第55話 ラーマの橋

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  (●)


「やれやれ。お姫様アマンダの要望は叶えられそうじゃないか」


 急なアマンダの要望が叶えられるか危惧をしていたスタッフは安堵のため息をついた。

 朝もやにかすむ街の港で目当ての船体クラスのクルーザーを何隻も見つけることができたからである。


 何しろインド最南端の岬というのは世界的な観光地でもあって、世界中から押し寄せる観光客を当て込んでインド中から、小型の遊覧漁船から大型の遠洋釣りに対応したクルーザーまで幅広い種類の船が集結し、港に錨を下ろしていた。


 アマンダが満足するであろう船体のクルーザーもあり、スタッフはスマホで連絡してアマンダの了承を得ると、早速に強欲で百戦錬磨なインド人船主オーナー相手に苦戦しつつ長距離レンタルの交渉を始める。


 ところが、スタッフが目的地を告げると、それまで「大丈夫大丈夫。問題ないよオーケーノープロプレム」と安請け合いし上機嫌だった船主が一様に「だめだめナヒーンナヒーン。セイロンには行かないよ」と言い出すのだ。


「どうしてだ?必要な金額ペイだったら払うよ。幾らなら行ってくれるんだ?」


「金の問題じゃない。今はあそこは危ない。割に合わんのだイット・ダズント・ペイ


 慌てるスタッフに、船主は苦々し気に告げた。


  (●)


 アマンダは、食べかけたドーサ惣菜クレープを皿に置くと静かに訊ねた。


「…それで?どうして直接クルーザーで向かえないの?今から2000㌔離れたムンバイに戻って飛行機に乗り換えろって言うの?」


 いつも気に入らないことがあれば怒鳴り散らしていたアマンダが、常と異なり穏やかな声で問いかける態度に、スタッフはむしろ震え上がり懸命に言葉を捻りだした。


「い、以前はできたんだそうです。観光ツアーや釣りツアーに見せかけてインド南部からセイロン島にちょっと行って帰って来る。途中で出会いそうな海上警備や国境管理連中には賄賂を贈って見て見ぬ振りをしてもらう。そうすれば顧客も船のオーナーも煩わしい手続きを省略できるし、軍人達も小遣いが稼げて万事まるく収まる。そういう風に仕事が回ってたんです」


 交渉を担当したスタッフの説明には、アマンダ当人よりも周囲のスタッフ達が大きく頷いた。

 インドの頭の固い官僚主義と膨大な書類と現場の公僕たちの賄賂壁には、撮影ツアーの間どれだけ悩まされたかわからない。

 今では撮影に近づいてくる制服と階級を見れば、つけてくるの内容や要求される賄賂の相場がわかるようになった程だ。


「ですが…スリランカ政府の対応が変わったそうです。それも突然に」


 一族支配と公僕の汚職天国として有名だったスリランカ政府が、ある時から真剣に海上警備を行うようになったのだという。

 中国から買った最新の巡視艇を精力的に駆り、中国から供与された最新レーダーと暗視装置で違法な海上交通を一掃したとか。

 摘発された船はスリランカ政府に押収され、膨大な罰金を課された上で装置の類は全て引きはがされて返却される。それで船主の商売仲間も大損害を受けたとか。

 船主には顔を顰めながら「あんたらも命が惜しかったらやめておけ。また会えるといいなフィルミレンゲ」と忠告された。


「ふーん…」


アマンダは報告を聞きつつドーサの残りを飲み込んだ。


  (●)


「……どうも公表されていない大きなテロか何かがあったらしい、という噂です。スリランカ政府はインド南部からテロリストが送り込まれたと見ている、とか」


 別のスタッフが聞き込みしてきた情報も朗報とは言えなかった。

 アマンダは追加で頼んだウッタパナムお好み焼きを千切って口に運びながら聞いた。


「テロリスト?インド人ってヒンズー教徒なのに?あ、チャイもお願い」


 アメリカ人らしい反応を返すアマンダに、スタッフは自信なげに説明する。


「原因は宗教というより民族紛争だそうです。スリランカは北部と東部のタミル人と、その他地域で主要なシンハラ人で20年間も内戦やってましたから。

 それで、ややこしいのが、タミル人はインド南東部にも大勢いるってことです。ちょうど海をまたぐ形でインドとスリランカの間に居住していた民族が国が別れた時に一緒に分けられた、みたいな感じらしくて。クルド人とかと一緒ですね。地図で分かれてますけど、昔はインドとセイロン島は歩いて渡れたんだそうです」


