殺戮オランウータンVS中華の鉄人
はむらび
第1話
武食同源。食うとはすなわち生きる事であり、生きることとはすなわち闘うことである。
パリ郊外。寂れたアパートメントの一室。住人であった老婆の血肉が散乱したそこに、突如訪れたのは異様な風貌の男であった。
きれ長の眼をした、アジア系の男であった。拳法着に身を包み背筋の通った、いかにも功夫の達人であるという服装。
異様な点があるとすれば、その拳法着が純白であることと、かの偉大なるフランス料理人アントナン・カレームが考案した「コック帽」という長く白い帽子を頭にのせているという点だった。
「お前が殺戮オランウータンとやらか。エスコフィエの奴の言うことだから信頼はしてなかったが、まさか本当にお目にかかれるとはな。」
中華料理人は腕を組み、言った。
ここは、今パリの市民を恐怖の渦に叩き落している殺戮オランウータンの根城であった。かつて2人暮らしの母と娘を虐殺し、それを捜査した警官を虐殺し、自身をボルネオで捕まえた船乗りも虐殺し、この郊外の寂れたアパートの大家であった老婆も殺し、ここに居座っている。
唯一逃がした一流探偵にして一流フランス料理人、オーギュスト・
では、この中華料理人はパリ全土を恐怖の渦に沈めたこの殺戮オランウータンを打倒し、世界に平和を齎そうという勇者なのか!?!?!?
否。そうではなかった。
「『満漢全席』を構成する、4ジャンル8種ずつ、32の食材群。それが四八
珍。」
その32の中に、『猩唇』というものがある。オランウータンの唇の肉。この世で最もプリプリ食感に溢れた食材。
「俺はお前を狩りに来た。」
殺戮オランウータンにとっては、それが勇者であるかどうかなどどうでもよかった。
ただ、己を殺そうとするものだとわかれば、それ以上の問答は要らなかった。
「ギキイィィィィィィイイイイ!!!!」
「猩唇、調理開始。」
先手を取ったのは、殺戮オランウータンだった。
野生の反射神経が齎す速度は、いかに相手が熟練のハンターであり熟練の格闘家であっても反応不可能。
脚の2倍以上の長さを持つオランウータンの腕から繰り出される、亜音速のジャブ。それこそが殺戮オランウータンの初手安定行動であり、必殺の奥義であった。
しかし。
ガキン!
数多の人間を殺してきた殺戮オランウータンの長い拳。
だが、「気」を体内に循環させた中華料理人の肉体は、鋼鉄をも上回る強度を持つ。
即ち、中華の鉄人。
食により心を育て、体を育てる。そして、その食材を探究する過程で己の技を磨く。それこそが中華の鉄人。
その鍛え上げた肉体と技は、殺戮オランウータンにとって未だかつて見たことがないものだった。
殺戮オランウータンは、ボルネオのジャングルで生まれ育った。ジャングルには悪虐アナコンダや猟奇的ボルネオゾウ、人喰いウツボカヅラ、血塗られたスマトラタイガーなどの多くの生き物が暮らしていた。
だが、全て殺戮した。彼はジャングルの王者となった。
そして、すぐにそれが虚しいものだと気づいた。だから彼はこのパリの街に来たのだ。そこになら、この殺戮の拳と対等に競い合える漢が居ると信じて。
そして、その漢は今目の前にいる。
そしてそんな回想に浸っているうちに、中華の鉄人の拳は目の前に迫っている。
「『熊掌』」
殺戮オランウータンの内臓にズドン、と衝撃が走った。
かつて四八珍、殲滅ツキノワグマと闘い、その熊の手を喰らうことで得た奥義、『熊掌』である。
食し、その栄養素をその身に宿した上で打ち出される象形拳は、その元となった殲滅ツキノワグマの拳の威力を100%再現する。
否、中国4000年の文化にも精通し、功夫による衝撃の伝達をものにした鉄人が振るう熊掌は、本来の殲滅ツキノワグマの1000%の威力に違いない!!!!!!
殺戮オランウータンは吹き飛び、アパートメントの薄い壁を突き破って隣の部屋に叩きつけられた。
これが満漢全席、四八珍の威力!
「調理、完了」
鉄人が気を抜いたその時!隣の部屋から、異様な速度で腕が迫る!
殺戮オランウータンは、いままで単なる身体スペックだけでボルネオの頂点に君臨していたわけではない。野生のオランウータンの柔軟性と森の賢人の学習能力は鉄人の「功夫」を学習、壁に叩きつけられた衝撃を逃がしていたのだ!
「ヌゥゥゥ!『竹笙』!」
かつてジャイアント・DEATH・パンダひしめく秘境を探索し獲得したキヌガサタケの秘めた魔力によって肉体をスポンジ状に変化、衝撃を吸収する中華の鉄人。
だが、「強度」というアドバンテージを捨てたその判断が下策であった。
殺戮オランウータンの明晰な殺戮判断力は、相手が「衝撃を逃がす」「柔軟な」肉体に変化したことを見逃さなかった。その拳を開き、「掴む」動作に移行したのだ。
樹上性のオランウータンは常に木を握って生活している。木を離したら落ちて死ぬ。
その規格外の握力は、料理の鉄人のスポンジ状に変化した腕を、引きちぎった!!!!
