殺戮猩々館

鈴北るい

殺戮猩々館



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私の友人に、薪炭埴輪という男がいる。


埴輪という名前に劣らぬ奇人としか言えない男で、理由なき奇行を繰り返している。

奇行というのは、たとえば大学の芝生を夜のうちに掘り返して埋まってみたり、

改札を入るところから出るまで逆立ちで歩いてみたり、

三日三晩不眠不休で街のごみ拾いをしてみたり、

ビルの壁面でロッククライミングをしてみたり、

現金輸送車を襲って三億円を強奪してみたり、

その三億円を焚き火にして焼き芋を作ってみたり、

おおむね、そのような男なのである。


歩く天災のごとき男であるから、嫌われていることは嫌われているのだが、ときどき熱心な信奉者がいて、埴輪のことを追いかけまわしては邪険に追い払われているの者を一人ならず見たことがある。

それがいかにも真面目そうな美少女だったりすることが多いから、世の中というものはわからないものである。


さて、私はといえば、別に埴輪の信奉者というわけではない。

ただ、大学に入って早々この男に、

「君と僕とは一生の親友になるよ。僕は君のためならなんでもしよう」

などと言われて以来のつきあいである。


奇行のために奇行を行い、それを誰かに自慢することを必要としないこの男が、奇行にいちいち驚いてくれるワトソンを求めたとも思われない。

おそらく、「見も知らないやつといきなり親友になる」という、奴一流の奇行なのであろう。


とはいえ、埴輪がその言葉を裏切ったことはなく、なんだかんだで私も奴を気にいるようになって、時々は埴輪の誘いに乗って、

芝生を掘り返すのを手伝ってみたり、

逆立ちした埴輪の代わりに切符を改札に入れてみたり、

昼間の間だけゴミ拾いにつきあってみたり、

少し離れて怪奇ビル登り男を動画に納めたり、

三億円の芋を食べたり、おおむね、そのように過ごしていた。


さて、殺戮猩々館への招待もまた、そのような日々のうちに起こった。


「実は夏休みに殺戮猩々館というところに招待されているんだ。

君、一緒に行かないかい。僕だけなら行かないんだが」


「いいよ、行こう」


そういうことになった。



1



殺戮猩々館は、とある小さな島にある洋館である。

フェリーで12時間かけて近くの島に行き、そこからさらに小舟に乗って行かないと辿り着けないという、絵に描いたような孤島に建っている。

明治時代、ある金持ちによって建てられた、当時はただ『島の別荘』と呼ばれていた建物だった。


ある夏のことである。金持ち一家と召使がこの島の別荘へと旅行に行って、そのまま二度と帰らなかった。


警官が数ある別荘のうちからこの館のことを突き止め、島へとやってきたときには、全ては手遅れになっていた。

館のなかには首を締められたり喉をかき切られたり殴り殺されたりした一家と召使たちの死体がころがっており、ペットらしい一匹のオランウータンが、その死体の肉を貪っていたそうだ。


警官はただちにオランウータンを捕獲し、遺体を収容したが、かつてないほどひどい有様だったので、倒れるものまで出たという。

なんでも死体のひとつは煙突の中に詰め込まれ、4、5人がかりで引っ張りださなければならなかったそうである。


以来、その館は殺戮猩々館と呼ばれるようになり、殺されたのと同じ人数、7人で館に泊まると必ず変事があるという。なので好事家の間を転々としてきたのだが、最近埴輪の熱心な信奉者である成金満子という女がこの館を手に入れたらしい。


「是非とも埴輪様に見ていただきたいのです。ご満足いただけると思いますわ、だってさ」


「金持ちってのは豪快でいいねえ。それにしてもずいぶんご執心じゃないか。お前も罪作りなやつだよなあ」


「僕は何も作っちゃいないよ。僕はあくまで君ひとすじだからお前になんか興味ないんだっていってもつきまとってきて、ついには貴方のためなら何でもする、死んでもいい、だなんて、なあ、重い女だと思わないか」


