第5話 日常2
「今日の授業は……、数学、科学、物理、と。
見事に理系ばっかりね」
通学途中の車の中、アリスは今日の時間割をホロフォンで確認しながらつぶやいた。
全自動運転車が義務化された現代。
オートナビゲーションシステムの発展により、車からハンドルというものは消え、車内にあるのは円形に置かれた座席のみだ。
己の正面には、ユウキや清香が灰色の座席にもたれかかるようにして座っている。
「アリス、理系ニガテだっけ?」
「別にそんなことはないわ。
そうはいっても、やらせてもらえるのは準備までだ。
その後をやろうとしても、危ないですからねー、と独特の伸びた声と共ににさっさと回収されてしまう。
許されたのは、安全な場所から何をしようとしているのか、を教えてもらうくらいだ。
「間違いなく授業から外れた知識だと思うのですけれど、それ……。
それよりも、アリス。今日こそちゃんと教室で授業受けてくださいよ」
「気が向いたらね」
ジト目の清香を受け流す。
真面目な清香と違い、ユウキはその辺りが奔放だからありがたい。
昨日も清香が己を呼びに来ていた間に何をしていたか問えば、「寝てた!」との元気な返事を頂いた。
清香から今以上のジト目を送られていたことは言うまでもない。
そんなユウキが厄介になる時もある。
例えば、どこから仕入れたかもわからない情報を爆弾の如く放り込むときとか。
「またいいんちょに怒られるよー?」
そう、今まさにこんな感じで。
「……」
「え? 何のことですか?」
全力でユウキに、言うなよ? という視線を送るが、それで止まるなら苦労はしない。
悲しいかな。これまでの経験上、こういう時のユウキはわざとかと思うほど鈍いのだ。
「お、気になる?
実はねー、とある男子に目を付けられちゃってるのですよ、このアリスちゃんは」
「え!?」
「……」
そして放り込まれた爆弾に面白いくらいに反応する清香もタチが悪い。
いつもの落ち着いた伏目を大きく開き、キラキラとした視線をこちらに向けている。
その反応に気をよくしたのか、ユウキもホロフォンのメモ機能を立ち上げる。
「ええっとぉ、確か名前は、
蓬莱中学出身で、風紀委員を目指す真面目な青年デス」
「えー、もう、そんなことがあるなら言ってくださいよぉ、アリスも人が悪いですねぇ。
で、ユウキ、その例の彼の写真とか、無いんです?」
「ほいほい、こちらになりまーす」
ユウキは自分の方を向いていた画面をくるりと反転させて、一人の男子学生の写真を見せる。
その姿は、間違いなく入学してここ数日お世話になっている、真崎正義のものだった。
黒を基調とした服。顔にかかった黒縁眼鏡は視力矯正用ではなく、ホロフォンからの刺激をやわらげるためだろう。
清香は、ほー、と言いながら、視線を写真とこちらに行ったり来たりさせる。
その意図はあえて聞かない。絶対に面倒になる。
「第一印象ですと真面目な学生さん、という感じですね。
ゆるふわ系のアリスのお父さんとは似ていない感じなので、多少不利ですかね」
「あー、それは私も同意見」
「どういう意味かしら?」
何故そこで父が出てくるのか。
本当に意味が分からず、首を傾げるも、2人からは生暖かい視線しか返ってこなかった。
その時、自動車が電子音をあげた。
もうすぐ、学校に到着という合図だった。
● ● ● ● ●
「どうだい、轟沢さん。直りそうかい?」
「ええ、あと10分ほどあれば。
単なる接触の問題ですし、お茶でも飲んでいてください」
場所は、小さな、それでいて清潔な作業場のような店。
表には『修理の轟沢』という若干時代を感じさせる寂れ具合の看板がかかっている。
そこには、2人の男がいた。
1人は顔に深いしわを刻み、杖を片手に来客用の椅子に座った老人。
もう1人は白髪交じりの頭に、拡大鏡機能を持つホロを眼前に立ち上げ、作業台に向かう作業服の男だ。
杖の老人は、目の前に置かれた湯呑から緑茶を一口含み、小さく息をつく。
「助かるよ。
大きいところだと、旧式すぎるからって受け付けてもらえなくてなあ」
老人は、この店にホロフォンの修理を頼みに来ていた。
技術の発展に伴い、壊れたものを自分で直す、ということは不可能になった。
そうした時に真っ先に頼むとなれば製造者なのだが、それが無理となれば次に行くのは馴染みの店だ。
「私としても、新しい方をオススメしますよ?
