悪魔に捧げるモノ

夜桜

第1話

雪の粒が落ちていく。

思わず受け皿のようにした掌の上に収まって、白い粒はゆっくりと溶けていく。

街行く人々は皆一様にマフラーに首をすくめ、または分厚いコートの襟を伸ばそうとしていたが、どこかの女学生があげた歓喜の声をきっかけに曇り空を見上げた。痛いほど凍りついた空気に、初雪がもたらす暖かなものが広がっていく。

ある学生たちは顔を見合わせて笑い、ある主婦は慌ててスマホで天気をチェックし、あるサラリーマンは急ぎ足を緩めてポカンとした。

わざわざ口に出すほどでもない、でもどこか微笑ましい。

そんな、どこにでもあるような都会での光景。


その人混みの中心に、血溜まりが広がっていた。


仰向けに倒れた男の腹部から赤黒い液体が漏れ出て、コンクリートの隙間にじわじわと染み込んでいく。しかし、男はずっと目と口を開いたまま、呻く様子も身動きする様子もない。即死…したらしい。

下手くそな金色に染まったセミロングの髪に隠された首筋には、ぱっくりと深い切り傷が刻まれていた。

その高そうなスーツのポケットに、血濡れの華奢な手が容赦なく突っ込まれた。

まだ新しい死体の荷物を手慣れた様子で探るのは、わずか十五歳の少女だった。黒いパーカーのフードを深々と被り、歩道のど真ん中にお行儀悪くあぐらをかいている。その手には男のカバンに入っていた小洒落た財布と、赤く濡れた包丁。

彼女が殺したのは明白だった。しかし、周囲の人々は雪に目を奪われるばかりで…目の前の惨劇には誰も気付かない。

やがて少女は舌打ちをして立ち上がると、夜空色のネックウォーマーをぐいっとたくし上げ、足早に近くのコンビニに飛び込んだ。自動ドアは誰にでもそうするようにその口を開いたのに、中にいた店員や客が、急に漂う鉄臭さを気にする様子はない。

少女は女性用トイレが空いていないと知るや否や、迷わず男性用トイレに閉じこもった。

中にあった簡易的な洗面所で包丁を洗い、服に飛び散った赤いシミを擦る。履いている長ズボンは元から赤黒いので気にしない。

赤く染まった水がようやく流れなくなった頃、突然扉をノックされ、少女はビクリとした。

どうやら長いことトイレを占領したせいで、順番待ちをしていた客が店員を呼んだらしい。けたたましくなるノックに急かされるように、少女はすっかり綺麗になった包丁をマフポケットに突っ込み、扉を開けて飛び出した。外にいた店員と男性客は驚愕した顔をしたものの、彼らの間を無理矢理くぐり抜けていった少女にはやっぱり気が付かなかった。

コンビニを出て、さっきの死体のそばを走り抜け、人通りの少ない路地裏に入る。

パチンと、指を鳴らす音が少女の耳の奥で響いた。途端、少女の遥か後ろで鋭い悲鳴があがった。今まで知らんぷりを決め込んでいた人々の群れが、でく人形みたいになった死体を取り囲んで阿鼻叫喚している。

少女は少しだけそれを振り返って、すぐに薄闇の中に立ち去った。


空き缶とタバコの吸い殻だらけの細道に座り込み、少女はずっとかぶっていたフードを取っ払って白い息を吐いた。

濡れ羽色のボブがあらわになり、少女は前髪を不機嫌そうに掻き回す。薄い唇の隙間からは舌打ちの音が絶えず漏れている。


『初雪に似合う流れるような強盗殺人でしたね!』


上から降ってきた甘ったるい声に、少女は凛々しく整った顔によく似合う鋭い眼光を向けた。

ふわりと、少女の目の前で黒いロングスカートが揺れる。何もないはずの眼の前からいきなり現れたのは、背が異様に高く、ちょっとした衝撃でポキリと折れてしまいそうなほど細い体型の、ゴスロリを連想する派手な黒衣装に身を包んだ妙齢の美女だった。

異様に高いところから降ってくる嘲るような笑みを睨んで、少女はふいっと手に持つ財布に視線をおとした。女が含み笑いのような声を漏らす。


『あらぁ無視ですの?つれないですわね、クロネコ。もうこれからは手伝ってあげませんよ?』


女の腰まである青緑色のツインテールが流れるように波打った。少女はため息をつくと、女の美しい微笑を鬱陶しそうに見上げた。


『何の用だよ、サディスト女』


『んふふ、やっと反応してくれましたわね?

どうです、白すぎて味気ない雪景色を鮮血で染める感覚は』


『最悪だっつの。おまけに中身もたいしたことねぇしよ、はした金しか入ってねぇ。せいぜい帰んのにタクシー使えるぐらいだ』


少女の返答に、女は何が気に入ったのか笑みを深くした。


『でも良かったじゃあないですの。さっきの

男、嫌がるあなたにしつこくつきまとってきていたんですもの。この世から文字通り消しされてスッキリしたんじゃ?』


『ふざけんな、あたしは悪魔じゃねぇ。さっきのやつだって、うざかったけど死んでほしいほどじゃなかった』


『でも、ガマン出来なかったんでしょう?』


ナイフのように冷たい眼光が向けられても、女は不敵に微笑んだまま微動だにしなかった。少女は皮肉げな笑みを口の端に浮かべる。


『あぁ、そうだよ。殺したくて殺したくてたまんなかった。……てめぇとの契約のせいでな』


『そうでしょうね。あなたの願いは、それくらいの代償を負ってもらわないと叶えられないものなんですもの。八つ当たりなんて見苦しい真似はおやめなさいな。甘んじて受け入れてもらいますわよ。連続快楽殺人鬼さん』


女はおどけるように肩をすくめ、どこに隠し持っていたのか折りたたまれた新聞を少女に手渡した。不審がりながら広げてみると、そこには大きく「頻発する無差別殺人」の見出し。


•••五度目の殺人•••またもや白昼堂々••••被害者に共通する点はなし•••目撃者なし••••気がついたら目の前で死んでいた•••凶器はいずれも鋭利な刃物••••警察が注意を促す•••残忍な殺人鬼「クロネコ」の大規模な情報収集を開始•••


『噂によると模倣犯まで発生しているようで

すわよ?あなたの情報は一切掴まれていませんけど、そのせいであなたのものでない殺人まで押し付けられているみたい』


『知ったこっちゃねぇよ。どうせあたしが捕まることはねぇし』


『そりゃあ、わたくしが特別に手伝ってあげているんですもの、当然ですわ。あなたがあっという間に警察に逮捕されては興を削ぐのでね』


『それが未だによく分かんねーんどけど。あたしが人を殺してる間、お前何してんの』


『目撃者になるはずだった人たちの脳みそを

弄っています。あなたと、あなたが起こした殺人事件を一時的に認識できなくさせているのですわ。ついでに小賢い監視カメラもちょいちょいとね』


『キモッ、どんなチートだよ。そうまでして

 殺人鬼続けてほしいのかよ…悪魔め』


『まぁ、悪魔ですから』


女は•••悪魔はニタリと笑った。


少女は舌打ちして立ち上がると、手に入れた金を手に駅に向かった。悪魔はレースやら巨大な逆十字の飾りやらの装飾だらけのスカートを翻し、ふわりふわりと月面を歩くように浮遊しながらその後を追った。

少女がついてくんなとばかりに睨みつけても、悪魔はどこ吹く風で、むしろ血色の悪い唇を吊り上げて少女を見下ろした。

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