真冬の向日葵

雪瀬ひうろ

第1話

 あるところに善吉という子供がいました。善吉はやんちゃでいたずら好きな子供だったので村の大人たちを困らせてばかりいました。村のじい様の猟銃をかってに持ち出して魔境の魔物狩りをしようとしたり、入ってはいけないまじない師の工房に入ったり。善吉はそのたびにこっぴどく叱られましたが、まったく反省しませんでした。村の大人たちはあきれ返っていました。

 ある日のことです。善吉はまじない師の作った壁に穴が空いていることに気付きました。村の周りの魔物が出るという魔境には何度か冒険したことはありました。しかし、その壁の向こう側には行ったことはありませんでした。なぜなら、その壁を越えようとして見つかったときだけは父親に三日も納屋に閉じ込められたからです。そこまで怒った父親を見たのは初めてでした。だから、その壁の向こう側だけは何があるのか善吉は知りませんでした。

 後ろめたい気持ちはあったけれど、壁の向こう側を知りたい気持ちが勝ちました。善吉はもう十です。壁を越えようとして怒られたときとは違います。今回は慎重に計画を練ることにしました。

 まずは壁の穴を隠すことにしました。周りの草や石を集めてきて周りからよく見えないようにしました。見つかって修理されたら面倒だからです。昔は壁をこえようとよじ登ろうとしたこともありました。しかし、壁の上にはとげのついた紐がかかっているため越えることはできませんでした。穴がなければ向こう側に行くことはできないのです。

 またしばらくの間、魔境と村の境目のぎりぎりの場所で遊ぶことにしました。そこは村の外れだったので村の大人たちが居ることは少なかったのです。だから、毎日そこで遊ぶと村の大人たちに言ってまわって、善吉が村に居ないときは村の外れで遊んでいるのだろうと思わせることにしました。壁の向こう側へ行ったときの時間稼ぎのためです。

 壁の向こう側にはとても恐ろしい魔物が出るという噂を聞いたことがありました。父親があれほど怒ったのもきっと村の周りの魔境とは比べ物にならないくらいとても怖い魔物が壁の向こう側に住んでいて危ないからだと思いました。だから、念のため村のじい様の猟銃を持って行きたかったのですが、前にいたずらで持ち出してから、じい様は猟銃を善吉が知らない場所に隠してしまいました。善吉はくだらないいたずらはしなければ良かったなと思いました。

 結局、善吉は水筒と少しのお菓子、納屋にしまってあった鉈だけをリュックサックに詰め込んで出発することにしました。

壁は固い網のようなものでできていました。まじない師が作ったものです。穴はその壁の下の方に空いていました。子供が一人やっと通れるくらいの大きさのものです。善吉は網の目をめくり上げるようにして内側に滑り込みました。

 網の壁ですから向こう側がどんなふうになっているのか大体のことは見えていました。しかし、実際に歩いてみると思った以上に険しい山道です。これほど大変な道なのですから、きっとこの山の向こうにはすごい景色が広がっているのだろうと善吉は思いました。その山では、村では見たことのないほどの大きな木や花がありました。善吉と同じくらいの大きさのトカゲや派手な色をした犬のような生き物も居ました。きっと魔物です。魔物に近づくのは危険なので善吉は気付かれないようにそっと逃げました。

 どれくらい歩いたでしょうか。あまり進んでしまうと日が沈むまでに村に帰れなくなると善吉は思い始めた頃、ようやく山の向こう側が見えてきました。

 そこに広がっていたのは見渡す限り一面のひまわり畑でした。季節は真冬で周りには雪が積もっていたのに、ひまわりはどうどうと太陽に向かって咲いていました。

 善吉はこんな光景は見たことがありませんでした。真っ白な雪と太陽のようなひまわりは、とても不思議で綺麗だと思いました。村の大人たちはきっとこれを子供たちに内緒にして自分たちだけで楽しんでいたに違いありません。そうでなければこんな綺麗な場所を内緒にして壁で囲っておく必要なんてないと思ったからです。

 ひまわり畑はどこまでいったら終わるのか善吉の目ではわからないほどの広さでした。ひまわり畑の向こう側には山とたくさんの水が見えました。あの水はきっと海というものです。善吉は以前に村のじい様に見せてもらった写真で海のことは知っていましたが、実際に海を見るのは初めてでした。善吉はとても興奮しました。


