンバーカード引換券を入手しました。これによりいよいよ海外マラソンのムードが高まってきました。

 翌日、マイエンフェルトへ。“アルプスの少女ハイジ”の町です。日本人がよく利用する庶民的なホテルに落ち着きました。殆どの人はハイジーロードをアルプ小屋まで歩いて往復します。私はそこからさらに高台に登り、ひんやりとした谷の道を渡り、物語の作者の住んでいた隣村を経由してきました。

 この日、日本から女子高生が同じホテルにやってきました。高校時代に海外一人旅とは何とも羨ましいかぎりです。翌日少し付き合い、翌々日には見送ってもらいました。

 またこの日の朝、ホテルのフロントデスクに季刊誌が積まれてたのでページをめくってみると、“スイス・アルパインマラソン”の出場者リストが掲載されており、自分の名前も見つける事ができ、ますます気分が盛り上がってきました。

 7月23日、ついに現地入り。マラソン開催地ダボスにやって来ました。アルプスにしては、山小屋風のシャレーはあまり見かけません。私のダボスのイメージはスキーリゾートですが、毎年世界経済フォーラムが開催されているし、呼吸器系疾患のサナトリウムがあることでも知られています。もはやそんな事はどうでもよく、頭の中はマラソンの事で一杯になりました。


 マラソン前日だけは旅行社を通じて、やむをえず高級ホテルを利用しましたが、あとは現地で確保しました。以前のナイロビほどではありませんが、高級ホテルは貧乏人には不向きですね。広すぎてトイレへ行くにもバスを使うにも不便です。

 便利な庶民的ホテルの食事は楽しいですね。マラソン参加の宿泊客が私の他にもいて会話も弾み良いムード。毎年この時期に同じホテルを訪れると言う年配者もいました。数日間、緊張が高まってくる中、高山植物咲き乱れる山を歩いたり、麓を軽くジョグして調整し、レース2日前に受付を済ませました。

 翌日、気分を高めるために再度訪れた受付会場で、2人の日本人ランナーに会いました。勝又さんと言う男性は奥様の応援のもとに、私と同じ78キロに出場します。彼と談笑中に話に加わってきた女性は42キロに出場の岩城さん。4人で大いに盛り上がりました。 

 7月28日、ついにその日がやってきました。こうして先生に手紙を書いていると、その日の事が鮮明に甦ります。ほんとについ最近の事のようです。

 朝3人で会ったあと、私と勝又さんは陸上競技場のトラックに並びました。岩城さんに見送っていただき、午前8時、スタートしました。自然の中を走るコースなので楽しさは天候に大きく左右されます。その天候には恵まれました。17年間のマラソン大会で、これほど気持ちの良いレースは初めてです。路面あり、森あり、牧場あり、山あり、それに一部雪渓も。

 高山植物の豊富な自然の中を、存分に堪能することができました。特に印象的だったのは、明るい牧草地に咲き乱れる高山植物の中でもエンツィアン(岩りんどう)の瑠璃色がひときわ光りました。私は子供の頃からりんどうが好きでした。 

 途中数ヶ所、部落を通過します。どの部落でも真っ白い瀟洒た教会が目に爽やかでした。ハイカーの声援からも元気をもらえました。“ホップ、ホップ・・・”と聞こえますが、“hop! hop!...”でしょうか? 冬季オリンピックでもよく聞かれました。 ニックネームで声援される事もありました。“Chiyori”をドイツ語読みで、“ヒヨリ”と発音されました。

 えっ、何それ!?と我が目を疑ったのは、30歳ぐらいの白人の美人女性ランナーがスタート後まもなく、コースすぐ脇の広場で平気で小用を足していた事。もう少し離れると小屋や樹々の陰があるのに、何と言う品の悪さ。日本人でなくて良かった。

 終盤はさすがにへばりましたがちゃがまる事もなく、最後まで好天の中、10時間15分で気持ちよく完走できました。フルマラソンで私より50分早い2時間55分のベストタイムを持っている勝又さんは、9時間38分でゴールしていました。岩城さんは、5時間23分の当コースの自己ベスト(彼女は3度目の出場)でした。

 2人とは帰国後、メール交換をしていましたが、勝又さんは故障もあって登山に転向した後、メールが途切れてしまいました。一方、岩城さんとは偶然1度再会し、その後示し合わせて、3度ウルトラマラソンで勝負しましたが、全て完敗。 こちらは落ち目で、30代の彼女はウルトラでは伸び盛りのようで、なかなか勝てません。


 さて、今回の旅の最大のハイライト、ユングフラウマラソンまで1ヶ月。高地トレーニングをしながらツェルマット、フランス・シャモニー、ラウターブルンネンでアルプスハイキングを楽しむことにしました。ツェルマットでは3つのハイキングコースを全て歩きました。

 年配の人ならともかく、若い人でもゴンドラ利用者が多いのは残念に思います。 ゴンドラ駅近くの展望台からのマッターホルンの眺めは確かに素晴らしい。しかしながら、後方にそびえ立つマッターホルンの雄姿を映した小さな池や、お花畑で遊ぶ事もなく帰路につくのは何とも勿体ないですね。

 白人のハイカーはゴンドラで登り、次の駅まで1~2時間ハイキングを楽しみ、展望台でランチを食べた後、ゴンドラで下りると言うパターンが多いようです。日本からのツァー客は、展望台で記念写真を撮りランチを食べる為に、ゴンドラで往復するパターンが殆どのようです。折角ここまで来てるのに・・・。

 マッターホルンのロッククライミングのコースも麓まで歩いてみました。クライマーは麓の山小屋で一泊し、翌朝クライミングを開始します。私にはロッククライミングは無理ですが、山小屋までのハイキングを楽しんできました。真下から見上げるマッターホルンは流石に迫力十分でした。

 シャモニーを訪れたときには丁度、世界陸上大会の後半にはいっており、女子マラソンを観るため、テレビ付きの部屋に泊まりました。外国で陸上競技をテレビ観戦するのも悪くはないですね。土佐礼子、渋井陽子が2位、4位と頑張りました。

 モンブランを間近に見る為に、エギーユ・ディ・ミディに行くゴンドラに乗りたかったのですが、大人気で長蛇の列、即諦めました。

 ハイライトコースははずして、他のコースのハイキング、高所トレーニング、テレビでの世界陸上観戦で、1週間のシャモニー・モンブランの旅は終りました。シャモニーはオーストリア・アルプス、スイス・アルプスと比べて、家族旅行者が多いようでした。

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