「お前なにかしたんじゃないのか?」


「なにもしないさ。ただ、いつだったか、あれの母親が犯人扱いされた事件があって、無実を証明したけど、それくらいのことだよ」


「それは……まあそれでそこまで思い詰めるのは、重いかもしれないなあ」


そんなことを話しながら船着場に着くと、そこには美少女が立っていた。

すらりと長い身長と手足に、長く伸びた黒髪が印象的で、だのに胸と尻は不釣り合いなほど多きい。一般的に言ってその容貌は美しく、体型はきわめてセクシーだった。


「お待ちしておりました、埴輪様」


上品ながら喜びをかくせない様子で挨拶した、その少女が満子であった。

船着場にいた何人かが、ちらと彼女の方を見る。こんな美少女を待たせる男とは一体だれなのか、そういう興味を抱いたのであろう。


ところが埴輪はそれにまったく興味もない様子で、「ああ、うん。あれが僕らが乗るフェリー?」と、そんなことを言う。


「はい。もう皆様、船でお待ちです」


「あっそう。行こうよ」


埴輪はそういってさっさと歩きだす。満子さんはそれでも満足気な様子である。

恋する乙女というのはかくも盲目なものであるか……そんな、多少失礼なことを思いつつ、私も短く挨拶をしてすぐに船に乗り込んだ。



2



船の中には、私、埴輪、満子さんの他に、さらに3人の招待客がいた。


ひとりは雑誌編集者の手間覚三と名乗った。オカルト雑誌の編集者で、殺戮猩々館に関しては前々から調べていたものらしい。


「いやあ、この界隈じゃあ伝説なんですよ、殺戮猩々館っていうのはね。

殺戮猩々館についてどれくらい知ってますか」


「7人で泊まると変事が起こる……でしたっけ」


「そうです。でもその変事というのが只事じゃあないようなんですよ。殺戮猩々館の持ち主というのは、結構頻繁に代わっていましてね、代わるきっかけになるのが、必ずその所有者の死か発狂なんですよ」


「必ずですか」


「ええ、必ず。こんな館を買うのはオカルトマニアの金持ちですからね。たいてい、7人の人間を集めてパーティなんか開くわけです。そして、そうするとそこで必ず死者か発狂者が出る。持ち主もそれに必ず巻き込まれるんです」


