第30話 策士、策に溺れる前に……

「あちゃ〜、やっちまったね」

「エアルが行けというからではないか」


 平穏な草原に「頭領、頭領」と慌ただしい声と共に人集りができ始めていた。


「アタシはアチちゃんがオンゴツと楽しそうに話してるけどいいのって言ったの。私は行けとも蹴れとも言ってないわ。あなたが嫉妬して逆上したんでしょ」


 家帳の立ち並ぶ草原に「嫉妬」というワードが沸騰していた。さわさわと顔を撫でる涼やかな風と共に、ざわざわと井戸端会議の末端のフレーズが去りゆく。


「しっ、嫉妬とは低俗な。乙女の前で脱ぐ方が悪いではないか」

「まぁ〜確かに。でも、ダイルが言うと説得力のかけらもないわ」

「余計なお世話だ。だいたい私にはちゃんとした策略があるのだ。誰が嫉妬なぞするか!」


 そう、私には策略があるのだ。どんな美女も首をコクリと促す秘術。それは、外堀を埋めることだ。その為に、私は縦横無尽かつ自由奔放に現世と異世を行き来してきたのだ。その策略は失敗に終わっと噂する者もいるが、そんなのデマカセにすぎない。


 泣いてる乙女に手を差し伸べる。これほどの外堀の埋めようがない。「裸体を晒す」という落ち度がなければ、今頃は手を取り合い。ランランランと平穏に草原の民へとアチしゃんを連れて来れる手筈であった。


 土塊の集団が襲った時もそうだった。私が酔い惚けていなければ、前世譲りの弓矢が土塊どもをバッタバタと射殺し「もう大丈夫ですよ」と手を差し伸べていたのだ。


「タイミングが悪かったのだ。まだ私の脳内には数知れずの策略が眠っている」

「はいはい、分かった、わかった。じゃあ、その策略とやらをみせてもらうとしようか……ね」


 エアルは馬耳をぴょこぴょこと動かし、ニタニタと笑いながら私を突き飛ばした。「おっとっと」と弾む様にして、私はアチの前へと出た。


 よろけながら「今に見ておれ」と私は勢い込んだが……


「あ、あの〜」とアチに声をかけられ、私は身体は不甲斐ないまでにカチコチに固まった。脳内はショート寸前。可憐な乙女の眼差しが私に向けられている。私の心の臓がバっクンばくんと拍動し、どこからともなく滲み出た汗が滴っていた。


 目の前ではオンゴツが倒れ泡を吹いて倒れている。ボルテが「あーぁ」と言いながら誰かを捕まえてオンゴツを運び出している。私の口は乾ききっている。


「どうしました。具合でも悪いのですか?」


 という優しげなアチの甘い声を前にして、私は口をぱくぱくと錦鯉のように動かしていた。「こんばんわ」なんて明るく挨拶でも決めておこうかと思いきや、今はまだ日没前。「こんにちは、だよ!」とバシリと突っ込みを入れられてしまうこと間違いなし。私は脳内では「ああでもない」「こうでもない」と小さな私たちが議論を交わし合いパニック状態。それを察知した体は緊急事態と判断したらしくスタコラと逃げ出していた。


 アレもソレも愛や恋だのの教育を怠ってきた学校側の責任なのだ。恋愛リテラシーが欲しい。笑うならば笑いやがれ、でも蔑むことなかれ。


         ○


 私は唖然として佇んでいました。悪夢の中、私に手を伸ばす少年の顔。昔から知っていたかのような不思議な感覚で御座います。海の藻屑へと沈みゆく私に手を伸ばす、馬に乗った少年。古く昔に出会ったような懐かしさ。幼子が、くまのぬいぐるみを優しく抱きしめるかの如く、心をむぎゅーと掴まれる思いで御座いました。


「ごめんね」とエアルさんが両手を合わせて、謝って去りました。近くにいたテムルンは「あまり感じ悪くしないで下さいまし。ゲスの極みで御座います」と付け加えるように言いました。


「テムルン。ゲスは言い過ぎよ」とボルテ

「あの方がダイル……さん?」

「はい、悪いお人ではないのですが……」


 テムルンの深い溜息が木霊し草原は静寂を取り戻すかのようでした。ボルテが両手をパチリと打ち鳴らし「さっ、陽も傾いてくるし、新居に入りましょ」と何事も無かったかのように振る舞いました。


 入り口はフェルト幕。扉は背丈の半分程の高さで、私は小さく屈んで入りました。つまづいて入ると幸運が転がるといわれている……そうです。私の幸運とは、これ如何に。


 私が入り、テムルンが入り、ボルテが入り……あなたは、だあれ?


 漆黒の着物はふわりとしたフリルのあしらい。いびつな西洋の洋風を連想させる。背の小さな少女の左目には眼帯が巻き付けてあります。


「くすくすクスクス。我が名はダークフレイムマスター」

「あら、フフー。久しぶりね。こんばんは」

「あっ、ども。って、こんばんは。じゃない」


 ボルテと少女の掛け合い。


「フフーとは仮の名。改めて、我が名はダークフレイムマスター。今回はソナタ達に願い事があって参った」


「ジャムカのことでしょ。聞いてるわ。またどっかで野宿でもしてるんでしょ」


「ジャムカとは……」と私は間に入ろうとしましたが「それより、ご飯にしましょ。アチがお腹をすかせているわ」とボルテに言われ、私は「はい!」と意気揚々と声を発しました。


 食事が出そろう頃には和気あいあい。一見、奇抜な服に身を纏った少女も同じを釜の飯を平らげれば友達です。楽しい食事会。結局、ジャムカとは誰のことだったのでしょう?食べ終わるころには、満腹感と幸福感が脳内を占領し、今日の事はすっかりと忘れてしまいました。




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馬盟転移探訪録 ふぃふてぃ @about50percent

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