咄嗟に鉄人は体内で「気」を循環、鉄の肉体を取り戻そうとした。
だが時すでに遅し。
身体の一部が欠損した状態では「気」の循環経路が保てない。
相手が弱小存在であれば不完全な鋼鉄化でも問題はなかっただろうが、相手はジャングルの王、殺戮オランウータンなのだ。
殺戮オランウータンの大きな掌が、鉄人の顔面を掴み、握りつぶした。
殺戮オランウータンは、料理の鉄人だったものを潰した。丹念に破壊した。無垢な子供が虫の羽をもいで遊ぶように。料理の鉄人だったものは、もはや原型をとどめぬ肉餅となった。
殺戮オランウータンには、殺戮以外のことはできない。殺戮オランウータンには森の賢人としての明晰な知性があるが、それでもその溢れ出る未知の感情に対して、殺戮以外の表現は知らなかった。
「キキィィィィィィィイイイ゛イ゛!!!!!!」
殺戮オランウータンは獲物の血と肉がこびりついた毛むくじゃらの長い手を叩きながら、大きな声で嗤った。
唇をめくり、牙を剥き出しにした威嚇のような笑い。
「キ?」
オランウータンは、鉄人をたしかに殺していた。
出血から考えても、もげた四肢から考えても、零れ落ちた内臓から考えても。明らかに生物が生きていて良い状態ではなかった。
だが、それでも。
殺戮オランウータンが「遊び」、原型を留めないほどに壊したさきほどまでと比べたら、明らかにヒトの形をしていた。
ぐじゅり、と音がした。肉が焦げる音がした。焼き肉と似た、それでいて生理的不快感を煽る匂いがした。
潰したはずの顔面は、炎で炭化し、その炭が剥がれ落ちると元通りになっていた。
四肢のもげた部分から炎が飛び出し、次の瞬間には新しい腕が生えていた。
あきらかに、異様な光景であった。
さて。中華の秘奥、四八珍に数えられる食材には、
……そして、失伝し現代ではその正体すらわからないものすらも。
「……
八尾比丘尼、という女性の伝説がある。かつて、人魚の肉を食した事で不老となってしまった女性。
で、あるならば、不死の象徴たるフェニックスを食した彼はどうなってしまったのか。
「殺戮オランウータンとやら。残念だったが俺を殺しても無駄だ。」
当然!!!!!不死になった!!!!!
「お前はたしかに殺戮の天才だが、殺された程度じゃ俺は死なねェ。」
「キィィーーッッッ!!!」
殺戮オランウータンの笑み!人間にとっては、それが敵に対する威嚇なのか、強い敵と闘える喜びを表しているのかは判別がつかない!
ひとつわかるとすれば、それは強敵への攻撃の合図であるということ!!!!
殺戮オランウータンが選択した武は「噛みつき」だった。中華の鉄人の功夫を考えれば、四肢を扱う同じ土俵で戦うべきではないと考えたためだ。
……オランウータンは、強大な個体ほど頬骨にあるフランジという部位が大きくなる。で、あるならば当然、頬骨につく筋肉量も多くなる。頬骨の筋肉は「噛む」力に直結し、強大になればなるほどその咬合力は指数関数的に増大するのだ!!!!
故にジャングルの頂点、オランウータンの中のオランウータン、殺戮オランウータンの「噛む」力は、クロコダイルの数百倍とされる!!!
いかに中華の鉄人の鋼鉄より硬く鍛え上げた拳といえど、肉片まで砕かれ、咀嚼されることを回避できない!!!!!
だが。
「食材を咀嚼する」という点において。
「足のあるものなら机以外食べる」と称されるほどの探究心を持つ中華料理人の右に出るものなど、いるはずがない!!!!!
同じく鉄人の選択した「武」も噛みつき!!!!
肉を断たれ、骨を絶たれようとも、鉄人の「牙」は獲物に向かっている!
殺戮オランウータンは咄嗟に肉餅となった鉄人の腕を吐き出し、唇を覆った。
森の賢人の中の賢人、殺戮オランウータンの知性は、相手がオランウータンの唇を狙って狩る狂人であることを見抜いていたのだ!!!!
「ああ、言い忘れてた。」
「ギ゛?????」
直後、獲物に喰らい付いた中華の鉄人は、ウータンの肉体を砕いた!
唇ではなく、殺戮オランウータンの頭蓋骨を!!
そしてその内側にある「もう一つの獲物」に食らいつき、飲み干した!!!!
「『猴頭』。『オランウータンの唇』だけじゃなく、『猿の脳味噌』も四八珍には含まれてるんだ。生きたまま刺身にして食うんだとよ。」
殺戮オランウータンは返事をしない。脳を破壊されたためだ。
だが、それ以上に料理の鉄人と殺戮オランウータンは通じ合っていた。
森の賢人の明晰な知性は、食を通してもはや血となり肉となり、料理の鉄人と一体化したのだ。
「
勝者、中華の鉄人。残す四八珍は、あと8つ。
殺戮オランウータンVS中華の鉄人 はむらび @hamurabi
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