第3話 平和な世界:後

 午後11時23分。

 第三次世界大戦時の首都東京の壊滅により、新たな日本の首都として急速に再開発が進んだ本州中心部に存在する『改都かいと』。

 真上から見たとき碁盤状に整理された区画は地面に埋め込まれた全自動運転車の誘導用の光路で縁取られ、巨大な四角の中に点々と光が灯っているように見える。

 その内の一部分、商業エリアとして多くの店が並ぶ道路上。

 今は明かりが消え、CLOSEDの看板がかかる本屋の前に、白衣を着た女がいた。

 地面からの光をスポットライトのように浴びながら立つ女の前には、多数、と言えないほどの人が集まっている。


「はいということでこんな夜更けに皆さんお疲れ様ですー。

 日頃の日常デイライフはいかがお過ごしでしょうかー。

 ここからはお楽しみの非日常ナイトハントのターンということでー。

 今日も気張ってまいりましょうー」


 何とも気の入らない調子で白衣の女は告げる。

 女が手元に視線をやるとそこにはいくつものホロスクリーンが立ち上っている。

 周囲10㎞内にばら撒いた飛行ドローン。それが映す改都のリアルタイムだ。整然とされた街並みがそこにはあるが、人影はない。


「支援部の皆さんのご尽力により周辺住民の避難は終了していまして――」

「長ッたらしい挨拶はどーでもいーんだよ、教授プロフェッサー

 オラ、さっさと獲物シグルイの場所吐けや。ソッコでぶッ潰してやッからよ」


 集団から1歩ずい、と前に出るよう現れたのは改造された制服、片手にぶら下げるようにして持った金属バット、そして額よりも前に突出した奇抜なヘアスタイルの男だ。

 日中すれ違うことがあれば思わず目を逸らしたくなるような風貌の男に教授、と呼ばれた白衣の女はふう、と小さくため息を吐く。


「はい急いてはことを仕損じるという言葉を知らないバットガイ君は愚か者ー。

 この前もそうやって一人で突っ込んで下水道に落ちたのもう忘れたんですかー。

 そんなんだから彼女さんとまたケンカするんですよー?」


 図星をつかれたのか、ぐ、と唸り声をあげるバットガイ。

 その後ろに立つ集団は、小さく、それでいて彼に聞こえるくらいの声量で、


「それってこの前聞いた冷蔵庫のプリンを勝手に食べたとかどうかとかいうアレ?」

「いや、それはワンランク上のやつで手を打ってもらったと聞きました。

 制服改造用に無駄に高い生地を買ったというやつでは?」

「ジムでの筋トレにガチになりすぎてデートに2時間遅刻したというのも聞いたけれど」


 罪状多くないですかねー、と教授は思う。

 バットを振り上げた彼が集団に突っ込んでいって、わあ、と一度ばらけて、再び集まるまで1分。

 大体いつもの光景だ。


「……クソ。まあいい。いやよかねえが。テメエの長え話にも付き合ッてやる。

 だがこれだけは答えろ」


 先程と同じ位置に立って、バットガイは親指で背後の集団を指す。

 見えていないはずの指が差す先。


「何でアリスがいんだよ。ガキの遊び場じゃねーんだぞ、ここは」



● ● ● ● ●



 夜遅い時間の殺人鬼たちの集まりの中。

 宵月アリスは、確かにそこにいた。

 その場にいる全員さつじんきの視線を感じつつ、アリスは口を開く。


狩りハントの時はお互いにコードネームで呼ぶっていうのがルールじゃなかったかしら?」

「うるッせえ。テメエみたいな半端ヤローなんかアリスガキで十分だ。

 で、教授? ちゃんと理由はあんだろうな?」


 バットガイはこちらを見ない。

 お前と話すことはない。そんな拒絶のように感じていると、教授が口を開いた。


「理由も何もアリスちゃんは殺人鬼ですしねー。

 狩りに参加したいという殺人鬼を止める権利は私にもありませんのでー。

 個人的な理由としても手駒は多いに越したことはありませんしー」

「……チッ、ああそうかよ」


 舌打ちをして、バットガイは街の中心部に足を向ける。

 その足取りは大きく、荒々しい。


