第4話 日常
改都の住宅街の朝。
まだ少し寒さの残る4月の空の下、1件の建物があった。
主流となった3階建てに逆行するような平屋建ての日本家屋。
表札には、『神巫』『宗谷』『宵月』という3つの住人の姓が並んでいる。
夫婦別姓が法律で認められるようになった西暦2521年。珍しくもない光景だ。
そして今、その建物の廊下を、住人の1人、宵月アリスは目を擦りながら歩いていた。
目的地はダイニングルーム。
この建物、外見はいかにもな日本風なのだが、中に入ってみればフローリング・床暖房完備の最新式だ。
床からじんわりとした温かみを感じながら、障子を開けると、
「おはよう、アリス」
「…………ょぅ」
今まさに食卓に朝食を並べている母が目に入った。
150cm程の小柄な身体に少々きつめの目つきがたまらないとご近所からの評判を得ているが、アリスにとって母を一言で表すなら『白』の一言だ。雪のように真っ白な髪に色素の薄い虹彩。幼い頃は雪女の末裔だという冗談を完全に信じていたほどだ。
今、その母はその白の瞳をこちらに向け、
「朝ごはんは用意できている。
早く食べてしまうといい。進学したてで遅刻常習犯の名誉は得たくないだろう?」
淡々と告げる。
冷たい印象を受けるようだが、これが母にとっての通常運転だ。
ともあれ、いつも通りの自分の席に座り、手を合わせる。
まだ遅刻確定とまでは言わない。が、このままゆっくりしていたらそれは現実になるだろう。
「……んぁ。いただきます」
どれだけ眠くとも作法は守る。
守らなければデコピンが飛んでくるのだ。
箸を取り、もそもそと食べ始める。
その手は、気怠げなものだ。
「不機嫌そうだな」
「……」
「昨晩のことか?
大方、勇んで行ったは良いが、着いた時にはほとんど終わっていた、といったところか。
とどめを刺したのはバットガイ……ではないな。パレードかコレクター。違うか?」
卵焼きを取ろうとする手が一瞬止まる。
それを悟られぬよう、何でもなかったフリをしながら箸を口に運び、しっかり噛んでから飲み込み、
「……正解」
観念したように認めた。
昨晩、音と衝撃が集まる場所に辿り着くと、既にそこには標的はいなかった。
呆然としているところ、教授からコレクターが仕留めたとの通信が来たのであった。
テーブル越しに座る母を見る。
母も、自分と同じように朝食を摘んでいる。
その表情は『無』。いつもの顔だ。
自分が仕留めなかったことについて、どのような感情なのか、分からない。
父は分かるらしい。その点については凄いと思う。
そういえば、その父がいない。
できる限りご飯は家族揃って、が我が家のルールの筈なのに。
「父さんは?」
「朝早くから仕事だ。広告塔という名のマスコット、ご苦労なことだ」
母の視線が左に流れる。
その視線の先にはテレビの画面。
壁掛けのテレビには、いつも見ている朝の情報番組が流れていた。
『4月13日月曜日の『JIP!』。本日のゲストは、殺人局局長、
『や、どーもどーも。おはようございまーす。いやー、朝早いと眠いですねー』
『神巫さんには今日は初めから終わりまで、お付き合いいただきます。
眠たい目が覚めるような激辛料理もありますのでお楽しみに―!』
『え゛』
テレビの中。
固まる父の姿があった。
父は殺人局という殺人鬼をまとめる組織の1つのトップーー局長という地位にある。
といっても、その役割は母が言うようにマスコット。
殺人鬼の安全性をアピールするため、殺人鬼の中で最も安全で無難で人当たりが良い者ということで選ばれている。
実際、父が殺人鬼として働いているところを、アリスは見たことがない。
「……本当に、ご苦労なことだ」
「体張ってるよね。いい年してるはずなんだけど」
呆れたような母の言葉に反応すると、その母の目がジロリとこちらを向いた。
……しまった。
両親は同じ年齢だ。
父の年齢をいじるということは、母も同様だ。
正直、2人ともそんな風に見えないどころか、街中では兄妹か姉妹に見られるような外見なのだが、当の本人の心持ちとしては穏やかではないらしい。
「……何か?」
「いえ、なんでも、ないです」
とりあえず、そう言っておいた。
思わず敬語になったのは、ご愛嬌。
朝食を終えて、現在午前7時20分。
さてそろそろ着替えるか、という時間にそれは来た。
「アーリスゥー! 学校行こうぜー!」
玄関から聞こえる快活な声。
一応、この家にはインターホンというものがあったはずなのだけれど。
「なんか来た」
「『なんか』などと言ってやるな。幼馴染だろう?
