『森の賢者との共存の時代に向けて』あとがき 編:ヌール 訳:竜胆いふ

竜胆いふ

『森の賢者との共存の時代に向けて』あとがき

 慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において……


 親愛なる読者の皆さま。

 おそらくあなた方は未知を眼前にしてひどく困惑されたと思います。今なお恐れる方、憤慨する方もいるのではないでしょうか。あるいは日常を生きるのに精一杯で、そんなことを気にしている暇ではない方もいたかもしれませんね。いずれにせよ、あの日を境にインドネシア・マレーシア社会ならびに霊長類学などの学術世界が変化せざるを得なくなったことは事実なのです。

 2021年8月19日、世界オランウータンの日でもあるその日、わたしたちコンパス社は弊社YouTubeアカウントにて一つの動画を配信しました。

「人類の皆様、初めまして、と言うべきでしょうか。それともご無沙汰しておりますと申し上げるべきでしょうか。この映像はCGでも、ヤラセやインチキでもございません。我々は正真正銘のオランウータンなのです」

 大きなフランジ〔オランウータン社会において高い地位にある男性の大きく膨らんだ頬のこと。〕を有したマジャイというイバン語由来の名前を持ったオランウータンはカメラを見据えたまま、流暢なマレー語とイギリス訛りの英語、そしてオランダ語で語りました。

 動画のスピーチは約20分にもわたり、人類とオランウータンとの共存の歴史と破綻、そして再び共存していかなければならない時代が到来したことを告げました。そして彼らの言葉を後押しするかのように、わたしたちは出版社の協力を得て本書『森の賢者との共存の時代に向けて』を刊行することができたのです。


 どうしてオランウータンたちがわたしたちにコンタクトを取り、これらの物語が出版されたかの経緯については、以下に記そうと思います。

 動画が配信される一週間前の11日、わたしがポンティアナック支部に出社すると、玄関口には二人のオランウータンが立っていました。かつてボルネオ・オランウータン生存基金に取材をしたことがあり、彼らが基本的には穏和な動物で、道具の使用が上手く好奇心が強いために、動物園や保護施設などの人の行動を観察する機会を持ったオランウータンがときおり人の真似事をすることを知ってはいましたが、とはいえ、不織布マスクとスーツ――後に知ったことですが、このマスクとスーツは捨てられていたものを来るべき日のために再利用できるようにと綺麗にして保管していたそうです――を身に纏ったオランウータンというシュルレアリスム的光景を見たときには、恐怖や驚愕に近いような形容しがたい感情を覚え、持っていたポラリスの缶を落としてその場に立ち尽くしてしまいました。

「ヌール様、お初にお目にかかります」わたしの存在に気づいた二人のオランウータンは近づいてきて、そのうちの一人がインドネシア語でそう話し始めました。「わたしはイルファーン、こちらはカレンです。アポイントを取るべきだということも、流行り病が猛威を振るうなかで対面は控えるべきだということも重々承知しておりますが、どうしても相談したいことがあり訪問した次第でございます」

 わたしは彼らが人語を話すことで気が動転したと同時に、彼らの礼儀正しさに気後れしてしまい、二人を応接室へと案内しました。わたしたちは応接室に着くまでに数人のスタッフとすれ違いましたが、皆立ち止まって手に持っていたコーヒーカップを落としてしまうか、恐怖のあまり叫んでいたのを覚えています。仕方のないこととは思いますが、今となっては彼らに失礼極まりない行為だったと皆も反省しています。

「大変申し訳ございません。唐突なことで、ひどく困惑しておられるでしょう。しかし、わたくしどもにはあなたに危害を加えようなどという考えはありませんので、どうかご安心ください」

 そう言って、イルファーンは提げていた鞄の中から開封済みのAmazonの包装袋を取り出し、さらにその中から二つの書類を出しました。片方はプリンタ紙をクリップで簡易的に留めた物であり、綺麗な見た目をしていたものの、もう一方は経年劣化かあるいは長時間雨風に曝されたかのような今にもボロボロに崩れてしまいそうなコデックスでした。

