僕はヒーローになり......

 まだ音楽の流れるヘッドホンを取り首に提げると僕は足を止めた。エルフに人狼、小人にオーク、猫人に犬人。姿形の違う人々と絶えずすれ違う人混みの中でただぽつりと立ち尽くす1人の青年。

 僕はふと顔を横へ向けた。そこにはショーウィンドウがあり向こう側にはヒーローの玩具が並んでいる。ゆっくりと方向転換し惹かれるようにそのショーウィンドウへ近づいていく。同時に歩を進める度、ショーウィンドウに映った僕と同じ格好をし同じ顔をした僕も近づいて来た。

 足を止めれば目の前に居る僕。自然と手が伸びると向こうの僕も手を伸ばし寸分の狂いもなく2つの手は合わさり合い、2つの双眸が互いを見つめ合う。

 そこに映っていたのは何者でもないただの通行人Eだった。逃げ惑いただ願うばかりの野次馬の中の1人。

 子どもの頃の僕が今の僕を見たらどう思うだろうか? 通行人Eの――自分の顔を見ているとふとそんな疑問が頭を過った。

 純粋な気持ちでなれると信じてやまなない君に、見るのは簡単だけどそこへ行くのは想像絶すると現実を教えたらどんな顔をするだろうか? 期待するだけじゃ何も変わらない。やっても中々変わらない。活躍して笑みを浮かべる人たちを陰から見つめ拳を握るだけ。そんな自分は惨めで嫌気が差す。

 いつかは、僕だって。そう思い進んでるつもりでも目の前の背中が増えていく。涙ぐんで苦労を語るあの人は僕よりも若い。同世代のあの人は自分はここからが本番だと言うが僕はまだスタート地点にすら立ててない。本番までの道のりすら僕には酷く遠く険しい。なのにそれより先が本当の戦いなんて......。

 いつからだろう。夢の煌めく方へ進んでいたはずなのに段々と道は逸れ、今じゃ何でもないただの平坦な道を歩いてる。細く暗い道を歩き続けるのはそれなりに大変で辛いけど、特に何も思わず機械のように歩き続けてる。現実を避けるように斜め下を向き、たまに前を向いても、子どもの頃ただ綺麗だったから、それが欲しかったから手を伸ばしていた煌めく星はこの道の空にはない。

 そんな事を考えているとショーウィンドウに映る僕の後ろで小さな男の子がこっちを見ているのに気が付いた。僕はガラスから手を離し振り返った。だけどそこには男の子なんていなくてただ行き交う人々の脚が通り過ぎているだけ。

 すると突然、向こうにあるビルが爆音と共に爆発した。何階か数えるのも億劫になる場所で上がる黒煙を咄嗟に見上げる。そして時計の針のように絶えず動いていた人々の足は止まり辺りはざわつき始めた。


「あっ! ママ僕の風船......」


 その最中、男の子の訴えるような声が聞こえ斜前を見遣ると丁度、赤い風船が独りでに空へ上がっていくのが見えた。僕は咄嗟に手を伸ばすが紐に触れることすら敵わず嘲笑するように風船は上へ飛んでいった。その風船を少し見つめ視線を落とすとそこには空しか掴めなかった頼りなく情けない僕の手。

 すると大勢の人がビルを見上げる中、1つの悲鳴がそれを地に落とした。それは連鎖するように上がっていき何やら騒ぎは大きくなっていく。もちろん僕も手からその方へ視線を移した。

 だけど全く状況は掴めない。

 そんな僕を他所にその波紋はどんどん広がっていく。人混みの所為もありビル下は見えずらかったが、まるでアピールでもするようにそれは飛躍し目の前の道路までやってきた。

 車を踏みつぶし着地したのは、尖鋭な爪と牙に多種族の中でも異形で化物と呼ぶにふさわしい存在。

 それは威嚇なのか余裕なのかその場で停止したように動かない群衆に大きく叫声きょうせいを上げた。その瞬間、一気に人々は慌てふためき兎に角その場から離れようと走り出した。依然とその場で立ち尽くし化物を見ていた僕の体には邪魔だと逃げ惑う人々の手や肩が何度もぶつかる。

 動き始めた時間の中、手当たり次第に人々を襲う化物。目を付けられる前に僕も早く逃げ出さないと行けないのに何故か足は動かない。恐怖も多少りなりともあったが、そうじゃない何かが足をその場に留めさせていた。


「智也!」


 辺りを埋め尽くす悲鳴や怒声に紛れた女性のその必死な声は突然、僕の耳に入ってきた。声のした方向には人波に逆らいながら手を伸ばす若い女性の姿。僕は視線をその女性の向く先へ移動させた。