「あなたはだれ?」


 善吉は飛び上がりそうになりました。ひまわりに夢中になっていて誰かが近づいていることに気がつかなかったからです。


「ごめんなさい」


 善吉は思わず手で顔を覆いながら謝りました。善吉を連れ戻しにきた村の大人だと思ったからです。


「どうしてあやまるの?」


 おそるおそる善吉が目を開けてみると、そこに立っていたのは知らない女の子でした。歳は善吉よりも少し下のように思います。全身がつるつるとした布で覆われた見たこともない服を着ていました。また頭全体を覆うような透明な帽子もかぶっていました。村人は全員知り合いですからこの子は村人ではありません。善吉は村人以外の人間を写真以外で初めて見ました。


「村の大人かと思ったんだ」

「村? あなたは村の人間なの?」


 善吉は黙ってうなずきました。

 女の子は首をかしげていました。


「でも鎧、きてない」

「鎧?」

「鎧をきてないとここに来ちゃだめだって母さまは言っていたわ」

「君のその服も鎧なの?」


 善吉は女の子の真っ白でつるつるとした服を見てそう聞きました。


「そうよ。これをきてないとお外に出てはいけないのよ」

「そうなんだ……」


 善吉は女の子の服はとても動きにくそうで不便そうだなと思いました。

 そこで善吉はふと思いついて女の子に尋ねました。


「あのひまわりはなんで真冬なのに咲いているの?」

「あのひまわり?」


 女の子は不思議そうに答えます。


「ひまわりは一年中咲いているわ」

「そんなはずないよ。ひまわりは夏の花だよ」


 善吉は村のまじない師のお姉さんがこっそりと山の傍でひまわりを育てているところを見ていたので、ひまわりが夏の花だと知っていたのです。


「でも、あの花はずっと咲いているわ。わたしも世話しているわ」


 女の子は言いました。

 善吉にはなぜひまわりが一年中咲いているのか不思議でした。でも、もしかしたらひまわりは一年中咲くものなのかもしれません。村のまじない師のお姉さんのひまわりが夏にしか咲かないのは、お姉さんが育てるのが下手なのかもしれません。この子の世話が上手だからここの向日葵は一年中咲いているのかもしれない、そう思いました。


「すごいなー」


 善吉は感心してしまいました。


「すごい?」


 女の子は何がすごいと言われているのかまったくわかっていないようでした。


「だって君がこのひまわりを育てているんでしょ」

「わたしだけではないわ。母さまも父さまも、おじさまや兄さまたちもよ」

「こんな綺麗なひまわり畑を育てているのだもの。すごいよ」


 女の子は戸惑っているようでした。


「このひまわりは罰の花なのよ」

「罰?」

「このひまわりを育てることはわたしたち一族に与えられた罰なの」


 女の子はすこし悲しそうに言いました。


「どういうこと?」

「わたしにもよくわからないわ。むずかしい話ですもの。でも、この話をするとき、母さまも父さまも怖い顔をするわ。だから、あのひまわりはあまり好きじゃないの……」


 女の子は顔を伏せました。


「こんなに綺麗なのに……もったいないよ」


善吉はすごく残念に思いました。


「僕はずっとこのひまわり畑を見ていたいよ。それくらいすごいと思う。そんな花を育てている君も」

「……ほんとに?」


 女の子は顔を上げました。


「ほんとうだよ」


 善吉は女の子の顔をおおった透明な帽子越しに彼女の目を見て言いました。

 善吉が空に目をやると太陽はだいぶ傾いていました。


「大変だ。もう帰らないと」


 村の大人に見つかったらただでは済まないだろうと善吉は思いました。

 善吉は女の子に言いました。


「また来てもいいかな?」

「また、来てくれるの?」

「うん」


 女の子は力強くうなずきました。


「じゃあ、来て。待ってる」


 女の子は表情を少し柔らかくしました。


「僕の名前は善吉。君は?」

「私の名前はるり」

「るりちゃんか。またね」

「うん、またね」


 善吉はるりに手を振って元来た道をかえって行きました。しばらく進んでから善吉が振りかえるとるりは、まだ小さく手を振っていました。




 それから善吉は何度もるりに会いにひまわり畑に行きました。険しい山道も近道を見つけたため、早く登れるようになりました。しかし、何度か魔物に危ない目にもあいました。やはり、壁の向こう側は危険な場所だったのです。

