オオカミちゃんはウサギ君と××がしたい!

トウキ汐

オオカミちゃんはウサギ君と××がしたい!

◆◆◆プロローグ◆◆◆



「海南中出身、宇佐木透也です。中学では陸上部でした。」


「大神唯月です。星南女子中出身です。ソフトテニスやってました。」


 春。真新しい制服に身を包んだクラスメイト達が、簡単な自己紹介をしていく。

 最初のHRで座る席は名前順だ。

 廊下側の後ろから二番目の席になった大神唯月は、前の席の男子の背をつんつんとつついた。


「宇佐木…君だよね?あの、足元に消しゴム転がってっちゃって…取ってもらってもいい?」


「…あぁ。ちょっと待って」


 声を掛けられた宇佐木透也は、椅子を僅かに引き屈むと、足元に転がっていた消しゴムを拾い、唯月の机の上へと置く。


「ありがとう!…………ん、私の顔に何か付いてる??」


 礼は伝えた筈だが彼は身体を横に向けたまま、その茶色い目で唯月をじっと見ていた。


「……あの…俺…!…………い、いや…やっぱり何でもない……」

 

 言い掛けておきながら『やっぱり何でもない』は気になるというもの。

 ガタッと大きな音を立て座り直した彼の背を、今度は唯月がじっと見ていると、耳がほんのりと赤くなっているのが目にとまった。


 今日は桜の花が鮮やかな空色に映えて、正に絶好の入学式日和ではあるが、日差しは強く日向は暑いほどだ。


 唯月は既にブレザーを背もたれに掛け、カーディガンを羽織っているだけであったが、彼はまだブレザーまで羽織っている。


 お節介だと思いつつも、もう一度背中をつついた。


「あの…、暑いなら上脱いだ方がいいよ。耳まで赤くなってるから」


 自分の耳を指差しながらコソコソと唯月が話すと、透也は慌てて耳を掌で隠し、視線を彷徨わせた。


「……わかった。ありがとう」


 礼を告げた彼が前へと向き直すが、上着を脱ぐ気配はない。

 それどころか手で頭を押さえていて、更に具合が悪くなっているようにも見える。


(風邪でもひいてるのかな?顔まで赤くなってる…けど、これ以上はしつこいよね…)


 昔から困ってる人や具合が悪そうな人を見ると、心配になってつい声を掛けてしまうのが、唯月の癖である。


(クラスメイトに鬱陶しい奴って思われないようにしなきゃ…あ、もう手遅れかも…)


 ちらりと前の席の大きな背中を見つつ、小さく溜め息をつくと、前の席からも同時に溜め息が聞こえた。




 初めてのHRが終わると、他のクラスの子も唯月のクラスに混じる。


「ねぇ連絡先教えて!!」

「吹奏楽部の部長がイケメンなんだって、入ろっかなぁ!」


 季節だけではなく、皆の心も春だ。

 新しい出会いに沸き立ち、どのグループも会話が弾んでいた。


 そんな中、帰り支度のために唯月が席に戻ろうとすると、近くにいた二人組の男子の会話が耳へと入る。


「なぁ!可愛い子いた?」


「あ、その子。結構可愛いから、お前に教えようと思ってた。星女のお嬢様だって!」


 指を差した男子の先には、通りかかった唯月がいた。


「え?」


「…やば!めっちゃ俺好みかも!」


 名前すら知らない男子が目の前に駆け寄り、足元から頭まで舐めるように観察してくる不快さに、唯月はたじろいだ。


「ねぇ、名前なんて言うの?」


「…お、大神…唯月…です」


「そうだ!それと、大神さんの前の席、宇佐木って言うんだよ!」


 その声に近くで他の男子と話をしていた透也が振り向く。


(変なとこに飛び火した……!)


「オオカミとウサギってあれだよな、普通、男の方が狼のイメージなのに、逆なのめっちゃ面白くない?大神さん淫乱だったりして~!」


「星女のお嬢様なのに、名前の通り肉食系とか?狼って群れだよね?え、もしかして男、食い放題!?」


 二人の苗字から下品なネタを思いついた彼等は、周りの白い視線などお構い無しに笑い出した。


「肉食系女子めっちゃ好き~!大神さん、俺のこと食ってよ!」


(待って…肉食系どころか、恋愛なんてしたことないのに…!)


 彼氏いない歴=年齢、恋も未経験、恋愛を偏差値で表せるのならば、唯月は間違いなく底辺を彷徨っていた。

 

(狼って言われるのは慣れてる…けど、こんな弄られ方したのは初めてだ…)


 同年代の男の子と関わることが極端に少なかったせいで、こういう時どうしたらいいのか分からず、心臓がバクバクと脈打ち、背中には不快な汗が伝う。

 黙りこんだまま立ち尽くす唯月に、面白がった男子は更にエスカレートし手を伸ばした。


「あれ?震えてる……?ひょっとして淫乱どころか、もしかして…まだ処女だった?」


(限界…無理!!気持ち悪すぎる…!!)