「参加者は大丈夫なんですか」


「まちまちですよ。全員死んだってこともあれば、持ち主だけが死んだってこともある。

ただ、必ず何か奇妙なことが起こるというのは確かです。

たとえばね、これは前の前の持ち主のことなんですが、その人は霊能者という人ばかりを6人集めて島に来たんだそうです。

そして何か怪事件が起こったら除霊を競わせようと、まあ、そんなことを考えていたようなんですが、

夜がふけ、12時を回り、2時を回り、3時になっても何も起こらない。

これはつまらないことになったなと思っていたら、霊能者のひとりがトイレに立った。

それまでも集った人たちは、度胸だめしに怪奇の釣り餌も兼ねてひとりでトイレに行っていましたが、

何も起こらなかったのでもう気にしなくなっていた。だから、その霊能者が入口のところでぴたりと止まっても、

ちょっとの間は何が起こったとも思わなかった。ところが何もしないまま突っ立っているものですから、

みんながおいどうしたんだと、そう思って見たらね、


首が伸びてたんですよ。


何かに引っ張られるように、頭だけが釣り上げられて、でも体は微動だにしていなくて、それで首だけが伸びていく。

全員呆気に取られて、お祓いもなにもできないでいると、ついにトイレに立った人の首が千切れて、とたんに首がぽーんと飛んだ。

霊能者たちは悲鳴を上げて、それからどうしたものかと思って持ち主の方を見た。そしたらね、


首が伸びてるんですよ。


まったくの無表情の持ち主の頭だけがぐーーーっと引っ張られて、首がどんどん伸びて、そして最後の最後に、


猩々


そう言ったとたんばつーんと首が千切れて、頭が飛んで、あとはもう救急車を呼ぶのがせいいっぱいだったそうです。

霊能力者なんていってもそんなもんなんですね。結局、なにがあったのか分からずじまいで」


「それ、本当ですか? オカルト雑誌のためのつくりとかじゃなく」


「霊能者のひとりに聞いた話ですよ。その人と僕とは前々からご縁があったんですけど、その一件以来おかしくなっちゃって、

話した通りのことは起こっていなかったのかもしれないですけど、何かよほど怖いことがあったんでしょう。ねえ」



3



ふたりめの客は、金髪縦ロールにふりふりのドレスのようなものを着こんだ、絵に描いたようなお嬢様だった。

年齢は17歳くらいだろうか。名前は高飛車子というらしい。


「あなたが満子の言っていた埴輪ですの?」


その友人です、というと、車子さんはせせら笑うと、


「おこぼれにあずかりに来たというわけですのね」


と言った。


「満子も分かりませんわ。こんなさもしい貧乏人の何がいいんでしょう」


「私はさもしい貧乏人ですけど、埴輪はそうでもないですよ」


「似たようなものでしょう? 貧乏人なんて」


「この前秒で億稼いでましたよ」


「へえ、いったい何で?」


「現金輸送車強盗」


「程度の低い嘘ですわね。小学生だって知ってますわよ、せんだっての三億円事件のことは。さもしくて嘘吐きで知能が小学生なみ。こんな連中のために危険なことをするなんて信じられませんわ。あなた、満子に何かしたんではなくって?」


「さあ。私が見るかぎり、埴輪は満子さんに触ろうともしない。冷たすぎるくらいだと思いますけどね……ところで、あなたは反対なのに参加されるんですね」


「当たり前です。さもしい嘘吐きの貧乏人と孤島に館詰めなんて、神が許しても私が許しません。おかしくなった満子を誰かが守ってあげなくちゃ」


「満子さんのことがお好きなんですね」


「なっ、何を仰っているのか私にはさっぱり分かりませんわ。ひどい人、下品です。あなた、さもしくて嘘吐きで馬鹿で、その上礼儀知らずなのね」


「ええ、はい、まあ、すみません。でも埴輪はそうでもないんですよ」



4



さんにんめの客は、20代後半と思しきショートヘアの女性だった。ただ、髪はすべて真っ赤で、快活だが異様な印象を受ける人だった。


「咫舞という。よろしく。『あた』だよ。『あた』。変な名字だろう。八咫烏の咫だよ」


「よろしくおねがいします。咫さんはどうしてこの船に」


咫さんが話をしようとした、まさにその時だった。


男のものとも女のものともつかない、言葉にならない、異様な悲鳴が上がった。


私と咫さんは顔を見合せ、それから声のする方に走った。殺戮猩々館のおそろしげな話を聞いていたから、いやな予感を覚えたのである。


はたしてそれは当たっていた。フェリーの床に真っ赤な液体が見えたとき、私も咫さんもぞっとして立ち止まったが、咫さんはすぐさま液体の源へと駆け寄った。


死体だった。喉をぱっくりと裂かれた死体だった。満子さんだった。


その隣に、私たちと同じく駆け付けてきたのだろう、息を荒げた埴輪が立っている。


「な――、まだ着いてもいないじゃないか!」


私が叫ぶと、咫さんは、「いや、これは館の呪いじゃないよ」と言って指をさした。その先には、別の死体が転がっていた。


手間さんでもない。車子さんでもない。たまたま乗り合わせた乗客のひとりだ。


「一体なにが――」


そう言いかけた咫さんの後ろから、ぬっと黒い影が姿を見せた。


あっと叫ぶ暇もない。咫さんはその影に首を締められる。ほんの2秒でごきり、と音がして、咫さんの体がだらんと崩れた。


黒い影は、黒装束の小柄な男だった。男――いや、違う。


真っ黒な顔、突き出た口、装束から除く赤い体毛……!