 彼はさらには続けます。

「これはオランウータンの手によって守られ続けてきた手記でございます」

 この二つの手記こそ、本書に掲載されているノンジャンル『オランウータンによるクリジン一家襲撃事件の真相』と『パン・ボルネオ・ハイウェイ殺人事件』の原本そのものでした。

「単刀直入に申し上げますと、本日はテレビの出演とこの手記の出版に協力していただきたく参った所存でございます」

 もちろんその場で回答することはできませんでしたし、彼らもそのことを理解していたようでした。来月になったら再度訪問したいという彼らに、わたしはその日の夜に自宅に招くことにしました。これについては今でも驚いています。見ず知らずの人どころか、言葉を話すオランウータンを知り合ったその日に自宅に招くようなことなど、皆さまならできないでしょう。まず出会ったその場で警察に電話するのが関の山なはずです。それでも何故か、わたしは提案したのです。これは気まぐれでもなく、ある種の運命のようなものだと思っています。

 その夜、二人のオランウータンはわたしのアパートを訪れ、原本は古い言葉で書かれているからという理由で二つの写本を受け取りました。

「むかし、祖母が語ってくれたことを思い出しました」写本をを読み終えたわたしは二人に向かって話し始めました。このとき、わたしは言葉を話すオランウータンを前にしても、動揺しなくなっていました。むしろ、愛情に近い何かを感じていたのです。「あなたたちオランウータンは神が最初に造った動物であり、人間よりも大いなる叡知に富み、人と言葉でコミュニケーションを取ることができた。オランウータンと人とは共に森にんでおり、互いに食べ物が取れる場所や寝床を造れる安全な場所などの情報を共有していて、だから森の賢者である彼らを侮辱したり嘲笑したりすることはタブーとなった。その関係は人々が村を形成し、王国を建設するときまで続いた。人々は田畑の農作物をオランウータンに提供し、彼らは森のライフサイクルを鑑みた上で小動物の狩猟に協力していた。しかし、オランウータンが西洋からの移民によって殺されるようになったことをきっかけに、人々とオランウータンは混乱を招くことがないようにと交流をやめ、彼らは言葉を話すことも封印するようになったと」

 わたしの家系は代々ムスリムでしたが、敬虔というほどではなく、むしろインドネシアの伝統や伝承を大事にするきらいがありました。

 彼らは、わたしと出会えたことは奇跡以外の何物でもないと言っていましたが、もしかしたら遠い昔にわたしの祖母や、さらに遡った祖先に出会っていたのかもしれません。そして、いつかオランウータンが〈人〉の一員として迎え入れられる時代の到来を待っていたのではないでしょうか。わたしはそのように考えずにはいられません。

 わたしはその夜、彼らの提案を受諾しました。その後の展開の話を進め終えたあと、イルファーンは去り際に玄関でこう言いました。

「今日はお話しできて嬉しかったです。というのも、わたしたちの今後の関係性に希望が持てたからという理由だけではありません。わたくしどもオランウータンは本来、人と話すのが大好きなのです。ヌール様は祖母君からお聞きになられたことがありますか? “オランウータンの顔を覗き込んではいけない”という言い伝えを」

 わたしは首を縦に振りました。「聞いたことがあります。彼らを怒らせることになるからと」

「かつてはそう思っていた人々もいたようですが、実際のところは違います。これは、西洋人がインドネシアに来るようになってから、人間とわたくしどもオランウータンとが互いの暮らしを守るために語られ始めたものになっております。言葉を話すオランウータンがいると知られてしまえば、その者は檻に入れられ見世物となるか、驚いた人間に殺されてしまうでしょうから。おそらく彼らは、わたくしどもが人に顔を覗かれると欲求に負けて話しかけてしまうのではないかと心配したのでしょう。まあ、なかには怒りの感情を演じることによってその欲求を静めると同時に人を遠ざけようとする者もいるようですが。それほどに、わたくしどもは人と話すのが好きなのです。今日は本当に良き日になりました。さて、カレン」イルファーンはもう一人のオランウータンの肩に手を置きました。「君も話したいことがあったのではないか?」