 目前に迫る指先から逃げ出したいのに、足が地面に張り付いてしまったかのように動かない。


 唯月が強く目を瞑った瞬間、鼻先まで近づいた手は、寸前のところで他の手に阻まれた。


「…なぁ、知らないのか?狼は基本、一夫一婦制だ。群れの中でも子供作るのは強い夫婦だけだし、繁殖期は決まってるから、食い放題じゃねぇよ」


 声の主は宇佐木透也だった。


「それに逆だ」


「え……何が?」



 どういう意味か分からないようで男子達は顔を見合わせていた。


「年中発情出来るのはウサギだよ。今の会話で淫乱だっていうなら、それは大神さんじゃなくて俺の方だ」


 淡々と話しているが、彼の無表情さと声色から、かなり怒っていることが見て取れた。


 ようやく自分達の悪ふざけが度が過ぎていたことに気付いた彼等は、透也の機嫌を取ろうとヘラヘラと笑うが、逆効果だったようで彼は更に一歩前に出た。

 まるで唯月を背に隠すように立つ。

 ただでさえ威圧感を感じる距離が、長身の彼により更に増しているのは間違いない。


「…へ、へぇそうなんだ……知らな…」

「あと、一点だけ言わせてもらうけど」


 透也の視線が一層鋭くなると、彼等はその気迫に反射的に背筋を伸ばす。


「なんて言葉掛けてんだよ。気持ち悪いからやめろ」


 一際低い声で言い放ったはずの透也の声が、クラス中に響き渡ったかのように聞こえ、シン…と静まり返る。


「……はい。すみません…でした」


 突き刺さる視線と重苦しい空気に耐えられなくなった二人は、逃げるように教室から出て行った。


(凄い…宇佐木君、穏やかそうな人なのに…)


「…あの、宇佐木君…」


「ん…」


「…自分で反論できなくてごめんね…。けど、戻しそうになっちゃってたから、助けてもらえて嬉しかった。…ありがとう」


 遠回しに彼等が気持ち悪いとまで言うのは、言い過ぎだろうかとも思ったが、その部分すら察してくれた彼に救われたのは事実だ。

 想いのままに礼を告げると、今度の彼は茶色の目をパチパチとさせながら、唯月をじっと見ていた。


(…さっきはちょっと分からない人だなって思ったけど、多分、宇佐木君ってよく気の付く良い人だ)


 男の子には慣れていないけれど、彼とは仲良くなれそうな気がする。

 唯月は気の緩んだ笑顔を向けると、彼も釣られるように春のような温かい笑顔で返してくれた。


「…ううん。俺が聞いてて腹が立って言っただけだから、大神さんが謝る必要ない。……むしろ、そんな風に感謝されると、ちょっと恥ずかしい…」


 耳まで赤くし、はにかんだ彼を見た瞬間、唯月の胸はきゅうっと締め付けられた。


(えぇっ!?何?何!?凄い可愛い!!??)


 男の子に対して可愛いは失礼かと思ったが、それ以上にぴったりな表現が思い浮かばない。


「それに…役に立てたなら良かった。ちょっとは恩返し出来たかな…?」


「え…恩…返し……?消しゴ…いや、落としたの私だし…」


「…あぁ、こっちの話。まぁ、また困ったことがあったら言って?大神さんのためなら、いつでも助けに行くから」


 とびきりの笑顔と、まるで殺し文句のような台詞に、唯月は見事に心を撃ち抜かれ、顔を両手で隠して悶えた。


(えぇ…何でっ!?嬉しいけど!!でも…全然、身に覚えがないっ!!)


 自分でも自覚出来るほど顔は熱いし、目がおかしくなってしまったかと思う程、彼がキラキラして見える。


「大神さん…やっぱりストレスで大分ダメージが…」


「ううん。…原因は多分…ストレスじゃない…」


 流石に貴方にときめいて悶えてます、とは言えないため、必死に呼吸を整え平静を装う。

 まだ熱を持ったままの顔面から手を離すことはできないけれど。


「……宇佐木君て…天然ジゴロって言われるでしょ…?」


「…それは…初めて言われたかな」


 自分の中に沸き起こった感情の名前を確認するため、そっと開いた指の隙間から彼の表情を窺う。

 その隙間は僅かなのに、ぱちりと目が合い、彼はまた照れ笑いを見せてくれた。


(カッコ可愛い~~~!!え、私…やっぱり好きになってる!?)