 善吉はるりと一緒にひまわり畑で遊びました。

 るりはけん玉が得意でした。くるくると棒を回し、赤い玉を皿にのせ、反対の皿に乗せ、棒に突き刺しました。それはまるで魔法のようでした。


「すごい!」


 善吉は感心しました。

 今度は善吉がけん玉に挑戦しました。けれど上手くいきません。


「難しいよ」

「練習したらできるようになるわ」


 その日はずっとけん玉に挑戦しましたが、結局上手くいきませんでした。


「貸してあげる」

「いいの?」


 るりは黙ってこくこくとうなずきました。


「必ず返すから」


 善吉はそう言いました。

 他にもかくれんぼをしたり、木登りをしたり。村には善吉と同じくらいの年の子供は少なかったので、善吉はるりと遊べることが楽しくてなりませんでした。

 ときどき、るりがひまわりの世話をするのを手伝うこともありました。


「ひまわりにさわるときは手袋をしないといけないのよ」

「そうなんだ」


 善吉はるりに手袋を借りて水をやったり肥料をやったり、周りの雪をどかしたりしました。




 ある日のことです。善吉は村から持ってきたお菓子をるりにわけてあげようとしました。しかし、るりはそれを断りました。


「どうして?」

「だってお外で鎧をとってはいけないし、外にある食べ物は食べてはいけないの。毒だから」

「大丈夫だよ、僕は食べてるし」

「ダメなの。基地の中にある食べ物以外は、私は食べてはいけないの」


 善吉は納得できませんでしたが、るりにお菓子を食べさせるのをあきらめました。善吉はこの場所のおかしさを感じ始めていました。




 そして、ついにその日が来てしまいました。善吉が壁を超えているところを誰かに見られてしまっていたのです。壁の向こう側でるりと遊んでいたときに善吉を追いかけて父親はやってきました。


「帰るぞ!」


 父親は善吉に怒鳴りました。


「ごめんなさい!」


 善吉はとっさに謝りました。

 父親は善吉の腕を掴んで足早にその場所を去ろうとしました。


「あ……」


 るりが何か言おうとして善吉の父親に近づきました。

 父親は叫びました。


「近づくな! 罪の一族が!」

「あ……」


 るりは青ざめて後ずさり、へたりこみました。


「おまえたちの先祖は罪を犯した! だから、この土地は呪われたのだ!」


 父親の顔はまるで鬼のようでした。それくらいに父親は怒っていたのです。


「汚らわしい罪人め……」


 父親は座り込むるりを見て憎々しげにつぶやきました。


「ごめん……なさい」


 るりの口から言葉がこぼれました。

 るりはうつむいたまま顔を上げませんでした。善吉は父親に無理矢理手を引かれながら黙って見ているしかありませんでした。




 村に帰ると善吉はまじない師のところに連れていかれました。まじない師の工房は他の木でできた家と違ってつるつるとした固い石でできた建物でした。


「解呪の儀式を行う」


 顔に大きな刺青をしたまじない師のお姉さんはそう言いました。彼女もやっぱり同じような鎧をつけていました。


「聖水を……」


 善吉は水をすごい勢いでかけられました。

 そして、まじない師のお姉さんはよくわからない言葉をぶつぶつとつぶやき始めました。善吉には、ほとんど聞き取れませんでした。きっと呪文というやつです。


「……この子に主の加護があらんことを」


 そういってお姉さんは善吉に十字架をかざしました。


「これで儀式は終わりだ」


 お姉さんは工房を離れて濡れた僕にタオルを渡してそう言いました。

 そうして、解呪の儀式は終わりました。




 善吉は父親にこっぴどく叱られました。何度も何度もあの場所には二度と近づかないように言われました。一週間経って家の外に出ることが許されるようになっても村の大人の誰かが善吉を見張るようになりました。

