第2話
ある日、少女は意図せずして一人の同い年の女の子を殺してしまった。その子と少女は、お互いが唯一の友達だった。
しかし些細なことで喧嘩をして•••友達はいつの間にか少女の目の前で死んでいた。
だから少女は、悪魔にお願いをした。彼女の命を救ってほしい、と。悪魔はそれを快く承諾した。少女の友人は息を吹き返した。だが悪魔曰く「代償が足りていない」だとかで、彼女は今も病室で眠り続けている。
そして少女は今、目を覚まさない友人を助けるために、代償を悪魔に捧げ続けている。
少女が友人のために契約したこの悪魔は、とてつもなく趣味の悪いサディストだった。
『悪魔との契約には代償がつきもの。もちろん承知の上ですわよね、お嬢ちゃん?』
そう嘲笑った悪魔が、少女を無差別に人を襲う殺人鬼にしてしまってから一年が経つ。
決して長いとはいえない付き合いの中で、少女は悪魔がどういう性格かを嫌というほど思い知らされた。
血生臭いのが好きで、狡猾で気まぐれ。おまけに少女が大嫌いな嘘つきときた。ここまで救いようのないほど悪魔らしい性分なら、「殺人衝動」なんていうシリアルキラー顔負けの精神病を代償として課するのなんて、全く造作もないことだろう。
少女はよく思っていた。
このあくまはきっと、自分がやりたくもない人殺しをするのを見物して楽しんでいるのだろうと。
…だからなのか、この日の悪魔はひどく機嫌が悪かった。
『なんだよその顔。いかにも「お前気持ち悪いな」って顔しやがって』
『実際にそう言わないだけ偉いと思ってくださいな』
悪魔だって言葉遣いには気を配るのです、とため息混じりにそう言うのを横目に、少女はザマァねぇなとばかりに笑った。
時刻は夜七時。天気は今にも降り出しそうな曇り空。
少女は悪魔を連れて、耳と目を悪くした老婆が経営する小さな花屋にいた。
『神出鬼没の殺人鬼クロネコが、まさかのお
花好きとか…はぁ、似合わなさすぎて呆れますわ』
『お前、話聞いてなかったのか?
お見舞い用の花買いにきたっつったろ』
『聞いてるわけないじゃないですの、そんな
どうでもいい話。一銭の得にもなりませんわ』
普段の服装だと目立つのでブラウンのトレンチコートを着せられた悪魔は、熱心に花を選ぶ少女を見て、人間そっくりの美しい顔を不愉快そうにゆがめた。だが彼女がどんな表情をしても、周囲を取り囲む花々も相まって、まるでひとつの絵画のような優美さがある。
少女が気に入っている夜闇に溶ける黒のパーカーも、安っぽい蛍光灯の明かりの下ではわざとらしいほどの存在感を醸し出していた。
しかし、すっかり日が暮れた郊外の路上などはもう誰も通らない。
二人の他に客はいないし、唯一の店員である老婆は店の奥に引っ込んでいる。
どんな風貌の二人組がどんな話をしてようと、気にする者などいやしなかった。
それをいいことに、少女はしかめっ面をして、目の前の花とにらめっこを続けていた。
念の為に人目を忍んで買いに来たはいいものの、どの花がお見舞いに相応しいのかわからない。見兼ねた悪魔が「相手の好きな花にすればいいじゃないですの」と口を出すが、あいにく少女はあの子と花の話なんてしたことがなかった。調べるためのスマホもガラケーも持っていない。
リスク覚悟で店員を呼ぼうかとまごついていると、後ろの悪魔が嫌な含み笑いをした。思わず睨もうとすると、色白の細い手が肩越しに伸びて、棚の隅っこで咲いていた薄紫の花の茎をつまむ。
『思い出、友情、謙虚。この色でしたら無邪気なんかもありましたっけ?
