第5話

真昼間のアスファルトの地面に赤い血が飛び散る。


少女は再び『殺人鬼』になって、路地の行き止まりまで追い詰めた獲物に包丁を突き立てた。今回はうら若い女性だったようで、ドラマで頻繁に聞く美しいそれとは違う、文字に表せないような壮絶な悲鳴が轟いた。

生気が失せる気配がして、服を着た肉塊がその場に崩れ落ちる。

続いて、乾いた笑い声。これは少女のつり上がった口の端から漏れ出たものだ。


しばらくの間、少女の見開かれた目は爛々と鋭い光を放っていた。

悪魔は高い塀の上に腰掛けて、膝の上に頬杖をつき、つまらなそうにそれを眺めていた。

殺人鬼育成ゲームにはとっくの昔に飽きていた。今さら彼女がこんな恐ろしくて愚かしい顔をしたって、面白くない。

それでも悪魔が彼女のそばに居続けるのは、きっと。


『高みの見物かよ、ほんとクソだな』


我にかえると、正気に戻った少女が悪魔を呆れたように睨みあげていた。

悪魔はさりげなくニタニタ笑顔を作り直し、お得意の毒を吐く。


『こんな面白い催しもの、特等席で見たくなるに決まってましてよ』


すると、少女は口を真一文字に結んで表情を和らげた。てっきり舌打ちでもすると思っていた悪魔は首を傾げる。と思ったら、少女は猛禽類を思わせるような鋭い目つきを向けた。


『ウソだろ』


『……なんですって?』


『だから、今ウソついただろって。あたしがウソ大嫌いなの知っててやったのか?本当のことを言え』


思わず目を丸くして、悪魔は少女をまじまじと見つめた。

次第に、胸の奥からじわじわとバツの悪さと嬉しさを入り混ぜたような感情が湧いてくる。それを隠すために塀から飛び降り、わざと腰を折り曲げて少女を真上から見下ろした。


『いつお友達を見捨てて殺人鬼をやめたいと言い出すか、考えていたら心が踊っただけですわ』


聞かなきゃよかったと言いたげに鋭さを増した少女の瞳には、ちゃんと悪魔らしい嫌な微笑が浮かんでいた。悪魔は微笑を一切崩すことなくホッとする。そう、これが本来あるべきカタチだ。


今回は衣服にあまり血がつかなかったからか、そのまま帰ることにしたらしい。包丁をマフポケットに突っ込みながら少女か歩き出したので、悪魔は文字通り浮いているような足取りでその後を追う。


『安心しろよ、あたしは逃げたりなんかしねぇから』


少女が振り返って、にんまりと不敵に笑った。


『あいつが目を覚ますまで、絶対に負けねぇ。クソッタレみたいな代償にも、お前にもな』


…心のどこかに暗い影がさした。

悪魔には最初から、そして今この瞬間も、少女の大切な眠り姫を目覚めさせてやる気はない。しかしそれでも、この少女は悪魔にはごくたまに睨みをきかせる程度で、真っ直ぐかつ無垢な視線は、常に、眠り姫の方に向けるのだろう。

それでも、悪魔はこれ以上彼女たちの邪魔をすることはできない。

できるわけない。


『…それならせいぜい、わたくしを失望させないでちょうだいね』


乾いた笑いが口の端から溢れる。

全く、お互い報われないったらない。


『それはそうとクロネコ、POLICEが近くにきたみたいですわよ?』


『あぁ?ポリろなんつった?』


『だから、POLICE』


『なんだそれ?なんかの呪文か?』


『……ポリス。警察ですわよ。近くを巡回してるみたいですわ』


『はぁ?早く言えよ、馬鹿かよ!』


『馬鹿はあなたでしてよ、もう』


大慌てで薄暗い路地を走り出した少女の後を追う前に、悪魔は曇り空を仰いだ。雪が降る前に帰りつけるだろうか。地面に雪が積もると足跡が残ってしまうからいけない。せめて、誰にも彼女の後を追わせはしないと決めた。たとえ天の使いにだって。

もしも灰色の雲海の向こうにカミサマとやらがいるとしたら、きっと呆れているに違いない。


悪魔は余裕そうに口の端をつり上げてやった。

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悪魔に捧げるモノ 夜桜 @yozakura_56

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