「……大神さん?大丈夫?」


「…やっぱり…大丈夫じゃないです。重症です……」


「まじか。保健室…いや、もう帰りか…。じゃあ、せめて駅まで送る」


(や、優しい…!!好きっ!!…え、待って?このままじゃ、私の心臓が持たないかもしれない…!!)


「…うーん…やっぱり心配だから家まで送るよ」


「…んんっ!?それは……確実に死んじゃうかな…」


「あれ…何で悪化した……?」


 クラスメイトの視線が集中する中、唯月は初めての恋をどうして良いのか分からずに悶え続けていた。



 大神唯月、高校一年生。

 恋は目と心臓に悪いと知った春だった。





 ◆◆◆オオカミちゃんside◆◆◆



「宇佐木君!入学式の頃からずっと好きでした!!付き合ってください!!」


 明日から冬休みという絶好のタイミングで、私はクラスメイトの宇佐木透也君を教室に呼び出し、告白をしていた。

 クラスメイト達にはバレバレだった私の恋は、この日、皆のお膳立てで何とか告白へと漕ぎ着けたのである。


「えっと……、本当に??大神さんが??」


 驚きの表情とセットになった訝しむ声に、私の心はちくちくと痛む。


(やっぱり、私のことなんか眼中に無かった……!!告白、今日にしておいて良かったぁ……!)


 告白の日を長期休み直前にした理由。

 それは、フラれても暫く顔を合わせなくて済むからである。


 我ながら酷いチキンだ。


 静まり返った教室が、まるで彼の答えのようで、振り絞った勇気もしおしおと萎んでいく。


「……や、やっぱり、私じゃダメだよね……。ごめん……」


 入学式の日に恋に落ちて以来、ずっと宇佐木君だけを見ていた。


 彼は他のクラスメイトと同じように私に接していただけだとしても、朝から笑い掛けられた日など、その日一日が良い日に思えてしまう程に私は単純だった。


 せめてこの恋心に気付いて貰おうと、頑張ってアピールしていたつもりだったが、気の利く彼ですら予想外だと言わんばかりの反応を示しているということは、やり方が間違っていたのは否めない。


(肉食系女子には程遠い……)

 

 たまに苗字の大神と狼を掛けて弄られることはあったけれど、肉食系とは言えない程、私は名前負けをしている。

 何せ出身中学は女子校。

 若い男性教師との恋などある訳もないし、同年代の男の子との関わりは親族くらいだ。

 参考書代わりにした数々の少女漫画でも、私の恋愛偏差値はちっとも成長しなかったらしい。


(…分かってた……けど、流石にショック……)


 じわりと滲み出した涙をぐっと堪えようとするが、俯いていては重力に逆らうのもそろそろ限界だ。

 この状況をどうやって切り抜けようか考えだした私の耳に、次の瞬間、信じられない言葉が飛び込んできた。



「……俺で……いいのなら」


 涙が零れ落ちるのも厭わず勢いよく顔を上げると、何度も私がときめいた笑顔をする宇佐木君が居た。



「……宜しく。大神さん……!」


「え…えぇえええ!?」



 この日、ようやく私の恋愛偏差値は一つ上がり、肉食系女子としての第一歩をようやく踏み出した。




――あの告白から、もうすぐ一年。



「透也君、帰りに本屋寄っていい?」


「いいよ。丁度、俺も参考書見たかったし」


 私達は高校生らしく、それは清い交際を続けていた。

 登下校は一緒、土日の休みはどちらかはデートをし、おまけに喧嘩すらしないという、おしどり夫婦ならぬ、おしどりカップルだ。


 彼氏になった宇佐木君は今まで以上に優しく、正に彼氏として完璧だった。

 完璧なのだけれど……


「そういえば、この前出来たカフェだけど、そこのメニューがさ……」


 下校中、いつものように道路側を話しながら歩く彼の顔から、視線を下へと移す。


 私が居る方の手には何も持っていない。


(よし…!)


 私は意を決し、彼の大きな手に目掛けて手を伸ばす。


(あとちょっと!)


 ところが残り数センチという所で、スイっと避けられ、その距離はまた遠のいてしまう。


「聞いてる??」


「……聞いてたよ、……」


 そして極めつけがコレだ。


 私は彼のことを下の名前で読んでいるのにも関わらず、未だに彼は私を苗字で呼ぶ。

 呼び名については付き合いたての頃に提案したものの『勇気が出たら』という謎の返答を貰って以来変わらない。


(……もうすぐ一年なのに、このままじゃキスすら出来ない)


 そう。私達はこれだけ一緒に居るのに、エッチどころかキスもまだしていない。


 もっと言うと手を繋いだことすらない。


 つまり、私の恋愛偏差値はあの一年前に上がって以来、全く成長を見せていない。


 自分に女としての魅力が無いのだとしたらお手上げだが、デートにあざとい服を着ていくと視線が泳ぐあたり、そういう理由では無さそうだ。


 ちらりと横目で彼の様子を窺うと、その視線にすぐ気づいた彼が笑いかけてくれる。


「どうかした?」


「…ねぇ…透也君、私のこと好き?」


「めっちゃ好き!!!!」


 バカップル全開の質問でも、往来のど真ん中で大声で答えてくれるのに、何故何もしてこないのだろうか?