「あら素敵。今も渡れるの?」


「何百年か前の大嵐でサンゴ礁が崩れたせいで歩いては無理になったみたいです。ここらあたりでは今でも「ラーマの橋イラーマル・パーラム」と呼ばれてるらしいですが」


「ラーマの橋、ね。どういう意味があるの?」


「インドの叙事詩ラーマヤナでは、ラーマ王子が姫を助けるためにかけた橋、と言われているとか。以前は車とフェリーで渡れたそうですが、今は政治的理由で対立していて無理だそうです」


「ほんとうに素敵。渡れないのが残念ね」


ウッタバナムの残りを口に詰め込み、チャイを啜ってから、言葉とは裏腹にさほど残念でもなさそうな様子でアマンダは軽く感想を述べた。


「……は諦めますか?写真の土地の座標はタミル人勢力のど真ん中ですよ」


 目的地である砂浜の写真の画像は、セイロン島北東部にある。

 たしかにウィンスタグラムの注目ウィンスタワースィーもキャリアもビジネスも大事だが、命を賭けるほどの価値はない。

 ヨガの根源スポットとやらの与太話は、また別のそれらしい土地をでっち上げてやればいい。


 ところが、一行のリーダーであるアマンダの考えは違った。


「まさか。根源の砂浜には行くわよ。私が根源そこに行くことは決まっているの」


「…危険かもしれないぞ?」


「それがどうしたの。私は1人でも行くわ」


 断言するアマンダの言葉には信仰の厚い宗教者が発するような強い確信とカリスマがあった。


 単に気分屋で自惚れの強い女性でしかなかったはずのアマンダ。

彼女の昨夜からの変わりように、これは本当に神秘が取り憑いたのか、それとも何かの凶事の前触れなのか、判断がつかずスタッフたちも戸惑いを隠せない。


「とにかくまずは食事よ。行動はそれから」


 アマンダは宣言すると、彼らに取り合わずスタッフ達の食事を注文する。

 朝食を摂りながらのミーティングは、撮影チームがインドに入ってからの習慣となっていた。


 ホテルの朝食は南部インド風、ベジタリアンのアマンダの為にベジ・ミールス、他のスタッフ達はノンベジ・ミールスという長粒米と各種カレーの定食にデザートや飲み物がたっぷりと配膳されてくる。


 スタッフも体力自慢の健啖家揃いだ。これから始まる冒険的な仕事に備え英気を養うために、不安を紛らわせるように大いに食べ、語り合う。


「その…アマンダ、体重管理はいいのかい?」


 スタッフの一人が、おずおずとアマンダに訊ねた。


 アマンダは今朝からずっと1人で食事を摂り続けている。


 成功への重圧。仕事への意気込み。慣れない異国での先の見えない長期滞在。

 ストレスのはけ口が食事へと向かうのは当然とも言えだろう。


 なので食事について今さらどうこう言うつもりはなかったのだが…


「そうね。最近お腹がすくのよね。ストレスかしら?」


「そう、そうなんだ…」


 アマンダの席に積み上げられた空いた皿と食事の量は異常であった。

 大食らいの数人の男性スタッフたち全員分の量を上回っているかもしれない。

 女性にしては背が高いとはいえ、厳しい体重管理で細くなった体のどこにあれだけの食事が入っていくのだろうか。


 NYに居た頃は過酷な体重管理のために野菜スムージーとビタミン錠剤で過ごしていた彼女が、山のように皿を積み上げ、野菜と豆のカレーがかかった米を山盛りにスプーンで掬い、食べるというよりは流し込んでいく。


 まるで獰猛な彼女の食欲にスタッフ達も気圧されていた。

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庭に穴ができた。ダンジョンかもしれないけど俺はゴミ捨て場にしてる【書籍化&漫画化】 ダイスケ @boukenshaparty1

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