やはり昔のものだと、サポートなども外れてしまうものですし。
正直な話、こうして私の方に任せてもらうより、新しいものの方が安上がりですよ」
同じことは1件目の店でも言われた。
複雑な操作も不要で、今よりずっと料金も抑えられる、と。
しかし、
「まあ、そうなんだろうけどさ……」
「何か特別な理由でも?」
作業服の壮年が、手を止めてこちらを見る。
作業も終盤。しかし老人に急ぐ理由はない。
むしろ、最近は誰かとの会話もめっきり減ってしまったのだ。
ならば、口を開かない理由はない。
「これ、うちのコレが買ってくれたやつなんだよ。
言ってなかったか? 最近……」
小指を立てながら視線を送るのは、店の外。
その先にあるのは、この街唯一の墓地だ。何ということはない。寿命で、あっという間のことだった。
こちらの意図が通じたのか、作業服の壮年が静かに黙礼を送る。
それに応じ、
「まあ、色々と任せちまってたからな。
これからは俺が一人でなんもかんもやらなくちゃならねえ。
全く、面倒だよなあ?」
面倒。そう思えるようになったのはここ数日のことだ。
それまで身の内にあったのは、あるべきものが欠けている、という物足りなさだった。
いつか、この面倒も、いつものこと、になるのか。
そうなってしまったときに、また寂しさを感じることはできるのだろうか。
いつの間にか空になっていた湯呑の横に、新たな湯呑が置かれる。
作業服の壮年が、修理を頼んだものを手に、柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
「いつでもいらして下さい。
『その方面』では私の方が先輩ですし、愚痴でも相談でも聞きますよ」
おお、と言って物を受けとる。
たまにしかこの店に来ることはないが、老人はこういう所が気に入っていた。
常連になっちまうかもな、とお代わりのお茶を傾けながら、思った。
● ● ● ● ●
「じゃあ、そろそろ失礼しようかね」
老人がそう言って立ち上がるのを、己は見送ることにした。
来ていた作業服を脱ぎ、近くのハンガーにかけに戻る。
その間に老人は料金を机の上において既に店の外に出ようとしていた。
「ありがとうございました。
またいつでもいらして下さい」
「おう、またな
次来る時はなんか手土産でも持ってく……」
前見たときより少し弱い笑みを浮かべ、老人は店のドアをくぐり、そして固まった。
「どうしました?」
老人の視線は一転に固定されている。
真正面ではない。やや斜め下だ。
己も老人の隣に立ち、何があるのか確認する。
すぐに逃げないあたり、危険物ではないのだろう。
そこにあったのは、
「……」
「……」
人だった。
正確には背の巨大な楽器ケースに押しつぶされた人らしきもの。
ケースが巨大すぎて、潰れるように広げられた四肢しか見えない。
日中の往来に現れた不審物を前に、己はほのかな頭痛を感じ、
「茜沢さん、こちらの方は私がなんとか致しますので……」
「……『あっち』の人かい?」
「ええ」
「そうかい」
客の老人と短い応対をする。
それだけで伝わったのか、老人は杖を軽く上げて挨拶をして、ゆっくりと歩いて行った。
その姿が見えなくなったのを確認。
それから地面にベチャッとしたものの近くに屈み、
「それで、一体どういう事ですか? 『コレクター』?」
と言った。
● ● ● ● ●
先程まで自分がいた作業場よりも店の奥に当たる場所。
普段は自分が寝たり食べたりする私生活のスペースだ。
