最終話 ファーストダンスを踊る日に



微かに震える指先でそっとリボンをほどく。

白い包みの中におさまっていたものは……。


「——これ、は……っ」

神魂カーラだ。安産と、生まれてくる子が健やかに育つようにと、願いを込めた」


セリーナの手を取るカイルの手首には、髪色と同じ銀色の神魂カーラが連なっている。

カイルの幸せを一心に願いながら、セリーナが作り上げたものだ。


「色違いだ。誓いの神殿で見たお前の『球』は、白だったから」


そう言いながら指先で神魂カーラを取り、セリーナの手首に巻いてくれる。


誓いのリングを仕上げる時、セリーナから出現した『球』は白く輝いていた。

細い手首に巻かれた純白のカーラの連なりは、華奢な真珠のプレスレットにも見える。


「きれい………。あなたのものよりも、粒が小さいのですね?」

「お前の細い手首には、この方が似合うだろう?」


粒が小さいという事は、それだけたくさん集めなければならないということだ。


ただでさえ政務で忙しいのに。

毎晩寝所に戻る時には、倒れ込むほどに疲れているのに——何日も、眠る時間を割いてまで神殿に通い、あの過酷な試練を、二百段の階段の昇降を繰り返して……


「これを、ずっと集めて……?」

「神殿に向かうのはいつも夜中だったから、お前を起こしてしまって、いつ事情を話さなければならなくなるかと、気が気ではなかった。丁度、がいてな。その人も今頃、重ねた想いを相手に届けているだろう」


手首の神魂カーラの輝きが、潤んでぼやける。

目頭にあふれる涙が流れ落ちるのを、これ以上堪える事ができない。


「祈願、仲間……」


(それなのに……私はカイルを、疑って……っ)


「セリーナ?」


涙をこぼしながら消沈してうつむけば、それを案じたカイルが顔をしかめる。

試練をこなせば体力を使うのはもちろん、汗もかくのだし、寝所に戻ったカイルが二度目の湯浴みをするのは当然だ。


「……ごめんなさい、私……っ」


碧色の瞳を涙で潤ませてカイルを見上げれば、ソファのサイドテーブルにレモン水のピッチャーを置いたマイラが駆け寄って、セリーナにそっと耳打ちをした。


「皇妃様。今は何よりも『嬉しい』というお気持ちを、殿下にお伝えするべきではありませんか?」



皇太子は、祈りの神殿で神魂を集めるための試練を重ねていた——時を同じくして、恋人のために試練を重ねるフィオナとともに。


フィオナは皇太子の想いを知り、それが皇妃の耳に入らぬよう、彼女にとって理不尽な噂をも聞き流し、堅く口を閉ざした。

仕事が終わってからそれをこなそうとすれば、どうしても夜中になってしまう。

同じ想いを抱えたフィオナを、皇太子は気遣ったに違いない。


あるいは自分のために神魂を集めていた頃のセリーナと、フィオナの姿を重ね合わせたのかも知れない——だからこそ放っておけずに、支えていたのだ、フィオナの事を。



マイラはカイルに向き直り、


「畏れながら皇太子様。皇妃様は懐妊によるご不安もあり、情緒が安定されないのです。どうかお察し下さいませ」


マイラの言葉に、セリーナは「はっ」と我を取り戻す。

こんなふうに泣いていては、せっかくのカイルの気持ちを盛り下げてしまう。


神魂カーラのお礼も、まだ伝えていない——。


マイラの言葉はカイルの心をも揺さぶっていた。

セリーナは自分の子を身ごもっている。それだけでも愛おしくてたまらないのに、懐妊のために情緒が不安定で、突然泣き出してしまうだなんて。


(なんて繊細で健気けなげなんだ!)


「セリーナ……そうなのか」


マイラの目も憚らず、抱き寄せてしまう。

その様子を見届けると、マイラは安堵の微笑みを浮かべながら廊下へと足を運び、そっと扉を閉めた。


誰もいなくなった広間に、二人だけが残されている。


「何も気にするな。辛くなったら、いつでも俺が支えるから……」


———嬉しい。


「あなたの想いが込められた神魂も……っ、本当に、ありがとうございます」


心を突き上げるのは、もう冷たい不安や悲しみではなく、ただ幸せで、カイルを愛おしいと思う気持ちだけ。

だった血液がどっと流れ込んできて、身体中を熱く火照らせていく。


開け放たれたバルコニーからは、楽隊が奏じる旋律とともに涼やかな夜風が舞い込んで、広間のビロードのカーテンを揺らしていた。


「……セリーナ、今日は祝宴の日だ。これから一緒に、『踊って』みないか」


「ぇ?」


唐突に届いた言葉に、首を傾げてしまう。


「ファーストダンスだ」


——それは、婚礼を済ませた夫婦が初めて踊るダンスのこと。


カイルは、過去に想いを馳せる。

嫌がるセリーナを無理からダンスホールに連れ出した。

まさか『ファーストダンス』を踊れる日が来るなんて、あの頃は想像もできなかった。


「でもっ……私、ダンスはまだまだ苦手ですし」

「構わない」

「前のようにまた……あなたの足を、たくさん踏んでしまうかも?!」

「気にするな」

「きっと、恥さらしですよっ??」

「誰も見ていない」


「ぅぅ……」


言い返す言葉を無くして上目遣いに見上げれば、いつにも増して優しいカイルの眼差しがそこにあって。



——そ、そんな目で見られたらっ。もう拒否、できないじゃないですか。



「い……いいですよ?!でも……本当に、私、踏んじゃいますからね??」


豪奢な楽団の演奏も、祝福の拍手も無いけれど。


見上げれば、大切な人がいてくれる。

身重の身体を労るように、ゆっくりと……腰に回されたカイルの腕が、セリーナをエスコートする。

揺るぎのない深い愛情と優しさを、溢れるほどに伝えてくれる。


二人だけの、静かな祝宴。


手を取り合い、互いに目を合わせれば、自然と笑みが溢れて。

微かに流れる四重奏、纏う空気は甘やかに……


二つの神魂カーラを、互いの手首に輝かせて。



きっと十年、二十年後も。

いつまでも色褪せる事を知らぬ想いは——


夜更けとともに、底なしに深まってゆく。



——『ファーストダンスを踊る日に』。






《おしまい》




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(短編)『月夜に咲く花は皇太子の寵愛を受けて輝く』

〜ファーストダンスを踊る日に〜


*最後までお読みいただき、有難うございました。

よろしければ本編の方も覗いてみてくださいね*


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(短編)蟲姫は美しい蝶に夢を見る〜ファーストダンスを踊る日に〜 七瀬みお@『雲隠れ王女』他配信中 @ura_ra79

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