 そこには道路に立ち尽くす1人の男の子。

 そして怯えた表情が見つめる先にはあの化物がいて、今まさにその男に子に気が付き体を向けていた。相手が動けないと知っているのかその足はゆっくりと進んでいく。恐怖で引きつった男の子の顔を泪が流れるが声は出ない。

 周りの大人達は逃げるのに必死で誰も男の子に気が付いていないようだった。いや、気が付いていても見て見ぬ振りをして逃げることを優先してるんだろう。でももしそうだとしても誰がその人達を責められようか。僕にはその責める人の方が無責任に思えて仕方ない。

 僕は目を瞑り大きく息を吐いた。ここで逃げても仕方ない。だって僕みたいなヒーローでも何でもないただの通行人Eにはどうすることも出来ないのだから。言い聞かせるように、自分に言い訳するように心の中で呟いた。

 そしてゆっくり目を開けると無意識に眼は男の子へ向く。依然と動けずに恐れ慄き化物はすぐそこ。

 ――仕方ない。

 僕は最後にそう呟き、動き始めた。

 人波を真っすぐ横切り出来る限り速く。右から左へ流れる人を掻き分け僕は道路に出た。化物はもう男の子の目と鼻の先。僕は普段運動をしない体の出せる最大限の速度で駆ける。間に合うかは分からない。化物の獰猛な手が振り上げられた。

 僕は無我夢中で飛び込み男の子を抱きかかえながら地面を2転3転。体の回転が止まると右腕に脈打つような痛みがあるのに気が付いた。男の子から手を離し二の腕へ手を伸ばす。目で見るまでもなく触れた手には濡れた感触と同時に痛みが走った。遅れて目をやるとそこまで深くはなさそうだが腕には破れた部分から顔を出す赤い3本線。

 正直、そんなことしてないでさっさと立ち上がり男の子の手を手引いて逃げ出せばよかったと、その時が来てから後悔した。

 間一髪で危機を回避した僕らの前には先ほどの化物が執念深くひと跳びしやってきたのだ。今度は逃がさんと言わんばかりに鋭い視線を向けている。逃げる隙も無ければ男の子は怯え腰を抜かしていた。

 とはいえ僕も腕の痛みと共に鼓動するのは心臓じゃなくて恐怖心だった。だけどそれ以上の感情が体を動かす。僕は男の子の前へ出ると彼を庇った。何の意味も無いのに先に殺してくださいと男の子の前へ。

 この化物に感情というモノがあるのかどうかは分からないが、今の僕に対して慈悲が無いことは分かる。化物は疎かだと言うように片手を振り上げた。陽光に反射して光る尖鋭な爪を目にして僕は死を感じた。でも不思議と嫌な気はしない。心残りはいくつかあるけど、少し子どもの頃の夢に近づけたような気がしてて気分は状況程悪くは無かった。せめてこの男の子が助かればいいな、そんな少々楽観的な事を思いながら僕は目を瞑る。来るべき痛みに心の準備をしながら。

 だけど痛みは体のどこにも来なかった。その代わり金属のぶつかり合う音が聞こえた。痛みが来ない理由と謎の金属音の正体を確かめる為にゆっくりと瞼を上げる。

 そこには閉じる前とは違う景色が広がっていた。化物と僕との間を分かつ1つの背中。まるで妄想の僕のようにそこには頼もしい背中があった。背後からだと少し見えずらいがどうやらその人は刀で怪物の爪を防いでいるらしい。結ばれてもなお背まで伸びた長い髪、僕は彼を知ってる。ニュースアプリや動画サイトにも沢山載ってる人だ。

 その人は多少続いた鍔迫り合いを弾くように押し返し終わらせるとすかさず化物の胴へ手を触れさせた。掌が鰐皮わにがわのような体に触れた瞬間、化物は途轍もない勢いで吹き飛ばされ、同時に顔を防ぎたくなる程の風が一瞬だけ顔にぶつかる。

 目の前の化物を退けるとその人は情けなく腰を抜かしたようになっていた僕の方を振り返った。


「大丈夫かい?」

「――えっ? ......あっ、はい」


 優しく透き通るような少し低めの声。その人は同じ男性とは思えない程に美形だった。女性ファンが多いのも頷ける。

 そんなピンチに颯爽と駆け付け間一髪のところで救いの手を差し伸べた彼はまさしくヒーロー。今を時めくヒーローは眩しい程に格好良かった。

 そして彼の姿を見た途端、何とも言えない安心感が心を包み込む。


「それは良かった。――さて、君らを早いとこ逃がしてやりたい訳だけど......」


 するとヒーローの言葉を遮るように僕らの周りをぐるりと囲い先程の化物が十体(正確な数は分からないからもっと居たかもしれないが)、まるで空から降ってきたみたいに跳んできた。


「どうやら彼らはそうしたくないようだ」


 周りを軽く見回したヒーローの顔がもう一度僕らの方に向く。


「その場を動かないでくれると助かる」


 僕は1度頷いて見せた(当然ながらここで断る選択肢はない)。

 すると1体の化物がヒーローの背後で走り出した。だけどヒーローは僕の方を向いたまま。気が付いてない?