今、そこに自分と先ほどまで地面と仲良くしていた女性がいる。
女性――殺人鬼コレクターは長い濡れ羽色を揺らしながら一気に白米をかきこんでいる。現在ノンストップで5杯目。
ようやく満足したのか、ようやく一息つく。
「ふぅ、ごちそうさまでした、
助かりました、今回ばかりはヤバかったですな」
日中に自身のコードネームを呼ばれ、非日常の気配を感じる
「お粗末様でした、家入さん。――で?」
コードネームではなく、本名の方を強調して呼んで、コレクター――
意味が通じたのか、家入は軽く会釈。
そして、己の質問に答えるため、息を吸った。
それを見る己には、その理由が大体予想できていた。
こう言う形で家入が我が家にやってくることは初めてではない。
簡単に言えば金欠。からの空腹。そして要救助。いつもと言えばいつものことだ。
「実は――ちょっとまた新しい推しを見つけてしまいましてな」
ただ己にどうしても理解できないのが、そもそもの金欠の理由だ。
一度詳しく話を聞いたが、『ホロチューバ―』への『お布施』で『とうとみ』が『ヤバイ』とのこと。
最後しか理解できん。
そんな己を置き去りに家入は眼前に巨大なホロ画面を展開。
そこにあったのは動物的なワイルドさを持つ、男キャラの絵だった。
「見て下さいこのビジュアル最高じゃないですかこれまでも猫や犬モチーフはいくらでもいましたがこれらを合わせるとはまさに斬新な発想としか言えませんなこうした時大体はお互いがお互いのいいところを食い合ってむしろくどさを感じてしまうところですがうまくパーツを配置することでいいところを引き出す形になっており私としてはあまりこういうことを軽々しく言うのは避けたいとは思っていますがだからこそ言うべき時には言うべきと思いますなつまりなにが言いたいかと言いますと最高ですなああすいませんいきなり話しすぎましたですが轟沢さんにも分かってもらえると思いますまずはサブスク登録するところからです手続きは簡単とりあえずホロ立ち上げてもらえますか大丈夫です一瞬で終わりますから――」
「とうっ」
「あたっ」
最初の「み」の音の辺りで脳が理解を諦めたが、とりあえず切れ目ができたのでチョップ。
お互い無言で数秒見合って、
「――で?」
「さ、さっきのやり取り無かったことにしようとしてますな!?
これが大人の対応という奴ですな!? たまりませんな!」
にっこりと、静かに圧を掛ける。ほんの1割くらい殺意込みで。
ぎぎぎ、と音を立てるようにゆっくりと首ごと視線を逸らし、汗を垂らし始める家入。
そのまま、ゆっくりと、脇に置いていた楽器ケースから取り出したのは、
「はい、これです……。
メンテ、おなしゃす……」
巨大な銃器。スナイパーライフルというものだ。
殺人鬼コレクターの得物。つい昨日も、とあるシグルイにとどめを刺した必殺の武装だ。
己はおずおずと差し出されたそれを受け取る。
「いつも言っていますが、私は
今までの修理工としての知識か、軽いメンテナンスくらいならできる。
だがそれは異常がないかをざっくり見る、という程度のものだ。
専門家に見てもらった方が正確なうえ、改善も頼めるというのに、
「そこは私を助けると思って一つ……。
知らない人に声掛けるとかマジ無理なので……」
この態度である。
家入閑。濡れ羽色の髪の、世界三大美女が尻尾を撒いて逃げると言わしめるレベルの完成された容姿。
しかし口を開けばこれである。
ついたあだ名が『
口からため息が漏れるのを感じながら、
「もう一度学校やり直した方が良いのでは?
