第4話 小さな頼み事でも


『幽霊の相談を請け負い、現世に遺した未練を共に解決に導く』


それが東堂の本懐であり、加瀨がこの度助太刀するある夏の一仕事であった。


「早速着いてきて」


喫茶店もとい東堂の家を出て、加瀨は彼女に言われるがまま小田急線の片瀬江ノ島駅付近の江ノ島と片瀬江ノ島海岸を繋ぐ十字路まで来た。

潮風が頬をくすぐり、磯の香りが鼻孔をくすぐるこんな所で何をするのかと加瀨が訊ねれば、


「私達の初仕事よ」


と十字路の二人がいる反対車線側の歩道を指差した。


「あれは…」

東堂の指差す先を見れば、何やら一人の高齢の女性が穏やかに立っているのが見えた。


「あのおばあさんがそうなのか?」

加瀨は訊ねる。


「ええ恐らく。」

東堂は流れる髪を右手で顔にかからないよう防ぎながら答える。

確かにその女性はそこから動くわけでもなく、腰を屈めたままこちら側の歩道を眺めているように見える。


「行ってみるか」

東堂の仕事を手伝うと決めた段階で、心中の迷い戸惑いを吹っ切ると決めていたからか、思いの外すんなりと歩を進めることが出来た。


「ええ」

横断歩道を歩き出した加瀨の後ろを東堂はついていく。

 進むうちに、加瀨もその女性がそうであると次第に確信を持つようになった。

遠くから見ただけでは分からなかったが、その女性は結構な量の荷物を背負っておりとても重そうな辛い表情をしている。

つまりは、穏やかに立っていたという感想は前言撤回せざるを得ないものだったといえる。


「あの、すいません。」

横断歩道を渡りきった加瀨は少しばかり逡巡した後、意を決して女性に話しかけた。

不意に話しかけられたお婆さんはビクッと肩を震わせて加瀨を見て、それから後ろの東堂を見て、不思議そうな表情で首を傾げた。


「あ、突然すいません!そのあの俺達あなたが見えて、それでその…もし何か心残りがあればその手助けがしたいと思ってて、えーと何かあれば」

「もし何か現世に心残りおありなら、その解消が出来るよう勝手ながら私達がお力添え出来ればと考えておりまして」


二人はそれぞれ自分の言葉で同じような内容を告げる。どちらも緊張で早口になるわ重なるわで結果としてみれば散々な前口上であった。

が、その女性はニッコリ頷き、しばしば考えるように腕を組みながら目を瞑り、やがて思い付いたようにポンっと手を叩いた。


「つまり、よろしいということでしょうか?」

東堂の言葉に女性は頷く。


「ありがとうございます!」

「良かった!ありがとうございます!」


またしても二人の言葉は重なった。



「それで…心残りというのは?」

加瀨が訊ねると、女性は言葉を発さないまま自分と荷物を指差し、それから反対側の歩道を指差した。


「運んで欲しいということですか?」

女性は頷く。


加瀨と東堂は顔を見合わせ、そして何も言わず互いに頷き、今度は女性の方を向いて初々しく二人らコクっと了承の意を込めて頷いた。








「お、重っ…」

大きな荷物は見た目以上に重かった。

荷物持ちの加瀨は夏の夕焼けを左半身で受け止めながら、額に汗を輝かせ、必死に両足を動かす。


「頑張れ、加瀨くん」

その横を、女性を背負った東堂がすいすいと追い越していく。通りすぎる際にお婆さんと東堂が煽るようにグッドポーズをしていたのを加瀨は見逃さなかった。

「くそぉ…」

何も知らない人から見れば、具体的には信号待ちの運転手から見れば、横断歩道の中央で1人の高校生が謎に中背でのっそのっそと歩いているように感じるだろう。

だが、加瀨にとっては文字通り死に物狂いの徒歩である。


しかしそこは腐っても男子高校生、青信号の点滅が赤に変わる間際ではあるが、何とか歩道へ辿り着いた。


「よっいしょっっとぉ。はぁ…」

ドサッと荷物を下ろし、加瀨はその場でだらしなく腰を下ろした。


「お疲れ。」