(…もうすぐ一年。今でも十分幸せだけど、何か進展が欲しい…!)


 もう肉食系女子になれないのは十分理解した。

 けれどもう少し…もう少しだけでいいから、恋人らしくいちゃいちゃしたいのだ。


「…ねぇ、来週の土曜日って空いてる?」


「空けてるよ?だって一年記念日だし」


「覚えてたんだ!」


「当然」


 陽だまりのような彼の笑顔に、さっきまでモヤモヤとしていた心はいとも簡単に晴れていく。

 今日の私も単純だ。


「えへへ……!楽しみ!何しようかなぁ、何処行こうかなぁ!」


 あぁ、何をしたいのかは明白だった。

 キス…とまで贅沢は言わない。けれど、手は繋いでデートがしたい。


「でも、本当に何処行こうか?すぐクリスマスだし、イルミネーションはその時に行くだろ?あんまり大神さんに、寒い思いはさせたくないしなぁ…室内で遊べるとこ…」


「あ」


 ピタリと足を止めると青色の薄い空を見つめたまま、何とお願いすれば効果的かを考える。


(ここは進展の為に、確実に了解を得たい……!)


「何?行きたいとこあった?」


「ある!透也君の家!!」


「俺の家!?」


 何故、一年記念のタイミングなのか、彼は困惑の表情を浮かべる。


 確かに普通は無い。


「…駄目?行ったことないし」


 わざと少し前屈みなり、自然と上目遣いになるように見つめる。

 知っている。透也君は私の上目遣いに弱い。

 大抵これをすると本人は隠してるつもりだろうけど顔が緩んでいるし、思案した後に多少の無理でも『いいよ』って言ってくれるのだ。


「っ~~~!!…………いいよ」


 ほら来た!!


(これは……勝った!!)


 そう!二人きりになれば人目を気にしなくていいし、何度失敗しようともチャレンジ可能!!

 恋愛偏差値は未だ底辺かもしれないけれど、仮にも肉食系の名を冠しているのだから、本能のまま食いついていく姿勢くらいは頑張りたい。


「じゃあ、ケーキとか用意しとくよ」


「えへへ、ありがとうっ!!」



 ーーだが、そんな私の希望的観測は、当日、見事に打ち砕かれるのである。



「大神さん、紹介するよ。一番上の暁斗兄さん」


「初めまして、大神さん。うちの愚弟がお世話になってます」


「は、初めまして!!いつもお世話になってるのは私の方で…!!」


 深々と下げられた頭に、私は反射的に同じ角度までお辞儀をしていた。


(わー!お兄さん格好良い!二人とも似てる!!大人版透也君だ…!!って、そうじゃなくて…!)