良いじゃありませんか,今ならアリスもいますよ?」
思わずそんなこと言ってしまい、あれ、結構有効なのでは? と思ってしまったのであった。
● ● ● ● ●
学校。昼休みのわずかに長い自由時間。
アリスは、清香に言われた通り、教室にいた。
「宵月。ちょっといいか?」
そこにやってきたのは、黒の服に黒縁眼鏡の男子生徒だった。
「げ」
「人の顔を見るなりその反応とはいい度胸だな貴様……!」
言いながら左手で眼鏡の位置を調節するメガネ。
このタイミングはよろしくない。
なぜなら、清香が「来た!? 来ましたか!?」的な視線をこっちに送ってるから。
とりあえず、廊下に移動する。
きっと、いや間違いなく2人もこちらを窺っているだろうけど、無視。頑張れ私。
「僕が君を呼んだ用件は分かるか、宵月?」
用件があるのならばさっさと言えばいいものを。
別にこれは決して心当たりが多すぎるとかそういうわけではなく。
「そんなの分かるわけないでしょう」
「昨日の日本史のこと、と言えば分かるか?」
自然と自分の顔にしわが寄るのを感じた。
昨日のサボりのことは清香にしかバレていないはず。
そして清香は今朝までこのメガネのことを知らなかった。
ならば、
「昨日、君は日本史の授業中、教室にいなかっただろう。
しかし内容が内容だ。どこか別の所で配信版を見ているのだろうと思った。
そして授業時間中に配信版の視聴者がいたことは間違いなかった。
だがしかし。
配信版を見る生徒に義務付けられているリアクションがなかった。
であれば、昨日君は配信版を立ち上げる横で、何か他ごとをしていたということだ」
長い。そして真面目か。いや、真面目なのは良いことだ。
しかしここまでやるか、ということくらいは思ってもいいのではないだろうか。
「僕たち学生の本分は学業だ。それをサボったならば、注意されて当然だろう」
「……」
「だから僕は言う。授業はサボるな、と。
例え既に知っていることだとしても、改めて知るという事にも価値はあるのだから。
話はそれだけだ、以後気を付けるように」
それだけ言って、メガネは自分の位置に戻り、昼食の弁当を広げ始める。今朝、ユウキが文句を言っていた、自動宅配サービスのものだった。
「なるほど彼が真崎君ですか。
いやー、なんというか、絵に描いたようなザ・委員長ですね」
「だよねー、まだクラスでの役割とかなーんにも決まってないのにあれだからもう筋金入りだよ。
私もこの前、自販機前で駄弁ってたら『利用者の迷惑だろう』って注意されたし」
やはり、と言うべきか。
先程のやり取りを聞いていたであろう2人が、どこからか現れ、好き放題言っていた。
その中のユウキの一言が、ふと気になった。
「私以外にも注意するんだ」
こちらの言葉に、ユウキはきょとんとした顔を浮かべ、
「ん? ああ、そりゃもちろん、先輩だろうが教師だろうが間違ってると思ったら関係なくだよ。
1回うちのクラスの誰かが、じゃあ同じこと宵月にも同じこと言えんのかよー、的な文句言ったときも、『当然だろう。言うべきなら言う。なぜ彼女だけが特別扱いされる?』って真顔で即答してたくらいだからね」
と言った。
マジ真面目だねー、というユウキの言葉には若干の苦手意識が込められていた。
それはそうだろう。注意されて気分が良くなることはめったにない。それが親密でないなら、猶更だ。
しかし、
「ふーん……」
自分としては中々嫌いになれないタイプだな、と思った。
それは
そんな自分の様子に何を受信したのか、
「お? お? なんか始まったりしますか? ラブ的なあれが!」
清香がこちらの方を期待を込めた眼で見てくる。
「清香、あなた一応寺の娘なんだから、もう少し落ち着いた方がいいと思うのだけれど」
「何を言ってるんですか! 寺の娘で普段から抑え込まれてるからこそ、ここで発散してるんですよ!」
「うん、そう……」
そう言われれば黙るしかない。
今度、似たようなネタで弄ってやろう。
そんな決意を、小さく心の中で誓った。
平和の国の殺人鬼≪アリス≫ とおりすがり @to-risugari
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