「オランウータンだ!」私が叫ぶと、埴輪が緊張した面持ちで「違う」と言った。


「ただのオランウータンじゃないぞ、君、格好を見ろよ。こいつは――」


そう言われて私は気付いた。顔を覆う全身黒装束に額当て。カタナこそ背負ってはいないが、これは――


認識がカタチを成すのと同時、私は失禁しながら叫んだ。


「オランウータンの――ニンジャ!」


私の叫びに反応して殺戮者が奇声を上げ、飛んだ。死んだ、と思った刹那、どんっと背中から突き飛ばされる。

あわてて立ち上がると、埴輪がオランウータンを押さえていた。だが、小柄といえど相手はオランウータンだ、じりじりと押され始めている。


「ニンジャ!? ニンジャナンデ!?」


「いいから逃げろ! 走れ! 救命ボートだ!」


埴輪が叫び、そしてオランウータンを蹴飛ばす。オランウータンは海へと落ちていく。それを確認もせず、私たちは救命ボートまで走った。


「ニンジャナンデ!?」


私の叫びに、冷静にボートを下ろしながら埴輪が答える。


「君が招待客と順々に話すみたいな退屈なことをしてたからじゃないか!? サプライズニンジャ現象ってやつだよ! ああ、いいから! あとで教えてやる! さあ、ボートが下りたぞ! 飛び込め!」


わけのわからないまま私は飛び降り、ボートにしがみついた。フェリーの中からは、まだ悲鳴が聞こえてくる。


「助けないと――」


「ニンジャと戦えるのはニンジャだけだ。知らないわけじゃないだろ。逃げだせることを祈るしかない。とにかく船から離れるんだ。飛び付かれないとも限らないからな。だいいち僕たちだって助かったとは言えないだろう。これからしばらく漂流しなくちゃいけないんだぜ」


埴輪の言葉は残酷だが、どこまでも妥当だった。


遠ざかるフェリーからはもうしばらく悲鳴が聞こえていたが、やがて途絶えた。



5



結局、あのフェリーから脱出できたのは私と埴輪だけだった。それ以外の乗客はすべてニンジャに殺されていた。

鋭利な刃物で喉を裂かれたもの一名、首を折られたもの八名、殴り殺されたもの十三名。死体はたいてい爪でずたずたにされているか、食われているか、またはその両方だった。

海にでも捨てられたか、食べられてしまったのか、死体すら見つからなかった者達もいる。


「すべてオランウータンのニンジャの仕業だ」埴輪は言った。

「ニンジャはどこにでも現れ、そして冷酷に人を殺す。オランウータンもまたどこにでも現れ、そして冷酷に人を殺す。オランウータンのニンジャ。当然の帰結だ。考えたこともなかったのが不覚なくらいだ」


もっともな話であるような、理不尽な話であるような、そんな話だった。ニンジャというのが、おそらくは根本的に理不尽なものなのだろう。天災のように。いや、サプライズニンジャ現象で湧いたニンジャであるならば、それは文字通りの天災なのだった。


どっちが幸福であるのだろう。あれが、誰かが持ち込んだオランウータンのニンジャであった場合と、唐突にやってきたオランウータンのニンジャであった場合と。


いや、多分、どちらにも大した差はないのだろう。


「とんだ冒険だった」私は言った。「船での事件も、その後の漂流も。しばらくは退院できないだろうな」


「いずれ人類はサプライズニンジャ現象を乗り越えるだろう」埴輪は言った。「確実なのはそれだけだ。あとの予定は全部くるってしまった」


「お前の予定なんて狂ってしまった方が世のためだよ」


私が言うと、埴輪はちょっと驚いたような顔をすると、笑った。


かくして、ある夏の、殺戮猩々館の事件は幕を閉じた。




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殺戮猩々館 鈴北るい @SuzukitaLouis

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