二日目 昼
昼になると休みがもらえる。副船長と交代して、船室を去った。常にワイパーで水滴を切られている船室の巨大な窓と、階段上になった操縦室が上へ上へ押し上げられていくのは、私が下に下に、下がっているからだ。梯子を一つ一つ握って、艦橋から脱出し、最後に手を放して、着地すると、足首を捻った。掌を見ると、長年使い込まれて皺だらけになった、表面が真っ赤になっていた。血が炭酸のように湧き上がってくる感覚が、手のひらを這う。そう言えば、梯子仕事を主としてきた私の友人は、この不快感が永遠に取れなくなり、精神を病んで去年の暮れに自殺してしまった。ただでさえ少ない、私の友達だったのだが、この年になるって自殺するか。それとも、
もう年だから未練がなかったのだろうか。
食堂は右翼にある。長い長い廊下の突き当りのホールを右に曲がると、かなり大きい廊下があって、そこがまるまる食堂となっている。廊下は手前程広く、また奥に進むほど狭くなっている。
私は厨房の窓口で、注文をし、窓側の席に座った。翼の前側がガラス張りになっていて、そこから景色が望めるのだが、乗組員でも高所恐怖症であるのが多いのか、不人気である。今日は曇りのため、灰色で何も見えず、窓では雨粒が所々はじけてできた水滴は、風圧でゆっくりと上に流されていく。窓が傾斜しているために、そうなるのだろう。
「船長、おはようございます」
「おはやう」
私は、まだ青年の元気がいい船乗りに声を掛けられた。この青年は、彼が十七の時に港で働いていた所に声を掛けられて入団した。青年なのに右翼にいるのは、厨房がここにしかないからだろう。その代わりカフェがあるが食べ盛りの若者たちには不人気で、代わりに年を食った者たちの場と化している。食事の時だけは、左右が逆になるのだ。もっとも、それは傾向というだけで、私のように保守的な考えを持っていても食堂の料理が好きだから、居座る者もいるし、逆に小食な少年はカフェで済ませることもある。
どうして、料理場が両翼についているのか。それは、もしも片方が使えなくなった場合の保険である。この船の設備は両側で対になっている場合が多い。ただし、重要度の低い娯楽施設や、二つあると反乱の起きる危険が高まる指令室は一つである。もっとも、指令室はもう一つあってもいいと思うが。
「親子丼ですか」
「そうだ、タンパク質をとらねばな。それに、不足しがちなビタミン類が豊富だ。君も、もっと食べたらどうだね」
「へへへ、昨日風邪ひいちゃって」
そうかうっかりしていた。船員は仕事に応じた点数で、飯を食べてるのだ。私は、無制限に使えるので忘れがちだが、胸に付いたバッチの交換で、やり取りをしている。働く者、食うべからずの精神に則っているわけだな。
病気であっても、規則は規則で加点されたりしないのは厳しいが、しかし病気を移しあうサボリが蔓延したりしても困るからな。働ける日は残業をして、バッチを貯蓄して置き、何かあった際に消費するのが、常識である。
「これをやろう」
「ありがとうございます。へへへ、くわばらくわばら」
私は、親子丼の上側を別けてやった。
「これだけで、一週間は生きてけますよ」
親子丼は最高得点の料理である。この船の唯一の家畜である鶏は、数が少ない。卵を取るために存在しており、肉として消費されるのは、私のように年老いた、オスの鶏のみである。二週間に一羽が限界であり、その一羽を余すことなく使う。肉は食べれない箇所はないし、骨は出汁になる。睾丸でさえも喰う。目は圧力に負けないよう、かたくなっているが、そこを取り除けばなんとかなる。そんな具合だ。
「美味しいよ。美味しいよ」
私は青年が大事そうに食べる横で、全て平らげてしまった。食器に付いた、ご飯粒の代用品を、一粒一粒箸でつまみ、それも終わると、退席する。
「ごちそう様っス」
「うむ」
不器用な私はそうとしか言えなかった。気を悪くしてないか心配だが、ここで引き返して、わざわざ、返すのも間が悪いだろう。
長い長い中央の廊下を歩いて、さらに梯子を登り、後ろから肩を叩いて副船長と交代した。彼は明日、働いてもらわなならんから、十分に休んでもらおう。私の席の隣で、副船長の見習いである、副副船長がじっと見ていた。彼に任せてみようか。滞空期間は絶好の修行の機会でもある。ジャイロが姿勢を制御するから、飛行時よりも操作が少ないし、かといって全自動でもないからだ。滞空飛行なら、以前にも経験があり、その時は私よりもうまくやっていた。
「今日の夜間飛行は任せようか」
「はい」
ただ、はい、と返事をした。徹夜は厳しい。若いころは気付け薬を呑んで、耐えたものだが、年である。そろそろ引退も考えなければならないだろうが、副船長に船を譲るのは早い。少なくとも、あと五年は必要だ。
鋼鉄の両翼 高黄森哉 @kamikawa2001
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