第4話
壁時計の短針が真上を指している。
少女の代わりに花瓶に盗んだ花を生けてやりながら、悪魔は静かな薄闇に響く心電図の音を聞いていた。
このままお見舞いに行きたいと無理を言ったのは少女だというのに、当の本人は友人が眠るベッドの傍らで眠っていた。神に救いを求めるくたびれた信者のように床に膝をつき、横からベッドに上半身を投げ出すようにして、手枕で眠りこけている。
カラカラと病室の扉が開き、巡回中らしい年配の看護婦が顔を出した。
もちろん面会時間なんてとうに過ぎている。しかし、明らかに目の前にいるはずの悪魔と少女には気づくことなく、あくびをひとつして立ち去っていった。
悪魔はそれをふんと鼻で笑い、少女の友人を横目に見た。
喉に大きなガーゼが当てられ、そこからチューブが通っている以外は綺麗なもので、本当にただ眠っているだけみたいだ。最も、病衣の裾をめくればその生々しい刺し傷の跡を拝見できるのだけど•••いくら悪魔といえど、別に好き好んで見たいものでもない。
『…こんな覇気のないコのどこがいいのかし
ら』
少女が眠りについたのをいいことに、あまり聞かれたくない類いの独り言を漏らす。
念の為そっと顔を覗き込むと、少女の眉が寝苦しそうに顰められた。悪魔は微笑ましげに笑うが、その隣の眠り姫の瞼が僅かに震えたのを見て、すぐに不服そうな表情を浮かべた。
幸いにも、眠り姫が目を覚ますようなことはなかった。そのまま眠り続けて欲しいと願を込めて、まだ蕾が閉じたままのナズナを少女の髪に差し込んだ。
寄り添いあって眠る二人をまとう空気はひてすら暖かくて、殺人鬼とその被害者というより、健気な友情で結ばれた親友同士という方がしっくりくるほどに純粋だった。悪魔がつけ入れる隙なんてあるはずもなく、ただ大人しく、薄暗い舞台袖から可哀想な踊り子二人を見守り続ける。彼女にはそれしか出来なかった。
だって少女は初めから、この眠り姫一筋だから。
それがどんなに憎たらしくても、悪魔は二人の間に割って入ることなど出来なかった。
━ー━そんなつもりじゃなかった。殺すつもりなんてなかった。なぁお前、アクマなんだろ?
だったら、あたしの願いを叶えてくれよ。
あたしの友達を助けてくれ。間違って刺しちまったんだ。血が止まらねぇんだ。止め方がわかんねぇ。
あたしはどうなってもいいから。タマシイでも心臓でも寿命でも、なんでもやるから。
たのむ。死なせたくねぇ。
血が乾いたからか、赤黒く濡れた包丁をしっかりと握りしめたまま、血濡れの少女が悪魔に縋りついて、うわ言のように言った。
彼女の全身が氷雨にうたれた子猫のように震えていたのをよく覚えている。
彼女がそんな弱々しい醜態を晒したのは、後にも先にもこの一回きりだ。
後ろで横たわる腹を刺された眠り姫は、驚くほど安らかな死に顔をしていた。
大切なお友達の命を手綱代わりに殺人鬼を飼いならす。それじたいは我ながら面白いアイデアだし、実際、少女が殺したくないだとか喚きながら人殺しをやめられない様は実に滑稽である。悪魔には最初から、少女を開放する気も、死にかけの眠り姫を救ってやる気も一切ない。ただ飽きるまで彼女たちで遊べたらそれでよかった。
ただひとつ、計算外なことがあるとすれば。
『……くそったれのあくま、ウソつきだな』
ぎょっとして、起きたのかと少女の方を向くと、彼女は未だに夢の中だった。•••寝言でも口が悪いとは、どんな夢を見ているのやら。
どうせ目が覚めれば嫌でも無慈悲な現実が待っているのだから、少しでも夢見が良くなればと、悪魔は少女の頭を撫でてみた。そんな動作には慣れていないせいか手つきが我ながらぎこちなく、せめて子守唄のひとつくらい覚えておけばよかったと苦笑する。それでも、少女の眉間に刻まれていたシワは直ったので少しだけ胸を張った。
こんな悪魔らしくない行動や想いを、彼女本人に伝えるつもりはない。
『あなたはいいですわね。願おうと思えば
カミサマにも悪魔にも願えるんですもの。
悪魔にはそんな権限、ありませんのよ?』
しかし、それでも。
願わくば、このコの夢の中に、わたくしも存在しますように。
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