「どこに行くんですー?」

「これ以上テメエらに付き合ッてられッか。

 情報を寄越さねえッてんなら、手前の足で探すだけだ」


 仕方ないですねー、と言いながら、教授は人差し指をバットガイに向けて弾く。

 指の動きに合わせるようにして飛んでいくホロスクリーンは、


「現時点でシグルイがいる可能性が一番高い場所の位置情報ですー。

 見つからないからってイライラされて物に当たられるよりはましなので使ってくださいー。

 先行するのは勝手ですが死なないでくださいねー」

「はッ、テメエらが来る前に全部終わらせてやんよ」


 そう言って、バッドガイは駆けだす。

 最後にバットに光が反射して、その姿が見えなくなるまで、10秒もかからなかった。



● ● ● ● ●



「気にしちゃだめですよ? アリス」


 人影のいない夜の街を一台のセダンタイプの車が走る。

 この時代には珍しいハンドルのついた自動車を運転するのは50代ほどの初老の男だ。

 彼は後ろに座った娘ほど年の離れた少女の様子をバックミラーの中に捉え、


「彼は口も態度も性格も頭も悪いですが、悪い人ではないのです」

「フォローになってないよ、『パレード』さん」

「おや、そうでしたか」


 はっはっは、と笑いながら殺人鬼『パレード』は右手で白髪交じりの髪を撫でつける。

 今は教授が指定した路上まで移動中。

 状況が動くまでその場で待機することになっている。

 車内にはお気に入りの軽快なジャズが流れ、リズムに乗せて指でハンドルを叩いていると、仏頂面をした声が真後ろから聞こえる。


「で、そのバットガイは?」

「教授からの報告を見る限り、まだ接敵はしていないようですね。心配ですか?」

「別に。あいつにやられたら私のやることがなくなるってだけ」


 ふい、と窓の外に目を向けるのは彼女なりの照れ隠しなのか。

 良いことです、とパレードは思う。

 殺人鬼はどうしても人の命というものに鈍感になりつつある。

 他人の心配ができるというのはそれだけでのではあるが、日常生活に溶け込むためには重要な素質だ。

 だから、


「ところで――」


 無理やりな話題変更を試みようとすることも、良いことだと思う。


「パレードさんも、私のこと、コードネームで呼んでくれないんだ」

「そうですね。やはりあなたは、我々とは違いますから。

 私が言っていることは、分かりますね?」


 言ってバックミラーを見れば、不機嫌そうに肘をつく彼女の様子が見える。

 通常の殺人鬼とは違うところ。バットガイが言う所の半端なところ。


「殺人鬼は皆、初めからそうであったのではなく、後天的にそうなったもの。

 暴力による解決手段しかない命の危機に立たされ、MoM細胞の抑制すら振り切って暴力性を再獲得したのが殺人鬼です。

 ――ですが、あなたは違う。あなたは生まれたときから殺人鬼だった。

 私たちが経験したような、どうしようもない状況というものをあなたはまだ経ていない」


 自分が殺人鬼に堕ちたときのことは、今でもはっきりと覚えている。

 久々の休日、家族と共に行ったキャンプ。その先で出遭ったシグルイ。目の前で犯され、生きたまま食われていく妻とたった一人の娘。

 非現実を前に意識が朦朧とする中、既に全盛期を超えたこの身に宿ったのは絶望でも諦めでもなく。ただただ純粋な『殺意』だけだった――。


「それを経験すれば、認めてくれる?」

「残念ながらそういうわけではありません。ですから、敢えて危険な事とかしないでくださいね? 私があなたのご両親に殺されますので」


 本当にそれだけは勘弁してほしい。

 今はもういない娘と同じくらいの年の子が危ない目に遭うというだけで激しい動悸に襲われるし、それを黙認したとなれば間違いなくあの2人は一切の容赦なくこちらを殺しに来る。

 予感を超えた確定事項は想像しただけでも恐ろしい。


「大体、何故そこまでして殺人鬼であることにこだわるんです?

