満月の夜【完】


 あれから何日かして、俺は二足歩行で山から下り、村へと向かった。


 伝承の狼男は満月の夜に完璧な狼の姿ではなく、狼と人間を掛け合わせたかのような化け物になるらしいが、俺はきちんと人間の姿になれるのは不幸中の幸いだ。

 いや、寧ろこの体質は今の俺からすれば幸の存在か。野生の狼が人間の雌に会いに行くなんて直ぐに銃殺されるだろうからな。今夜だけは彼女と対等でいられる、こんなに満月が待ち遠しかったのは生まれて初めての事だ。


 彼女が村の外れに一人で暮らしていことは知っていたので、夜眼の利かない不便な身体を持て余しながら目的の場所へと向かった。一人で暮らすにはどう見ても大きいデカい屋根の家は、彼女の家族が亡くなったかここで暮らせなくなった事をなんとなく示唆している。


「親しくなったら一緒に暮らせたりしてな・・・なんて」


 気分が高揚しているのかあり得ない妄想を口にして恥ずかしくなる。だが、人間の姿で仲良くなり、もし彼女が俺の正体を知っても受け入れてくれたとしたら、俺は自分の命の次に大事な群れを捨ててもいいとすら思えた。


 不思議なもんだ、出会った晩にはわけのわからない御しきれない変な感情だったものが、満月を待つ間にこんなにも輪郭がはっきりしている。まるでぼやけた半月みたいだった俺の気持ちはいつのまにかまん丸でわかりやすい恋心になっていたというわけだ。


「はぁ、馬鹿らしい」


 なんど言っても、胸の鼓動は収まらない。それどころか段々激しくなって今では野ウサギみたいな速度だ。自分の心音がうるさいと感じるなんて、初めての経験だ。




 扉の前にたどり着き、大きく深呼吸をしてみる。まだ肌寒い夜の空気がほんの少しだけ俺の熱を冷ましてくれた。


 ---コンコン


 人間らしく扉をノックする。この先の展開なんて想像がつかないが、扉を開けてあの慌てふためく愛らしい顔が現れたらとりあえず、挨拶をするべきか。いや、それとも自己紹介か。


「・・・・・・」


 おかしいな、返事がない。もう寝ているのかと思いたいが明かりはついている。さらに何度かノックを繰り返してみたがいつまでも反応はなかった。


「もしかして、彼女に何か?」


 人間の姿でも働くのかはわからないが野生の勘が俺の身体を動かした。勢いに任せて手をかけた玄関の扉は簡単に開いてしまった。


「人間のくせに不用心な」


 村には外出時鍵をかけない人間も多くいるが、若い雌がいる家は大抵戸締りをしている。仕方がないのでそのまま扉を全開にし、玄関から声をかける。


「おい、誰もいないのか」


 返事は無い。が、奥の方でガタンッと何かが動く物音が返って来た。


「留守ではないようだな・・・」

 あまり警戒されたくは無いのだが、返事が無いというのは少し心配だ。俺はそのまま上がり込むことにした。




 先ほど音がした方へ向かうと、開けっ放しの扉。そして無駄に広い居間らしき部屋にたどり着いた。明かりはついているが誰も・・・。


「誰だ?」


 一目見ただけでは見落としてしまいそうな小さな体が、部屋の中央に置かれたちゃぶ台の上にちょこんと座っていた。白くて、ふかふかとした柔らかそうな毛並みを持ったそいつの怯えた様子は、何故だかあの人間を思い出させる。


「兎?」


 そこにいたのは、一匹の真っ白い


 しかし身体はよく見る野ウサギの二倍ほどの大きさで、それでも俺からしたら小さな体をまるまるとした二本の脚が支えている。ぷるぷると小刻みに震える耳、落ち着きのない身姿、狼のように鳴くことの無い小さな口は何かを伝えようと僅かに開いている。