 彼氏のお部屋訪問イベントは『家族がいない時』と少女漫画で学んだが違った。

 何てことだ。今回も見事に参考にならなかった。


「ごめん、暁斗兄さん。陸兄だと余計なこと言いそうで」


「構わんよ。それにしても…微笑ましいねぇ。俺は部屋で仕事してるから、大神さん、何かあったら叫んでね?」


「え、叫ぶ…?」


「……こっちの話だから、気にしないで」


 彼の視線が明後日の方向に行ったため、その視線を追うが、リビングの壁掛されたテレビがあるだけだ。


「??」


「……じゃあ、俺の部屋に案内するよ」


 用意された可愛いケーキとティーセットをトレイに乗せ、リビングから二階に向かう階段を上る。


「奥が親の部屋、暁斗兄さんがその隣、向かいが陸兄、で、ここが俺の部屋」


「三兄弟末っ子…!」


「……女の子の接し方には気を付けてるつもりだけど、慣れてないのは自覚してます」


 照れくさそうに笑いながら彼がドアを開けると、グレーの壁紙にダークブラウンと黒で統一された部屋が目に飛び込んできた。


「部屋が大人っぽい!」


「そう?面白いものは特に無いけど、ゆっくりしてって。あ、コートはそこのハンガーを。何処でも好きなとこ座ってくれていいから」


 手に持っていたコートをハンガーに掛け終えると、早速、部屋の中心のローテーブルへと向かう。

 テーブルの後ろにはベッドがあったが、流石にそこに座るのは遠慮して床へ正座する。


「で、何で一年記念日に俺の家なの?」


「……ゔっ!」


 まさかいきなり核心を突かれるとは。

 別にやましいことをしようという訳では無いのだけれど、わざわざ口にするのは何だか恥ずかしい。


 だけど、今日は頑張ると決めたのだ。


「っ~~!!透也君っっ!!」


「はいっ!」


 紅茶を用意する手を止めた彼が、私に向かい合うように正座をした。


「私と、クリスマスのデートは、て…手を繋いでしてくれませんか!?そのための予行練習を今、ここで…」


 彼の前に手を差し出し、握手を求める格好になる。

 もうこの際、雰囲気や女子力などどうでもいい。手さえ握ってしまえばこっちの…


「…え!?ごめん。それは無理…」


「え」


 想像以上の拒否っぷりに、呆気に取られたその時だった。


「ただいま~!ねぇ、玄関の女物の靴って誰!?」


「げぇっ!!陸兄!!」


 トントントンと階段を駆け上がる音に、透也君は立ち上がり、開けっ放しだったドアを閉じようとしたが、一歩間に合わずに向こう側の人物と目が合った。


(…ちょっとワイルドな透也君がいる!!)


 色素の薄い彼とは違い、少し褐色気味のお兄さんだ。


「あっ!!透也が女の子連れ込んでる!!」


「言い方!!ってか、陸兄バイトじゃないの!?」


「いや、シフト間違っててさ…って、で、その子彼女~?俺居ない間に連れ込むとかや~らし~!」


「違う!暁斗兄さんいるよ!暴走しても大丈夫なように待機して貰ってる!!」


 部屋に侵入を試みる陸さんを防ごうと、透也君が両手を広げたまま、立ちはだかる。


「………何だ。まだフラれたの気にしてんのか?しゃーねぇなぁ。ごめんね、彼女さん!透也、めっちゃベタベタしてくると思うけど、ただの愛情表現だから気にしないで~!宇佐木家、愛情表現過激なのよ~!」


「陸兄!頼むからあっち行って…!」


(…ベタベタ…?)


 彼のイメージに全くそぐわない言葉。

 どちらかというと、爽やか好青年という雰囲気だし、実際私には指の一本すら触れない。


 えぇ、手を繋ぐのもたった今、拒否されたばかりですから。


「無いです」


「ん?」


「私…透也君にベタベタされたこと、一度もないです」


「嘘だぁ!奈々ちゃんと付き合いだしたとき、初日にちゅーしてたじゃん。あ、奈々ちゃんって三日で別れた前の彼女ね」


「陸兄もう黙ってくれ!!!!」


 三日で別れた彼女とはすぐキスして、一年付き合う私とは未だに手も繋がない。


 ただの重度な草食系男子だと思っていたのに、全然そんなことは無かったという事実に、私は殴られたような感覚を覚えた。


「……じゃあ、私は何なの?」


 言葉にするつもりの無かった言葉が、遂に漏れる。


「お、大神…さん?」


(ダメだ、このままじゃ喧嘩してしまう…!)


 ずくんと痛み出した胸に、居ても立ってもいられず自分のバッグとコートを掴み、真っ直ぐドアへと向かう。


「…帰るので通してください」


「え、大神さん!?ちょっと待って!!」


「あれ!?急に修羅場!?」


「はい~陸~!邪魔すんな~!!」


 兄弟が揉み合い、通れなくなっていたドアから、暁斗さんがひょっこり顔を出し、透也君から陸さんを引き剥がした。


「ごめんね~余計なこと言っちゃって。透也もちゃんと話した方がいいよ。ちょっと、時間潰してくるから」


「……暁斗兄さん、ありがとう」


 ズルズルと連行される陸さんと暁斗さんを見送ると、透也君がそっとドアを閉めた。


 私は閉じられてしまったドアの前で立ち尽くす。


「…大神さん?」


 心配そうに声を掛けてくれても、その声に答えられない。

 声を出せば、涙腺が決壊してしまいそうだったからだ。

 溜まった涙が零れてしまわぬよう、声がこれ以上出てしまわぬように、唇をぎゅっと結んだ。


「……俺のこと、嫌いになった?」


「っ……!触られるの嫌がるほど、私のこと嫌がってるのは透也君でしょう!?」



 私の我慢は一瞬で終わった。

 

 叫んだ勢いで溢れ出た涙は、今にも止まってほしい意思に反して、止まることを知らない。


「違うっ!俺は別に嫌がってる訳じゃ…!」


「じゃあ何で、もう一年になるのに、名前を呼ぶのも、手を繋ぐのも駄目なのっ!?」


「……それは…」


 こんな大声を出したのは初めてだ。

 彼も驚いたのか一歩後ろに後退るが、今の私には彼を気遣う余裕なんかない。


(痛い。こんなことになるのなら、喧嘩になってでも話し合っていくべきだった)