食べ終わったのなら歯を磨いて顔を整えてきなさい。
人を待たせるのは良くない。迅速に動くように」
「はーい」
母の言うとおり、誰が来たかは知っている。
椅子から立ち上がり、急いで服に着替える。
制服というものはなく、各々好きなものを着てOKなのだが、自分としてはシックなものが好きだ。
自然と落ち着いた色味の服を選んで着替え、ダイニングに戻る。
するとそこには、お菓子を頬張る『なんか』がいた、
「……何してんの?」
「紫亜さんが作ったお菓子食べてる!」
「そうだけどそうじゃないのよ」
先ほどまで自分が座っていた席に座り、母が出したであろう焼き菓子を両手に握っている『なんか』ーーもとい、幼馴染。
名前は
清香とは違ってスレンダーなスポーツ系。
そろそろ170センチに到達しそうなモデル体型で、男子よりも女子にモテる王子様タイプの奴だ。
「いやー、やっぱ手作りの方がこう、温かみ? があっていいよね!
ウチ、大量生産の配達品が中心だからさー」
その王子様は手のひらサイズの焼き菓子を一口で丸々平らげていく。
本人曰く、食べても太らない体質。
……おのれえ。
「あれも別に悪いものでもないのだぞ? 最近のものは体調や嗜好に合わせたメニューが選ばれると聞くからな。
まあ、それはそれとしてもっと食べるがいい。これはおかわりだ」
「やった! 紫亜さん大好き!」
手作りのお菓子を褒められて気を良くした母が追加をどっさりと渡す。
それは私の分じゃないの……?
疑問と共に2人を見つめていると、インターホンが来客を告げた。
母は誰かを確かめると、玄関を解錠。
来訪者も、迷うことなくまっすぐこちらへやってくる。
障子を開けて入ってきたのは、清香だった。
「おはようございます。ユウキのお母さんからユウキがこちらに来ていると窺ったのですが……うわまじでいましたよ。何やってるんですか」
「紫亜さんのおいしいお菓子食べてる!」
「そうですけどそうじゃないんですよ。
あなた朝練があるって早めに出たんじゃなかったんですか」
清香はダイニングの入り口で腰に手を当ててやれやれ、という表情を浮かべる。
私はユウキの隣の席に座り、その手から焼き菓子を奪いながら聞く。
「ユウキ、もう部活入ったの?」
「うん、陸上部。中学でもやってたしその続きってことで。アリスも何か部活入ったりしないの?」
「私は鍛錬があるからいいわ。剣道部でもあれば話は別なんだけど」
剣道部、空手部、弓道部……。
昔はあったという部活はMoM細胞の普及により物理的に不可能になった。
MoM細胞はこれらの競技を暴力と判断したからだ。
そのため、我が校の部活の多くも文化系のものが多い。
昔と同じように続いているのは、陸上や水泳といった個人競技ばかりだ。
そういうわけで、中学時代、私は帰宅部、清香は茶道部だった。
帰宅部といっても、帰ってから自宅に併設された鍛錬場でほぼ毎日体を動かしている。
その辺の輩に絡まれたとて、返り討ちにすることは容易だ。
まあ、実際にそんなことはないので、妄想にとどまるばかりなのだが。
そんな考え事をしていると、時計を見る母から声がかかる。
「これ以上ここで話をしていると3人とも遅刻になる。
菓子は小分けにしたものを用意した。通学途中でも着いてからでもいいから急いでいくといい」
そういって小さな袋を3つ、渡される。
中身はさっきまで食べていたものとは別のお菓子。
冷めても美味しく食べられるマドレーヌだ。
「あ、ありがとうございます。アリスのお母さん。
ほら2人とも。早く行きますよ」
「ほーい」
清香に言われ、2人して席を立つ。
向かうのはおよそ1週間前から通う高校。
私にとっての、日常の象徴となる場所だ。
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