 俺の存在に狼狽するその兎は臆病で優しい真っ黒な瞳をしていた。


「そうか・・・もしかしてお前、あの人間だな」


 目の前にいるのは俺が恋焦がれて止まなかった人間の雌。直感的にそれに気付いたのは俺自身が似たようなモノだからだろう。

 まだ名前も知らない相手だがそれ以上に重要な秘密を知ってしまった。逆狼男が存在するんだ、満月の夜に兎になる兎女がいたっておかしくはない。


 運命のような、嫌がらせのような、そんなわけのわからない状況に俺はせせら笑いながら一歩一歩と真っ白い塊に近付いていくことにした。


「今日が満月で良かったな、俺が狼の姿だったら思わず喰ってしまうところだった」

 そんなつもりは毛頭ないが、狼ジョークだ。


「なぁ、信じられないかもしれないが俺は狼なんだ」

 なるだけにこやかに、敵意が無いと示すために両手を軽く振りながらさらに近づく。


「覚えているか? お前が死ぬほどビビりながらジャガイモを押し付けたあの狼さ」

 そして眼に入ったのは、シンクに無造作に置かれた包丁。俺は無意識にそれを手に取った。


「恩返しってわけじゃないが、あの時のお礼を言いに来た」

 しっかりと尖れた包丁に、人間姿の俺が映る。酷く無表情だ。


「俺は逆狼男・・・と自分で呼んでいる。満月の夜だけこの姿になる変わり者だ」

 そして、一歩、また一歩とソレに近づく。


「まさか俺みたいな変わり者が他に存在したなんて驚いたけどな」


 白くて、ふわふわで、まるまると太った。


「驚いたけど、嬉しかったよ。初めて仲間に出会えた気分だ」


 飲み込みやすそうな丸いからだ、牙を立てたらぷつりと心地よい感触がしそうなやわらかな脚、鮮血がよく栄える毛の色も素晴らしい。


「なんていうか・・・俺は、お前のことを気に入っているんだ。どう伝えたら良いのかわからないが、人間的に表現するなら一目惚れに近い。あぁ、なんだか熱くなってきた」


 美しい。可愛らしい。魅力的だ。俺はコレをとても気に入っている。身体がどんどん熱を帯びて、大きな獲物を狩る瞬間以上の高揚感が俺を包み込む。


「つまり、その。俺と友達になって欲しい。狼と友達なんて怖いだろうけど・・・俺は絶対にお前を喰ったりしないから」


 そうか、この感情が。これが、一目惚れか。これが、恋か。


「なぁ」


 何故こんなにも美味しそうなんだ。

「何故そんな怯えた目をするんだ?」


 との距離がゼロになったところで。


 牙でも爪でもなく、尖った包丁をその真っ白い身体に突き立てた。


 兎は何か言っていた気がする。俺にはわからない。わからないが柔らかすぎるその体は包丁をすんなりと受け入れて、嗜虐心をそそる悲痛の表情と狩猟本能を擽る最後の足掻きをしながら兎は息絶えた。




---


 俺が正気に戻ったのは、人間の身体が生臭い肉の味を拒否した瞬間だった。


「・・・あれ?」


 電源のついていないテレビに反射するのは、人間には何の肉だか判別できない程に綺麗に剝ぎ取られた塊を両手に持つ血まみれの男。

「あれ、俺、どうして?」

 わざわざ包丁を取って、にこやかに愛を伝えながら、彼女に近付いた。

「この肉はまさか」

 そこで初めて、全ての時間が思い出された。


「・・・俺が、殺したのか」


 人間の姿で初めて目にした彼女の身体は、あまりに愛おしく、蠱惑的で、見ているだけで身体が自然と吸い寄せられるような香りで、とてもとても美味しそうだった。


『あなたは誰ですか』『狼男・・・そんな、信じられない』『私の正体がわかるんですね』『お友達ですか』『あの、ところで何故包丁を?』『ま、待ってください、これ以上近付くならそれを置いて』『来ないで』『怖い』『やめて』『殺さないで』『噓つき』


 彼女の言葉が理解できたのは、俺が人語を理解しているからなのか、俺が逆狼男だからなのかはわからない。


「・・・そうか、俺が殺したのか」


 そんな事しない自信があったのに。冷静に、一匹の狼として会話をしていたのに。いつのまにか制御しきれていなかった本能が最悪の結果を引き起こしてしまった。


 俺はやり場のない悔しさで、力加減の難しい手のひらで彼女の肉を握りつぶした。

 



「ほら、やっぱり人間の方が理性が無いじゃないか」

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逆狼男 寄紡チタン@ヤンデレンジャー投稿中 @usotukidaimajin

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