 一緒に居るためには、ちょっとの我慢はするものなのだと思っていた。


 だから名前で呼ばれなくても、手を繋いでくれなくても、キスをしてくれなくても、断られたら諦めて、それ以上自分の気持ちを伝えることをしなかった。


 初めての恋だから、初めての彼氏だからと言い訳をしてきたツケだ。


(……だから、私の恋愛偏差値はずっと底辺なんだ)


 あれだけ頑張ると決めた筈なのに、ぽっきりと心は折れてしまった。


(……情けない)


 声を上げることも無く、ただボロボロと涙を流す私に、彼は机の中から出したピンク色のハンカチを差出した。

 けれど今の私にはそれを受取る気力は無く、ただそのハンカチを見つめるだけだ。

 

 やがてハンカチを渡すのを諦めた彼が、私に一歩近づくと、手首を掴み強く引っ張った。



(…今…私…何されてる……?)


 思考が追いつかない。


 まず理解したのは彼の優しい香水の匂いが、いつもより強く香っていること。

 次に背中にまわる大きな手が、撫でるように触れていたこと。

 更には頬と耳が厚い胸板に押し付けられ、自分よりもテンポの早い心音が聞こえたこと。


(これ…抱き締められてる…!!??)


 そして最後に彼の声が私の耳へと届く。


「……唯月」


 耳元で熱い吐息に混じって低い声で囁かれると、ぶわりと総毛立った。


「な、ななな…!?」


「…実は心の中では、勝手にそう呼んでます。呼び方を変えるタイミングを逃しただけで…」


 身体を少し離し見上げた先には、気まずそうに茶色の目が彷徨っていた。


「…あと、手も本当は繋ぎたいし、キスもしたい…それと、それ以上のことも…したい…です。」


 後半になるにつれ、彼の声は小さくなるのと比例するように、顔は赤く染っていく。


「じゃあ、何で、さっき無理って…」


「…それは、触ったら歯止めが効かなると思ったんだ。…しかも自分の部屋だし。ベタベタし過ぎて元カノは三日で別れたけど…どうしても、君とだけは別れたくなくて…」


 つまり別れるくらいなら、恋人らしいスキンシップを我慢するのも厭わないということか。

 極端過ぎる理由に呆気に取られた私の涙は、いつの間にか流れるのを忘れ、ピタリと止んでいた。


「……でも手を繋ぐくらい」


「宇佐木家の性欲を舐めちゃいけない」


 草食系男子のイメージが一気に崩れる発言である。

 心做しか茶色い視線が獲物を狙うそれのように見え、彼の腕の中で身じろいだ。


「…じゃあ、元カノと比べてとかではないの?」


「違う。…唯月は知らないだろうけど、俺、君に片想いしてる期間は結構長いんだ。先に好きになったの俺です」


(え?初耳…!!……あれ、そういえばさっきのハンカチ、見覚えあるような……?)


「それよりも唯月に触るの我慢してた分を含んだとしても、俺なりに愛情表現はしてたつもりだけど?

それなのに元カノと比べるとかありえない。その辺小一時間、問いただしたいんだが?」


「……ゔ」

 