「よし。それじゃあ少しだけ......」


 ヒーローのすぐそこまで迫った化物。僕は慌ててそのことを伝えようとしたが、稲妻のような一閃がそれごと化物を斬り捨てた。

 そして何事も無かったかのように血を払いながらヒーローは僕の方を向き直した。


「待っててくれ」


 その言葉の後、僕らを守りながらヒーローは次々に襲い掛かる化物を軽やかに相手し始めた。まるで未来予知でもしているように攻撃を躱し、確実に刀へ血を吸わせていく。それは圧倒的な力の差。

 ヒーローが戦い始めてからこの場に居た化物が一掃されるのにそう時間はかからなかった。

 そして全ての怪物が地に倒れるとヒーローはゆっくりと血払いをした刀を鞘に納めた。その音が止まっていた秒針を動かすと野次馬の群衆が一気に盛り上がる。歓声に混じり色々な言葉がヒーローへ届けられた(その中には黄色い声もかなりの混じっていたことは言うまでもない)。

 その中、僕は背を叩かれ後ろを振り向いた。まだ頬の濡れた男の子の見上げる顔と目が合う。


「お兄ちゃん。――ありがとう」


 涕洟ていいでぐちゃぐちゃなりながらもその表情には笑顔が浮かんでいた。それはこの大歓声の中でたったひと声、僕へ向けられた言葉。この距離でも周りの音に容易く呑まれてしまいそうな弱々しく小さな声だったけど僕の耳にはしっかりと――心にはしっかりと届いた。


「君のおかげでその子は助かったんだ」


 今度は後方から掛けられた別の声に顔を前に戻すとそこにはヒーローが立っていた。


「君がその子を救ったんだよ。スゴイことだ」


 そう言って差し出された手はあの化物を倒した人のモノとは思えない程、華奢で優しかった。そして僕はその手を取ると力を借りながら立ち上がった。


「でもあなたが居なかったらあの化物にやられてました。結局はあなたが全員を救ったんです。ありがとうございます。さすがはヒーローだ」


 すると彼は声を出さず軽く笑い出し首を振った。上下に軽く何度か。


「まぁ、確かにこいつらをやったのも俺だし彼らからしたら俺がヒーローかもしれない」


 彼ら、その言葉と共に片手に持っていた刀でぐるりと周りの野次馬を指した。


「でもあの2人にとっては俺じゃなくて君がヒーローだ」


 彼が僕の後ろを指差すとそれに釣られるように振り向く。そこにはいつの間にか駆け寄っていた母親と抱き合う男の子の姿。どちらも泪に頬を濡らし生きている喜びを味わうように力強く抱き締め合っている。

 その微笑ましい景色を見ていると背を軽くぽんと叩かれ、顔を前へ戻してみると既に歩き出したヒーローの背中が段々と遠ざかっていた。それは凛々しくて格好良い、子どもの頃に僕が憧れ見ていた背中。


「あの......」


 その背中を我を忘れ見つめていると後ろからの女性の声に今度は振り返った。男の子の母親が丁度、最後の泪を拭いながら立っていた。もちろんその隣にはすっかり笑顔を取り戻した男の子。


「うちの子を助けていただき、本当にありがとうございました」


 お辞儀だけでも彼女の気持ちが伝わってきそうな程、深く下がる頭。


「いえ! そんな。僕なんてなんにも......」


 その時、ついさっきヒーローが言ってくれた言葉が頭を過った。


『でもあの2人にとっては俺じゃなくて君がヒーローだ』


「お兄ちゃん!」


 言葉を途切れさせたまま止まってしまった僕を下から男の子が呼んだ。僕は男の子に顔を向けるとその場にしゃがみ視線を合わせる。


「お兄ちゃんとっても、とーってもかっこよかったよ」


 両腕を目一杯広げながら興奮気味な男の子の言葉に僕は思わず笑みが零れた。彼はこんな僕を煌びやかな瞳で見てくれている。それはあの頃の僕が背中を見ていた時と同じだった。


「ありがとう」


 そうお返しに言いながら僕は少しくらい凛々しくなった手で男の子の頭を撫でた。




『僕は子どもの頃、ヒーローになりたかった』

「――大人になった僕は今、ヒーローになりたい」

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ナり損ないヒーろー 佐武ろく @satake_roku

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