殺人事件を起こした元有名小説家の贖罪 ~第十章~


 招かれざる客が訪れてから、3日の時が過ぎようとしている。


 あの後、自分の部屋で泣いていたお幸は結局、藤田の去りゆく姿を見ることさえ出来なかった。逃げるように宿を去っていった藤田を、引き留めることが出来なかったのである。余程ショックを受けたのか、お幸の顔からは、多くの宿泊客の心を虜にしてきた笑顔は消えていた。


 この数カ月、藤田とは宿の従業員と客という関係以上に親しくなっていた。

 元来、ここに泊まりに来る客とは皆、すぐに打ち解けるお幸であったが、藤田とは少し違っていた。最初は全く心を開こうとせず困惑していた。それが少しずつ心を開き始め、それと同時にお幸も不思議と藤田に惹かれつつあった。もう少し泊まっていて欲しい……そんなふうに感じ始めていた矢先のことだった。あの男が、藤田を連れ去っていったように感じられた。


 女将が沈痛な面持ちのお幸の肩をさすり、慰める。

「お幸、大丈夫かい? 藤田さんの事は……」

 女将は、お幸の顔を見て、次の言葉を発するのを躊躇った。


 お幸は未だに藤田が人を殺めたことを信じられずにいた。

 しかし、本人が肯定したのだ。あの時の藤田の陰鬱な顔を思い出すと、やはり本当なのだろうかと思ってしまう。彼を信じたい気持ちと、あの様子では本当に人を殺したのだろうという諦観にも似た気持ちの、その双方が渦巻き、お幸の心を蝕み続けていた。

 

 だが、お幸の気持ちにも変化が起ころうとしていた。

 もし……もし、人を殺したのが本当だとしても、それを受け止める覚悟が

 この3日間で少しずつ芽生え始めていたのだ。


 あんな別れ方は嫌だ。藤田の口から、話を聞きたい。

 たとえ、その結果がどうなろうと……


 明くる日、お幸は朝食を食べた後、改めて座り直し女将と向き合った。


「女将さん……私……藤田さんを探してきます。探し出して、あの方の口から本当の事を聞きたい……たとえ、それがどんなものであっても」

 女将は、一瞬何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。それは、お幸の眼差しから確かな意志を感じ取ったからであろう。

「好きにしなさい……留守は私に任せて、自分が納得のいくようにね」

「女将さん、ありがとうございます」

 お幸は、口をキュッと結び、覚悟を決めた面持ちで立ち上がると、自分の部屋に行き、荷をまとめ始める。

 

 そうして、しばらく後、どこへ行ったのか知れぬ藤田の行方を追って、宿を旅立つのであった。



 

<次章へ続く>

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折れた筆を、もう一度… 無天童子 @muten-douji

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