第9話

 私が乗る電車がホームに入って来た。

 場内アナウンスが私の乗る方面の最終電車だと伝えている。


 私は彼の方を振り向き、お別れの挨拶をしようと思った。

 この先、いつ会えるのかも分からない。もしかしたら、もうこれが最後かも知れないと思うと、あふれる想いに胸が締め付けられる。


 でも、彼には幸せな家庭が待っているはずだ。笑顔で挨拶をして別れよう。

 そう思い手を振ろうとした時だった。


「あのさ、もう二度と会えないかも知れないから、どうしても伝えておきたい事を言ってもいい?」


 彼の顔を見ると、私がキスを断った時と同じ顔をしていた。

 悲しげで困った様な顔。


「馬鹿な寝言だと思って、聞き流してくれて良いから」


 私はうなづいた。


「あれから何年も経つけれど、時々君を夢に見るんだ。君を夢に見た日は一日中嬉しい気持ちでいっぱいになる」


「……」


「夢に出て来て一番嬉しい人は、きっと一生君だと思う」


「う、うん」


「気持ちの悪い話をしてごめんね。何だかこの気持ちだけは伝えておきたくて」


「あ、ありがとう……」


 到着した電車のドアが開き、殆ど人が乗っていない車両に乗り込む。

 ドアの前に立って彼を振り返ると、彼は照れくさそうな顔をしていた。


 彼の言葉が嬉しくて、胸が高鳴っている。

 私も最後に想いを伝えたいと思った。

 胸が苦しくて、なかなか言葉が出なかったけれど、必死で声を絞り出した。


「あなたの奥さんに失礼だとは思うけれど……私もあなたの夢を見ると一日中嬉しいよ。きっとこれからも、ずっとそうだと思う」


 私の言葉を聞いて、彼は一瞬だけ微笑んだけれど、頭をきながら恥ずかしそうに話し始めた。


「俺さあ、地元に帰ったけど結局離婚されたんだ。やっぱりダメだった。見事に結婚に失敗しちゃったよ。それからずっと独りなんだ……情けないだろ」


「えっ?」


「今日は会えて本当に嬉しかった。さっきの君の言葉も嘘だとしても嬉しかったよ。ありがとう。君は旦那さんといっぱい幸せになってね! 遠くの空から君の幸せを祈っているよ」


 彼が笑顔で手を振っている。

 彼が恥ずかしそうに言った言葉が、いったいどういう事なのかを直ぐには理解出来なかった。


 でも、もう一度彼の言葉を思い出し、私は笑顔になった。

 彼と過ごした日々が、暖かで素敵な思い出になって行く。

 ”電車のドアが閉まる”と伝える場内アナウンスが流れていた。



『冬来たりなば春遠からじ』



 もしかしたら、私は冬の出口の直ぐそばに居るのかも知れない。


 笑顔で一歩前に踏み出し、電車を降りた――――





         ― E N D ―



     ~ 思い出の中の大切なあなたへ ~




 作:磨糠まぬか 羽丹王はにお





 引用:「西風の賦」《原題Ode to the West Wind》

    パーシー・ビッシ・シェリー

   (Percy Bysshe Shelley , 1792―1822)




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あなたを夢に見た日に 磨糠 羽丹王 @manukahanio

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