ライラックの花なんていかが?』
『は?何言ってんだ?』
『花言葉ですわ。知らないならわたくしが教
えて差し上げましょうか?おかしな意味の贈り花なんて誰も望まないでしょう』
『……おー、頼むわ』
悪魔に恩を売られるようで癪だったが、流石にここは大人しく場所を譲る。悪魔は自身のシャープの顎を指先で叩きながら、透き通ったターコイズブルーの瞳を花の上で彷徨わせ、歌うように次々と口を開いた。
『ダイヤモンドリリーは忍耐、また会う日を 楽しみにする。
スイートピーなら優しい思い出、門出とかかしら。
ガーベラなんかもいいですわよ。色によって違いますけど、大まかには希望、常に前進、とか…あぁ、少し季節外れですわね』
『…よく知ってんな』
『そうでしょう?
もっと褒めてくれてもいいんですのよ』
思わず呟いた言葉に、悪魔がニヤニヤ笑いを貼っ付けた顔をぐいっと寄せてきたので、慌てて押し返す。「調子に乗んな!」と凄みをきかせても、悪魔の目は面白いオモチャを見るそのままだった。
『花言葉のひとつぐらい、クロネコも覚えて
おけばいいのに。あなたも女の子なんだか
ら可愛げがないと』
『余計なお世話だ!
お前はあたしのオカンかよ』
『あらぁクロネコちゃん、なんて乱暴な言葉
遣い。反抗期かしら?』
シュンと風を切る音がして、悪魔の格好がかっぽう着にエプロンの母親スタイルに変化した。
思わず殴りかかるがあっさり躱されたので、少女はイライラしながら悪魔が勧めた花を見繕っていく。
片手におさまる程度の花束が出来上がった頃、不意に髪を触られた少女は肩を跳ねさせた。
いつの間にか元のコート姿に戻っていた悪魔が少女の黒髪を一房とって鼻歌を歌いながら何かを差し込もうとする。
『…殺すぞクソ悪魔。どけ』
いい加減鬱陶しくなってわざと乱暴に振りほどくと、悪魔は意外にも劇的な反応を見せた。眉間にシワを寄せ、いかにも不服そうに口をへの字にひん曲げている。てっきりいつものようにおちゃらけると思っていたばかりに、少女は思わず閉口してしまった。
『で、花言葉の話に戻りますけれど』
しかし、悪魔はすぐに飄々とした笑みを浮かべ、演説でもするかのように両腕を広げてくるりと背中を向けた。そのひょろ長い背中が何故か寂しそうに見えて、少女は戸惑いながらも声をかけようとする。
ドクン、と心臓の音。
額からブワッと汗が染み出した。少女はあまりにも激しい胸の痛みに、声すら出せずにうずくまる。
よく知っている感覚だった。喉から水分という水分が消し飛ばされる、あの、キツイ、辛い、嫌な。
歯を食いしばって耐えるが、動悸はどんどん激しさを増していく。
生暖かい汗がポタリポタリと顎を伝い落ちる。
悪魔は少女に背中を向けて話続けているせいで、少女に起きた異常に気付かない。
手足が痺れていく。大きく震えながら両手が勝手に開き、みずみずしい花束がバラバラになって落ちる。
右腕が、自然とパーカーのマフポケットの方に、伸びていく━ーそこに何が入っているのかは、少女が一番良く知っていた。
あぁ…少女はぐっと瞼を閉じて、下唇を噛む。
本当に、嫌になる。
『……あら?』
返事どころか気配すらないので振り返った悪魔は、素っ頓狂な声をあげた。
踏み散らかされた花弁を残して、少女は、店から姿を消していた。
•••話に夢中になりすぎた、と後悔した。どうせ自分にとってはどうでもいい人間のための花選びだというのに。
とはいえ、急にいなくなった理由も、どこに消えたのかも、なんとなく想像がつく。それくらいわからずして何故悪魔を名乗れよう。
『…世話の焼けるコだこと。もう』
手に持ったままの黄色い水仙をこねくり回して、にんまりと甘く笑む。どうせ逃げられやしないのに、往生際の悪い。そういうドブネズミみたいなところが彼女の魅力でもあるのだけど。
水仙を花瓶に挿し直し、代わりに気に入った花を何本か抜き取って店を出る。商品を駄目にした上に花泥棒である。
本来なら弁償モノだが━ーあいにく、悪魔にそんな常識やモラルはない。
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