第32話 エピローグ
晴天の青空の下。奏多は学校の屋上から高いフェンスに指をかけてグラウンドを眺めていた。今日は冬休み明けの始業式が行われ、午後からの授業はない。早めの自由を得た生徒たちが部活や帰路へ向かって歩いている姿が見える。
快晴の空の色が映った風が通りすぎる。その冷たさに奏多は指を擦り合わせた。
足を動かそうとして奏多は顔を顰めた。冬休みのほとんどを病院で過ごすことになったが、謎の雷に撃たれた傷はまだ完治していない。足の筋肉までズタズタになっていたので、最近まで松葉杖をついていたくらいだった。
ガチャリと、背後で屋上の扉が開く音がする。振り返ると、現陸上部部長、藍沢 朱音が風に目を細めながら屋上に来ていた。
「奏多。話って何? 新生陸上部は始業式後から早速練習だよ? その怪我でも見学は来るでしょ?」
朱音の頑張りもあり、彼女は無事部員と顧問の説得を果たし、部活を厳しくすることに成功していた。
奏多は首を傾げる朱音を真っすぐに見返した。
「朱音。私、部活辞める」
一際強い風が二人の間に吹き去った。
「え、な、なんでそんな……け、怪我のことなら大丈夫だよ。ブランクはきついかもだけど、本気で頑張れば……」
「違うの」
奏多の足は震えていた。けれど決して朱音から目を逸らすころとはなかった。
「私、そこまで陸上に本気になれない。このまま無理に続けたら、走ること自体嫌いになっちゃうかもしれない。だから、辞める」
「で、でも……ここで辞めるなんてもったいないよ。本気で頑張ればって言ったけど、何も私、奏多に無理させようなんて全然思ってないし……」
「ううん。そういう意味じゃない。私、陸上自体にもう一生懸命になれないの」
「でも……」
奏多は頭を下げた。
「ずっと黙っててごめん。友達を裏切るみたいで言い出せなかったの」
「……ほんとに、辞めるの?」
「うん」
「部活のみんな……好きじゃなかった?」
「ううん。そんなこと全くない」
少しの間を置いて、朱音は奏多の肩に手を置いた。恐る恐る奏多が朱音の顔を見ると、彼女は悲しそうな笑みを浮かべていた。
「辞める意志、強いみたいだね。はぁー……、やっぱ引き止めらんないかぁ……。なんだかんだ、奏多は嫌でも続けるんだろうなって思ってたんだけどなぁ……」
「え……。知ってたの?」
朱音は快活な笑い声をあげた。
「アハハッ。作戦会議のたびに乗り気じゃなさそうな顔してればわかるって。だってさ……」
彼女は腰に手をあてて胸を張った。
「あたしら友達じゃん」
その言葉を聞いた奏多はホロリと涙をこぼしながら笑みを浮かべた。
部活へ向かった朱音と別れ、奏多は帰路につく。真っ青な晴天の空が彼女を見守っている。一人、怪我のせいで覚束ない足取りでも、しっかりと前に進んでいる彼女を。
昼間とはいえ駅は相変わらず込み合っていた。通勤時間帯を避けても都心の駅から人込みがなくなることはない。
電車が来るのを待ちながら、奏多は青い空を見上げていた。
ふと、誰かの視線を感じ振り返る。だが、そこには雑踏があるだけで自分に視線を向けているものなどいない。
退院したあと、彼女は不思議な体験をすることがよくあった。
不意に誰かの視線を感じたり、自分の周りから苦手な人込みがサッと引いたように感じたり……。もちろん、ただの気のせいかもしれないが。
だが、最近はもうそんな体験をすることもなくなっていた。
一体何があったのか、何が起きていたかはわからない。ただ、その認識することができない何かが起きると、なぜか心に温かな感情が湧いてくるのだ。
彼女はホームから空を見る。まばらな雲で飾られた青い空。その青さに誰かの面影を感じて笑みを浮かべる。
どこにでもある、どこからでも見れる空。だが、それを見る奏多の目には数か月前よりも多くのものが映るようになっていた。
彼女はカバンからデジカメを取り出す。コンパクトなデジタル一眼レフカメラ。写真部の千草から借りたものだった。
パシャリと一枚空の写真を撮る。
真っ青な、どこまでも透き通った空を。
自由に生きられる。自分が自分らしく生きられる形で。
だって世界は、こんなにも広い。
終
あの雷雲に恋をしたなら 【MF文庫新人賞・2次選考通過作品】 那西 崇那 @nanishitakana
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