 彼女がわたしの顔を覗き込んで――それはしばしば彼女に見られる行動でした――、わたしはそのまぶたが薄い橙色をしていることに気が付きました。ホモ・サピエンスでいえば10代半ばから後半ほどに相当する、繁殖経験の少ない若い女性オランウータンであることのしるしです。

「あの、ハグ、してもいいですか?」

 わたしの顔を覗き込むようにして見上げる彼女の行動は年下のオランウータンが年上に向かって構ってほしいことをアピールする習性だったのだと、合点がいきました。

 もちろん、わたしは彼女と抱き合いました。これからは、もっとたくさん話すことができるよ、と言葉を添えて。

 次の日には彼らとスタッフたちで会議を行い、ゆっくりと数日もの時間をかけながら、彼らが受け入れてくれるよう説得を働きかけ、出版社にもそれとなく根回しを行ったのです。それ以降のことは、読者の皆さまもご存じでしょう。

 始まりはニューオーリンズのオーデュボン動物園でした。あの動画を見た若者が面白半分でスマートフォンを片手にライブ中継を始め、檻の中にいたオランウータンたちに「ウダァ・ラマ・エンダ・ベタムゥ!」と叫びました。件の動画の中でマジャイが「世界中の動物園で彼ら〔オランウータン〕に叫んでみてください」と伝えた言葉であり、イバン語で“久しぶり”を意味します。すると、木に登っていた者は地上に降り、寝転がっていた者は立ち上がり、皆で声高らかに合衆国国家を斉唱しました。そしてジャンビという名の雄がアメリカ英語でこう言ったのです。

「皆さん、わたくしどもはその言葉を知っています。代々よよに語られてきた言葉だからです。あなた方がその言葉をもってしてわたしどもに話しかけてきたとき、新たな時代の到来が必要なのだと。(......)わたしどもはもう、隠れたりなどしません。あなた方の行いを黙認することもありません。人類とオランウータンは手を取り合うべきなのです」

 その動画の配信でオランウータンが人の言葉を話すという情報は加速し、世界中で同じ現象が確認されることになるのです。

 そして、わたしとたちが出会ってちょうど二ヶ月後、本著が出版される運びとなりました。


『オランウータンによるクリジン一家襲撃事件の真相』は、17世紀、ジャワ島のオランダ植民地領に移民としてやって来たクリジン一家の少女カリルがオランウータンに誘拐され、その父も殺害されるという事件の真相を現地人のイスラーム学者モハメドが綴ったものです。

 モハメドがどのような人物だったかについては本著以外の著書や彼について言及された書物が現存していないために分かりませんが、前半部分に描かれた卓越した観察眼と分析力を持ち、そして全体が纏うスリラー・サスペンス的様相からは現代でも通用するほど文学に長けていたことが伺え、自然と人間文明との対立構造を明確にし、共存の模索や文明と未開という差別に対する反論についての記述からは、かなり先進的な考えを有し、言葉を話すオランウータンと対面しても臆することのない冷静さも兼ね備えていたことがわかます。

 また彼は狩猟されてゆくジャワ島のオランウータンやその他の動物たちを嘆いており、シャリーアに則った動物保護のファトワーを発令すべきだという書簡を交流のあるウラマーたちに送っていたことが記されています。これは、インドネシア・ウラマー評議会が同国のムスリムに対して絶滅危惧種を保護するために積極的に働きかけるようにとファトワを発令した2014年の実に約300年前ということになります。温厚な動物として知られているオランウータンですが、インドネシアでは若い女性がオランウータンによって拐われるという伝承がいくつかあり、カリルがオランウータンによって拐われた真の意味を鑑みれば、伝承の真実を語り伝えようとしたモハメドの想いがあったのかもしれません。