 確かにいっぱい大事にしてくれたし、言葉では何度でも大声で好きだと言ってくれた。


 ムスッと拗ねた表情をする彼を宥めるように、頬へと手を伸ばす。


「……ごめん…ね?」


「…可愛いから許す」


 可愛いは正義だった。


 伸ばした掌の上に、自分より大きく骨ばった掌が被さると、ゆっくり指を一本一本絡められ、そのまま彼の唇へと引っ張られる。


 指先から移った柔らかい彼の熱が、じわりと顔に広がる感覚を覚えながら、恥ずかしさを隠すように彼の胸へともう一度顔を寄せた。


「…一年記念だし、私の我儘聞いてくれる?」


「いいよ」


「これからは下の名前で呼んで欲しい」


「鬱陶しくなるくらい呼ぶから安心して」


「あと、お出掛けの時は手が繋ぎたい」


「離してって言われてもずっと繋いでる」


「……そのうち、キスも……」


「今もめっちゃしたいです」


 食い気味の返事に思わず笑ってしまったけれど、そこまで言われてしまったら、どうするかなど決まっている。

 これでも肉食の名を冠しているのだから。


「…沢山し過ぎて、困ることになるけど大丈夫?」


「ふふっ、透也君をまだまだいっぱい知れるね」



 ゆっくりと屈んだ彼の額が私の額とこつんと触れ、茶色い瞳と視線が絡みあうと、初めての近さに二人で笑い合った。


「そうだね。俺にも俺の知らない唯月をいっぱい教えて?」


 甘い声色と共に、背中に回った彼の腕に力が篭もり、私はそっと目を閉じた。




「唯月、好きだよ」




 大神唯月、高校二年生。

 恋愛偏差値がまた一つ上がった冬だった。





 ◆◆◆ウサギくんside◆◆◆



「クールな透也が好きだったのに、付き合い出してから途端にベタベタするとか有り得ない。別れて」


「えぇ…」


 中三の夏休みを控えた真夏日だった。


 付き合い始めて僅か三日。


 俺は初めて出来た彼女から、別れを言い渡された。




「……クールって何?男兄弟しか居なくて、女の子相手だと緊張して距離取ってただけなんだけど??」


「そうだよな。透也、むっつりスケベっていうより、割とオープンだもんな」


「…………ちょっと待て?俺の話、ちゃんと聞いてたか??」


 学校の帰り道、友人の長野孝成を捕まえ、駅の北口の日陰で愚痴っていた。


「てか、女子って優しくしてなんぼじゃないの!?冷たい方がいいってこと!?」


「それは…好みじゃね??」


「それよりも付き合う前まで、めっちゃ触ってきたのは向こうだよね!?しかも告白してきて三日で冷めるのは早すぎるだろう!?」


「正に女心と秋の空…だな」


「まだ夏だけど!!??」


 カンカン照りの中、暑さのせいなのか、自分が興奮してるからなのかは分からないが、浮かんでくる疑問に自分でツッコミを入れては、ヒートアップして行くばかりだ。


「……女の子って謎すぎる」


「透也の話まだ長そうだし、俺アイス買ってくるわ」


「……何でアイス…」


「頭冷えて丁度いいだろ?」


 物理的に冷やして効果はあるのだろうか。

 孝成は項垂れる俺を放置したまま、近くのコンビニへと入っていった。


 けれど散々喚いたお陰で、まだ熱くとも頭は少し冷静にはなれた気がする。


(……思い返せば、自業自得だったな)


 元カノが好きだったかと聞かれたら、返答に困る。


 何せ一年の頃から付き纏われていたからだ。


 そのうちクラスメイトからも『付き合ったらどうだ?』と言われ続けるようになり、断る罪悪感とその後のクラスメイトからの非難から、結果、逃げたのだ。


 何となくで付き合ってしまったから、彼女として大事にしなければ、絶対好きにならなければ、という後ろめたさで過剰に接していた部分は…ある。


(…そもそも彼女に対しての距離感てどれくらいが適正なんだ?)


 こればかりはきっと個人差が大きいのだろう。


 今の自分ではいくら考えたところで、答えが出る気が全くせず、蹲ったまま地面へ向かって溜め息を吐いた。


「…あの、大丈夫ですか?」


「……え?」


 突然声を掛けられ、顔を上げる。



 日差しの眩しさに視界が一瞬白くなったが、やがて白いセーラー服を着た女の子がスポーツドリンクと、ピンク色のハンカチを差し出しているのが目に入った。


 グレーがかったのふわふわの髪、大きい黒目が印象的な可愛い子だった。


「顔…かなり赤いですけど、熱中症かもしれないから、これ飲んでください」


「え?あ、ありがとう…ございます」


 原因は熱中症などではない。


 そんなことは自分自身がよく分かっていたが、つい彼女の手からペットボトルとハンカチを受け取ろうと手を伸ばす。

 俺が大事無さそうだと判断した彼女が『よかった』と笑った瞬間、心臓が激しく跳ね上がり、その衝撃で受け取った状態で硬直した。


「…やっぱり、大人呼んできましょうか?」


「いいえっ!大丈夫です!!すぐ良くなりますんで!!」


 彼女から受け取ったハンカチで、赤くなり始めた顔を咄嗟に隠したが、俺はすぐに後悔することになる。


 ほのかに香る甘い香り。

 心臓の音は更に煩く鳴り響き、顔の熱さは上がる一方で冷ます手立てがない。


(最悪だ……!頼む…耳まで赤くなるのは勘弁してくれ…!)


