動く天井

雨弓いな

動く天井

 私には、趣味がない。そのため、休日は一日中、ベッドに横になって天井を見つめている。

 基本的には何も考えず眺めるだけだが、時には様々なことを考えたりもする。友達が結婚したこと、子供ができたこと……周囲の人たちの人生が大きく動いていく中、私はその波から一人取り残されていた。会社の同期たちも、皆社内や合コンで彼氏を見つけてきて、さっさと結婚して辞めていってしまった。もう残っているのは、私くらいである。そういえば、一昨日会社で嫌なことがあった。

 商社に勤める私は、営業担当者の補助事務を担当している。その担当している営業が、藤田さんである。私は、その藤田さんが苦手だ。

「このみちゃーん。この資料だけど、グラフは横棒にしてくれる? パートナーなんだから、僕の好みくらい、いい加減覚えてよね」

「申し訳ありません。次からは気を付けるようにします」

 よく言う。先週は、縦棒グラフの方が好きだと言っていたくせに。第一、ファーストネームで呼ばれるほどの仲ではないのに、気安く呼ばないでほしい。

 藤田さんの嫌なところは、仕事での指摘にとどまらない。プライベートにまで口を出してくるのだ。

「このみちゃんも、もう二十八歳なんだから、彼氏の一人や二人、いるんでしょ?」

「いや、私は特に……」

「えー! いないの? こんなにかわいいのにね」

 まったく、余計なお世話である。私に彼氏がいないとして、藤田さんに何の関係があるのだ。

 思い返せば、私は新卒で就職するにあたって上京してきてからというもの、まったく彼氏ができずにいる。もう今年で二十八歳になる娘に、浮いた話の一つも出てこないことを、母は真剣に心配しているようである。ちょうど昨日も電話があったところだ。

「このみ、まだ彼氏できないの? お母さん、このまま独り身なんじゃないかって心配なのよ。第一、地元でいくらでも就職できただろうに、わざわざ東京に出て一人暮らしなんて……」

「お母さん、もう放っておいてよ」

「会社にいい人いないの?」

 私の周りにいる男性社員は、藤田さんを除いて皆既婚者である。あの嫌な藤田さんなどは、まったく恋愛対象には入らない。

 最近考えることといえば、嫌なことばかりだ。そうだ、とりあえず考えるのはやめて、コンビニにお昼を買いに行こう。

 私は、趣味はないが、食にはちょっとしたこだわりがある。今日は、最寄りではなくちょっと離れたコンビニまで、お気に入りのサンドイッチを買いに行こう。

 帰宅後、昼食をとり、再びベッドにもぐりこんで天井を眺める。

 しかし、この天井も、休日に眺めるようになってからもう五年が経つ。毎週二日たっぷり眺めているから、細かい模様や、ちょっと見えにくい黄色い染みの位置までしっかり覚えてしまった。そう、見慣れた天井。見慣れた……あれ?

「あの染みの位置、あんなに上の方にあったかな……」

 コンビニに行く前は、もっと下にあった気がする。ベッドの位置が、微妙に変わっている……?

 気のせいだと思い込もうとすればするほど、やはりさっきとは位置が違うとはっきり認識するようになった。

 外出したのは、たったの十五分ほどである。その間に、母が訪ねてきたのか? いや、そんなはずはない。彼氏もいない私には、他に合鍵を持っている人はいない。外出する時には、しっかりと鍵をかけたはずである。

「本当に、鍵をかけて外出した……?」

 考えれば考えるほど、不安になってくる。

誰かが侵入した? そう考えると、さっきとは違い、部屋の中に人の気配を感じる気もする。

いや、きっと気のせいだ。そう思って、壁の方に寝返りを打った瞬間、風呂場の方で、ガタッと、何かが動く音がした。

一体、何だ。誰か、そこにいるのか?

私は、そちらを振り返ることができない。

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