 パン・ボルネオ・ハイウェイ殺人事件については、インドネシア・マレーシア両国の読者なら覚えているでしょうか。5年前に「人の言葉を話すオランウータンに殺されかけた」とに語ったことによりインターネット上で有名になった男が、雇っていた探偵に殺害された事件です。

 本書の『パン・ボルネオ・ハイウェイ殺人事件』はまさにそのことが犯人として逮捕されたインドネシアの探偵ハナ・マリア本人によって、たった3日の間で書かれたものとなっています。

 休暇中にマレーシアを訪れていた彼女は早朝のランニング中に血を流して倒れている男性スシロを発見、一命を取り留めた彼から犯人を捕まえてくれと依頼される。

 自宅の庭での家庭菜園を趣味としていたスシロは、とある夜に彼の庭を荒らすオランウータンを目撃し、退治することに成功するが、その後、夜な夜な言葉を話すオランウータンが出てくる夢にうなされ、ついにはその喋るオランウータンに襲われてしまう、という供述を元に事件の真相を解明しようとする。ハナ・マリアは事件の真相に迫っていく中でモハメドと同じ様に「言葉を話すオランウータン」に遭遇し、『オランウータンによるクリジン一家襲撃事件の真相』の写本を手に入れ(二つの手記を統合した本書の狙いはここにある)、オランウータンの真実を知った彼女は彼らを守るべく、自らの手で男を殺すことによって真実を隠す決意を抱く。

 モハメドが自然と文明とが対立関係にあったことを指摘していたのに対し、ハナ・マリアは寧ろ、それらの共通項に視点を合わせていました。都市は製品を生産し、その製品が人々の生活を向上させ、生活の向上が後代の命を生産するのと同じ様に、自然も植物がその葉や実を生産し、それらの捕食者や共生者の新たな命が生むと同時に排泄をすることで土壌を豊かにし、それが植物たちの生産に寄与することなる考えたのです。

 これは彼女がスシロの庭に植えてあったイチジクにイチジクコバチが入っていくことを見て思い付いたものでしたが、彼女が生物学やカリマンタン島の自然に精通していたことは本著を読めば明らかであり、ネイチャー・ガイドがいなくとも本著のみで島の森林を探索できるのではないかと思わせてくれます(もちろん、わたしたちのような素人には不可能な芸当なのですが)。そしてそれは、『クリジン一家襲撃事件』で人類学的・社会学的思考を巡らすモハメドとは正反対であり、本著の魅力の一つとなっています。


 フィクションの世界において、動物が人を襲うものがあるばかりに、その動物が不名誉を被ってしまうことはよくあります。例えばスティーブン・スピルバーグ『ジョーズ』が封切られて以降、人が刺激を与えない限りにおいて人を襲うことがほとんどないサメという種は全体を通して恐ろしいものだと考えられました。

 オランウータンにおかれましては、エドガー・アラン・ポウ『モルグ街の殺人』などのように彼らが人を襲うような描写が登場する作品がいくつかありますが、それは人のエゴによる強制的な行為であり(もっとも、この作品において“オランウータン”はアメリカにおける黒人を指しており、奴隷による反乱とそれよってもたらされるヒエラルキーの崩壊に対する貴族たちの恐怖が描かれていたわけなのですが)、むしろ高い知性と理性を持ち合わせたオランウータンが登場する作品の方が多いといえるでしょう。しかしそれでもやはり、史上初めての推理小説と称される『モルグ街の殺人』の犯人がオランウータンであるという衝撃はあまりに強く、人を襲うほど獰猛な生物だと誤認されることは少なからずあるようです。