先についていた東堂が手を差し伸べる。


「ありがとう。」

どうやら暫しの休息は与えられないようだ。

加瀨はその手をつかみ、ゆっくり立ち上がる。


「手汗すごいわね。」


「うっ…すまん」

意外と男子高校生は繊細なのである。



「二人とも、有り難うございました。」

その聞き慣れない声に二人が振り向くと、荷物の脇にいた女性が頭を下げていた。


「あなた達のお陰で、私は漸く皆に会えます。」

落ち着いた優しい声でお婆さんは話す。


「いえ、俺達は別に…」


「ええ。ただ一緒に横断歩道を渡っただけです。」


二人の謙遜にお婆さんはゆっくり頭を左右に振り、


「あなた達がいなければ、私は荷物を運べずに何時までもあの場から離れる事が出来ませんでした。ただ一緒に渡ってくれた、それだけで心の底から感謝の言葉が溢れて止みません。」


「あ…」

東堂が不意に発した驚きの声。それは感謝を告げるお婆さんの姿が、みるみるうちに淡く光り始めたからである。


「やっと私は逝く事が出来ます…本当に有り難う…」


「あの!」

思わず加瀨は大きな声を出していた。お婆さんはまたキョトンと首を傾げる。


加瀨は戸惑いがちに、けれどもお婆さんの目を真っ直ぐに見て、こう訊ねた。


「何故、貴女はこちらに渡りたかったんですか?」


加瀨の問いに答える代わりにお婆さんは歩道沿いの少し向こう側にある、一軒の家を指差した。


「あれが私の家族のお家だから。」

そう最後に優しい笑顔で言い残し、それからお婆さんは淡い光に包まれて、それから消えた。



後で二人が聞いた話によれば、あのお婆さんはあの交差点で事故に遭ったわけでもなく、鎌倉のとある病院で息を引き取ったのだという。


「あと少しだったんだ。あと数日で退院ですねと言われた矢先に体調が急変して…。」

指差した家に住む女性の親族の方は、言葉を震わせてそう二人に伝えた。


「でも有り難う。こんな若い友達がいたなんてうちの婆ちゃんも心なしか嬉しがってると思うよ。」

親族の方はそう言って頭を下げた。


加瀨と東堂は家に上げてもらいその仏壇の前で線香を上げ、その家を後にした。


「何も言わなくて良かったのかしら…」

江ノ電の江ノ島駅に向かう帰り際、ポツリと東堂は呟いた。


「分からない。けど言っても仕方ないことなんじゃないかなと個人的に思う。」


「そう?」


「あくまで個人的にな。少なくとも俺は急に現れた怪しい高校生にそう告げられても絶対信じないと思う。」


「それもそうだけど…」

東堂はそれでも腑に落ちない顔をしている。

それを見て、加瀨は前を向きながら静かに言った。


「それこそ、俺達が今日あの女性と出会ったのは紛れも無い事実なんだ。それ以上でもそれ以下でもない。」


それは先の東堂が喫茶店で加瀨に言った言葉に似たものだった。


『幽霊の相談を請け負い、現世に遺した未練を共に解決に導く』


それすなわちその対象たる幽霊を成仏させるものであり、また現実的に複雑な人間関係も絡み合ってるものである。


つまりは今後こうした活動をするにあたり、憂いが全く加瀨やそして恐らく東堂にも無い訳ではない。

各が自己満足という名の偽善の圧に潰される日が来るかもしれない。


だが少なくとも、この日の今の夕暮れの江ノ島を歩く二人にとって、心に在るのはあの女性の笑顔であり、この瞬間のこの感傷だけは何人たりとも邪魔立て出来ないものなのである。


「ありがとう、加瀨くん。」


「こちらこそありがとう、東堂。」




感謝の言葉は、湘南の夕暮れ色に染めた夏風と共に流されていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

連れ連れなるままに ましろっく @maplelove

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