 恐らく祈りは無駄だ。

 すぐに心配そうな彼女の声が届く。


「…辛かったら無理せず、助け呼んでくださいね?」


「…はい。」


 自分の不甲斐なさに打ちのめされていたそのタイミングで、電車の到着を予告するアナウンスが入る。


「あ、ごめんなさい。もう行かなきゃ」


「いえ、ありがとうございました…!」


 スカートを翻し、彼女が去ろうとした瞬間


「そうだ…!名前っ!!」


 これ以上情けない姿を見せずに済んだ筈なのに、彼女が去って行ってしまう寂しさを感じて、咄嗟に呼び止める言葉が出る。


 けれどその声は駅へ電車が入る音に掻き消され、彼女は駆けるように改札を通っていった。


 手に残ったのは冷えたスポーツドリンクと、苺の刺繍が入ったピンクのハンカチだ。


「…あの制服、星女か…」


 分かったのは学校だけ。しかも中高一貫の女子校。

 ハンカチを返しに行こうにも、かなり勇気がいる場所だ。


「お待たせ~。さっきの子誰なん?友達?」


 ポンっと肩を叩かれ、振り向くとアイスバーを既に齧っている孝成がいた。

 食べている量から、どうやら暫く見ていたに違いない。


「…違う…熱中症と勘違いされて、飲み物貰った…あとハンカチ」


「…あぁ、今のお前じゃ勘違いされるだろうな。めっちゃ顔赤いわ」


 苦笑いを浮かべる孝成には、原因が暑さだけでは無いとバレたらしく、大層笑われたがそれを咎める気力は今の俺には無い。


 ほいっと差し出されたアイスバーを、熱冷ましの代わりに齧り付く。


 ソーダ味のアイスが口内でじわりと溶けると、少し泣きたくなった。


(格好悪いところを見られた……)


 あの子は真実など知らないのだから、勘違いされたままで良いというのに、胸のモヤモヤは増えていく一方だ。


 それと同時に次会えるのはいつだろうと、期待している自分も居た。


 連絡先を聞きたい。

 もっと彼女のことを知りたい。


 けれど…


(……また距離感を間違えたら…嫌われる)


 知り合いですらない男に、いきなり連絡先を聞かれるなど恐怖でしかない。

 どう考えても自分は彼女にとって、今後の人生で関わることなどない人間の一人に過ぎない。

 当然の事実であったが、胃のあたりが酷く痛んだ。

 

 そして何故自分がそれでショックを受けているのか、その意味を理解してまた落ち込んだ。


 一目惚れを自覚して、勝手に失恋するまで、今度の俺は三日と掛からなかった。


 それなのに、その後も駅で彼女の姿を探してしまう自分がいた。


 けれど、一度たりとも声を掛けることもせず、借りたハンカチも未だに鞄の中に仕舞ったままだ。

 ハンカチを返してしまえば、彼女との接点がすべて消えてしまうようで、声を掛けるのを躊躇っていたのだ。


 彼女と出会った夏が終わり、秋が来て、やがて冬になる。


 当たり前だった季節の変化に、何度も止まって欲しいと願った。


 春、俺は第一志望の高校へと入学が決まり、最寄り駅は中学の駅から三駅離れた。


 あの子の姿を見ることは二度と無くなった。


 彼女から受け取ったハンカチは、中学の卒業式の後、一目惚れの記憶と共に机の引出しへと仕舞い込んだ。

 それなのに物悲しさだけは、今も変わらずに付き纏っている。


 

 新しい制服に身を包み、中学とは違う駅で降りる。

 これから自分の行動範囲となる街を、ゆっくりと眺めながら歩く。

 大通りを抜ければ高校までの道のりは一本道だ。

 真っ直ぐな道は桜並木になっていて、澄みきった青色の空に淡いピンク色の桜が映えていた。


 高校へ着くと同じく新しい制服を着た新入生達が、クラス分けの張り紙を見るために受付の近くに集まっていた。

 その中に見慣れた姿が自分へ向けて手を振っているのを見つけ、大きく手を振り返す。


「透也~!クラスAだって、一緒~!」


「マジか。中学三年間だけじゃなくて、まさか高校も孝成と一緒とか有り得るんじゃ…」


「これは…運命だな。結婚する?」


「そんな運命嫌だ。遠慮しとく」


 ケラケラと笑う孝成から、自分もクラスメイトの名前を頭に入れようと視線をずらした瞬間、目に入った光景に息を呑んだ。


 桜の花びらと一緒に舞う、淡くグレーがかった髪。


 クラス表を見終えたその子が、人混みから離れるように振り返る。


 見間違う訳がない。


 何度も駅で声を掛けるのを躊躇った、あの女の子だった。


「透也?おーい、透也!!」


 孝成の声が聞こえてはいたのだが、横を通り過ぎていく彼女から目が離せない。

 まるで身体中の感覚全てで、彼女を確認しようとしているようだった。


 それと同時に、しまい込んだ筈の恋心が一気に溢れ、思わず笑ってしまった。


「くっふふ…ふふふ」


「え、何…その笑い方…やべぇ…透也が壊れた」


「…いや、運命かなって」


「え、なになに!?急に…怖いわ!!」


「駅で一目惚れした子がいた」


「えぇ!!??」


 大きく息を吸い込むと、桜の甘い香りが混ざった風が身体を満たす。

 もう一度振り返り、彼女の姿を探した。




 宇佐木透也、高校一年生。

 この恋を頑張ってみようと心に決めた春だった。

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オオカミちゃんはウサギ君と××がしたい! トウキ汐 @sekitoukiop

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