 空いていた穴もふさがれました。これで二度と壁の向こう側に行くことはできなくなりました。それはるりには二度と会えず、あのひまわりも見ることはできないということです。善吉はとても悲しくなりました。しばらくの間は何かの拍子にふとるりとひまわりのことを思い出して涙がこぼれそうになりました。もう一度、るりに会いたいと思いました。




 ある日のこと、善吉は自分の部屋でけん玉を見つけました。いつかるりに借りたけん玉です。まだ善吉はけん玉を返していませんでした。必ず返すと言ったのに。

 善吉はけん玉を握りしめました。




 善吉は村のまじない師のお姉さんのもとに走りました。


「僕を弟子にしてください」




 十年の月日が流れました。善吉も成長し、一人前のまじない師になりました。今日はついに師匠と共に壁の向こう側を訪れる日です。鎧を身につけて二人は山道を登りました。

 二人は険しい山道を登ります。


「見えてきたぞ」


 雪の中一面に咲くひまわり畑でした。しかし、善吉はそれよりも早くるりに会いたいと思いました。


「あっちが基地と居住区だ」


 師匠の後をついて歩きます。

 善吉は新しい薬の発明に成功していました。この薬を使えばこの土地の呪いを解くことができるかもしれないのです。もし成功すればるりを呪われた運命から解放することができます。そのためだけに善吉は今日まで研究を続けてきたのです。


「ここだ」


 そこは石作りの大きな建物でした。基地です。ここで収穫したひまわりを処分するのです。ひまわりは土地についた呪いを吸い取ってくれていました。その呪いごとひまわりを処分するのです。美しいひまわりの秘密を知ったとき、善吉は無性に悲しくなったものでした。

 基地の中には罪人と呼ばれる人々が働いていました。彼らはみなこの土地に呪いをふりまいた一族の末裔です。この土地が浄化されるまで彼らは許されることはありません。

 あいさつもそこそこに善吉は尋ねました。


「ここにるりという女性は居ませんか?」


 罪人の男は答えました。


「……るりは私の娘です」

「そうですか。るりさんはどこに?」

「るりは亡くなりました……」

「亡くなった? なぜ?」

「呪いのためでございます……」


 土地で呪いを解くために働く罪人は呪いに当てられ死んでしまうことも多かったのです。


「そんな……」


 師匠が何かを言ってくれていましたが、善吉には何も聞こえていませんでした。




 村との境目の山から一面のひまわり畑を善吉は見下ろしました。なぜだか、ひまわりはあの日のように綺麗には思えませんでした。

 かつてるりと遊んだ場所を訪れました。そこにもやはりひまわりが咲いていました。ひまわりは呪いを集めて処分されるためだけに咲いているのです。一年中咲いているのもたくさんの呪いを集めるために作りかえられたためです。ひまわりは呪いの犠牲になっているのです。

 でもそれはここに住む罪人も同じでした。彼らも呪いの犠牲になっているのです。悪いのは彼らの先祖であって彼らではありません。どうして彼らが犠牲にならねばならないのでしょう。るりとひまわりは同じなのです。

 歩き回っているとたくさんの小さな石が並べられた場所に出ました。よく見ると一つ一つに名前が刻まれています。それらはお墓でした。善吉はるりの墓を探しました。お墓は非常にたくさんありました。呪いのためにたくさんの人が死んだのです。

 ついに善吉はるりの墓を見つけました。そこでようやく善吉は涙を流しました。


「どうして……」


 善吉の声は言葉にはなりませんでした。

 善吉はあの日借りたけん玉をるりのお墓の前で取り出しました。何度も何度も練習して、今はもうぼろぼろになってしまったけん玉です。


「僕、けん玉できるようになったよ……」


 るりの墓の前で善吉はけん玉を始めます。玉と棒がたてるかちっかちっという音が静かなひまわり畑に響きました。

 そして、善吉はるりの墓の前で誓いました。世界中にある呪いも魔物も全て退治して誰もが笑っていられるような世界を作ることを。

 雪の中に咲くひまわりは、記憶の中のるりが居た日のひまわりの方がずっと綺麗でした。

                        〈了〉

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真冬の向日葵 雪瀬ひうろ @hiuro

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