 殺人鬼の中でも、最初の1回きりでもう十分と言って、その後一切荒事に関わらない者もいるというのに」


 殺人鬼になったからと言って殺人鬼を続けなければいけないわけではない。

 多少は生活が制約される部分はあるが、元の日常に帰ることは不可能ではないのだ。


「あなたが殺人鬼であろうとするのは、やっぱり、お父様のことが――」

「父さんは関係ない、……っていうのはウソになる、よね。でもそれは1番の理由じゃない」


 窓の外を向いていた顔を前に向けて彼女が答える。

 神巫解かんなぎかい。生まれながらの殺人鬼を引き取り、育てることを決意した養父。

 パレードは彼のことは知っている。何せ彼も殺人鬼。それも自分が所属する殺人鬼組織のトップだ。

 彼の影響は娘である彼女以外の殺人鬼にも多分に及んでいる。良い方向か悪い方かはさておき。正直その辺りは考えたくない。

 同じようなことを考えたのか、彼女は若干何とも言えない表情をして、口を開く。

 

「私が殺人鬼であろうとするのは――」


 その時、行き先をナビしていたホロフォンの画面の横に新たな画面が立ち上がるとともに、北東で何かが砕かれる音が響いた。

 音に遅れて振動が響き、車が一瞬だけ浮いたような錯覚を得た。

 パレードは、新たな画面に並ぶ文字を読み、


「おっと、バットガイが接敵したようですね。相変わらず派手ですねえ。

 アリス、私は指定されたポイントへ向かいますが、あなたはどうしますか?」


 アリスに尋ねる。

 彼女は開きかけた口を所在なさげに迷わせ、しかし即答として、

 

「ここで降ろして」


 と答えた。

 分かりました、と言って車を停めればこちらが鍵を開けるよりも先にアリスは車から飛び出した。


「着くまでに終わっていないといいんだけど……」


 アリスがホロフォンを睨みながらつぶやく。

 その間に、破砕音は東から西へと流れていく。

 時折、空高く舞い上がるのは、砕かれたものの破片だろうか。


「急いだほうがいいでしょうね。彼、随分と張り切ってましたから」


 ハンドルを抱えるようにして前のめりになり、前方を深く見る。

 あの破砕音を追っていけば現場にはたどり着けるだろう。

 自分はあの破壊に巻き込まれないように、少しルート変更を検討した方がよさそうだ。


 振り返れば、アリスは早速駆けだそうとしている。

 それに自分は、ちょっと、と声をかけ、


「もう何度も聞かされていることでしょうが、言っておかなければならないことが。

 私たち殺人鬼が、殺人『者』ではなく、『鬼』と呼ばれる所以。それは暴力性を再獲得した際に発現した異能『殺意』にあります。これがシグルイに対抗する我々の武器となりますが、アリス、あなたはまだ『殺意』に目覚めていません。

 戦闘に参加することは今更止めたりしませんが、どうかお気を付けて」


 別に目覚めなくとも、というのが個人的な思いだ。

 しかし結局、それは彼女が決めることで、正しさの内容を押し付けることが果たして正しいのか。


「うん、ありがとう。パレードさん。

 じゃあ、行ってきます」


 真剣な面持ちで、少女は今なお発生し続ける爆心地へ駆けて行く。

 すぐにその姿は見えなくなり、


「はい行ってらっしゃい。本当に、お気を付けて」


 娘を見送るような瞳をした、正しさについて考える一人の殺人鬼が残された。

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