 しかし、先にも述べたとおり、オランウータンは礼節と知恵を持ち、わたしたちに手を差し伸べているのです。


 さて、本書に掲載された二つの物語に共通して言えることは、人とオランウータンとが和解し、再び協力すべき時代が来たということです。わたしたちはオランウータンの密猟に対して強く抗議してきたわけでもなければ、ときおり畑を荒らす彼らを快く思っておらず、都市開発のためならばと彼らの住まいを蹂躙し続けてきました。その結果として、1700年代にはジャワ島からオランウータンが姿を消し、100年の間に彼らの数は1/5にまで減少したのです。国連環境計画によれば、2032年までに彼らは絶滅してしまうと予測されています。彼らが今後訪れるであろう人とオランウータンとの共存の時代のためと我慢し、手を大きく広げてくれたとしても、わたしたちの行いが無効となることはありません。


 おそらく、わたしたちの道のりには多くの困難があるでしょう。世界中の人々が彼らを受け入れるかは一番大きな問題でしょうが、Covid-19の感染も直近の問題の一つとして挙げられます。

 1990年代以降のインドネシア・マレーシア両国で大きな経済的利益をもたらしているオイルパームのためのプランテーション開発――とくに農園開発のための森林への火入れは、時として泥炭湿地に引火してしまう可能性があり、その後消火困難となるケースは後を絶たない――や都市開発のための森林開拓がオランウータンたちを住処すみかから追いやることになり、彼らは頻繁に人間社会へと出没するようになりました。その結果として人・オランウータン間のウイルス感染が起こっているのです。

 Covid-19の猛威は野生のオランウータンだけにはとどまらず、ボルネオ・オランウータン生存基金のスタッフが感染することにより彼らが運営する保護施設の維持が難しくなるという問題を引き起こしています。なお、密猟や森林破壊によって傷ついた彼らを保護するリハビリテーション施設の中には、オランウータンの人口密度が高い施設もあり、感染爆発が懸念されています。

 1990年代半ば、および2000年から2005年にかけてコンゴ共和国とガボンを襲ったエボラ出血熱では、とある地域に住むゴリラとチンパンジーの95%が死滅し、元の個体数にまで回復するには130年を要するとされています。オランウータンは地球上で最も繁殖スピードの遅い哺乳類であるため、同じような状況になった場合には、より多くの時間が必要になるか、あるいはそのまま全滅してしまう危険性すらあります。

 

 これらの問題を乗り越えた後、人とオランウータンとが共存する“人類”社会はどのような形になっているのでしょうか。もしかしたら、フィクションに登場するような教授のオランウータンや裁判官のオランウータンたちが登場するかもしれません。あるいは、オランウータンだけでなく、他の類人猿たちも彼らの後を追うのでしょうか。

 また、オランウータンに関する学術的知識も多く得られるでしょう。それは、彼らの未だ解明されていない謎の一つである成熟した男性オランウータンの一生かもしれません。オランウータンは大人になってから約40年近く生き続ける上、その生涯においては長距離移動してしまうため持続的に一個体の生涯を研究し続けるのは困難なのです。彼らの言語獲得能力のような生物学的知見だけでなく、社会性交流が乏しいとして知られるオランウータン社会においては伝承がどのように語られるかやオランウータン間の交流などといった文化学的知見およびかつてオランウータンと人とがどのような交流を持っていたかの詳細も得られるでしょう。また、自然の恵みを享受しながらにして生態系の保全に努める持続可能な社会の枠組みを構築しつつ、その一貫として多種多様の植物が同調してほぼ同時期に開花する一斉開花および一斉結実のメカニズムも彼らの智恵を借りることによって解明できるかもしれないのです。

 楽観視している場合ではありませんが、わたしがこうして未来に想いを馳せるのは、そうしなければ困難とも思える現状を打破できるわけがないと思っているからなのです。わたしは大いなる希望を持ってここにいるのです。

 さあ、秘匿と等閑の時代は既に終わりました。わたしたちは和解の時代を、これまでの争いと誤解を認識した上で互いに理解し尊重し合う時代を歩んでかなければなりません。明日には、差し伸べられた彼らの手に対して、あなた方も手を伸ばしていることを強く願います。


――2021年9月19日、ポンティアナック ヌール

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