皆さまこんにちは、悪役令嬢です。――そして、さようなら。

叶奏

皆さまこんにちは、悪役令嬢です。――そして、さようなら。


「デアモニカっ! 貴様との婚約を今この場で破棄するっ!」



 ――ふと頭によぎったのは、二年前の彼の姿。


 私、デアモニカは、王立学園の卒業パーティーで第一王子殿下に婚約を破棄されました。


 今思い返せば、理由なんてものはすぐにわかります。


 結局のところ、私なんかでは未来の王妃にふさわしくなかった、ということですわ。


 何度教えられても同じところで間違えた。

 教育によってマシになったとはいえ、感情的に動いてしまうことが多々あった。

 甘やかされて育ったこともあってか、欲しいものはなんでも手に入ると思いこんでいた。

 殿下の婚約者だから、誰よりも偉いとふんぞり返っていた。


 これらのことに気づいたのは、私が殿下から婚約破棄をされ、私がもといた公爵家からも追い出され、修道院に入ってから、しばらくしてからのことでしたわ。



 今の私は、流行り病で、もうまもなく息絶えようとしております。


「……ごめんなさい」


 私以外の誰もいない部屋でひとり、謝罪の言葉を口にします。


 現在国は情勢的に非常に揺れている、ということは幾度となく耳にしました。


 殿下――第一王子たる彼の王位継承権は一番上。

 また、殿下は王として立派に民を治めることのできる人物でしたわ。


 だからこそ、殿下の婚約者を未来の王妃として立派に育て上げなければなりません。

 そして、私が殿下の婚約者として居座り続けたせいで、現在の婚約者の教育が非常に大変なことになっているのです。


「……ごめん、なさい」


 私が、もっとはやくに自分の過ちに気づいていたら。

 私が、もっとはやくに王妃としてふさわしくないと気づいていたら。


 大好きだった殿下にも、この国にも、迷惑なんてかけなかったのに。


「――っごほっ、ゴホッ」


 息が浅くなります。


 辛くて、苦しくて。

 けれどもきっと、殿下の婚約者はもっともっと、辛い道を歩いていらっしゃるから。


「…………ごめん、なさい……」


 もし、私が昔に戻れたのならば。


 私は自ら婚約者の地位を去ります。

 公爵家の娘だからと与えられた婚約者の地位を、なんとしてでも回避します。


 それがきっと、殿下とこの国の幸せに繋がるから。


 私は、もう、過ちを犯しません。


 両親と兄に迷惑をかけない程度でならば。

 たとえ悪役として振るまうことになってでも、なんとしてでも婚約者の地位を回避します。


 ……大好きだった殿下とは、結婚できなくてもいいです。


 こんな殿下の苦しむ未来が待ってるくらいなら。

 私の幸せなんて、いりません。



 ――――そうして私は、生き絶えました。

 享年二十歳でした。






 ☆☆☆






「……………………あれ……?」


 左、右、左……あら、窓からの朝日が気持ちいいですわね。


 ……ではなく。


「私、死んだはずじゃ……」


 戸惑いながらも天蓋付きのベッドから出て、全身鏡の前に立ちました。


 燃え盛る紅色の手入れのされた長い髪の毛に、澄んだ空色の瞳。

 キュッとつり上がった目元と、ツンと高めの鼻。

 寝間着なのに無駄にレースの凝ったピンク色のワンピースと、健康だけれど白い肌。


 まさしく、デアモニカ・コメンディーバス公爵令嬢の姿でした。

 第一王子殿下の婚約者の姿でした。


「失礼します……っ、お嬢様!?」


 ふと声のした方向に視線を送ると、メイドの一人が部屋のなかに入ろうとして驚いた顔をしていましたわ。


 ……そうですわね。

 私、朝はなかなか起きなかったものですから。


 こうやって一人で起きているのを見て、驚いているのでしょう。


「…………ねぇ、貴女。私の年齢、覚えているわよね?」


 できる限り高圧的に、昔の私の口調を思い出しながら話しかけます。


「あ、ぇ、はい。今日はお嬢様の十六の誕生日です。

 お嬢様、おめでとうございます」


 ……そうですか。

 今日、私の誕生日でしたか。


 あと、二年しか、ないんですね。



 死ぬ前に、誓ったこと。

 私はきちんと覚えています。


 だから。


「ふんっ、わかってるなら、さっさと部屋から出ていきなさい。

 今日は私の誕生日だから、私、もっと寝るのよっ!」


 枕を投げつける。


 愛想笑わらいながらも誕生日を祝ってくれたメイドは、謝りながら部屋を出ていきました。



 私は、演じなくてはならないのです。

 悪役であることを。


 私が婚約破棄されたのは、卒業パーティーのとき。

 つまり、私が十八になったときのことです。


 あと二年しかありません。


 カモフラージュとしてベッドに潜り込みながら、私は計画を練ります。


 この国が揺らいだのは、私の婚約破棄のあとに選ばれた婚約者の王妃としての教育期間が短かったから。


 でしたらまずは、私がさっさと婚約破棄をされる必要があります。


 そして、未来の王妃に選ばれるであろう方に、なんとしてでも王妃教育をできるだけ早くから受けてもらうべきでしょう。



 ならば。


 これからは私が、家族に迷惑のかからない罪を犯してもいいような態度を取り、半年後くらいに罪を犯す。


 もう一つ、未来の王妃となるであろう方を虐めるフリをしながら、私が受けた王妃教育をもとに、将来の彼女の王妃教育を軽減できるようにする。


 この二つを行う、といったところでいいでしょう。


 罪については、王立学園の図書館へ誰にも見つからないように行き、当てはまりそうなものを見つけます。

 未来の王妃となる方、アミリア・ニェーリャシア侯爵令嬢については、王立学園で彼女のことを探しだして行います。


 彼女は王立学園で殿下に次ぐ次席の成績を修めておりました。

 ……『私』が虐めるのに、格好の相手でしょう。


「これから虐めること、ごめんなさい、アミリア様。

 不出来な娘でごめんなさい、お父様、お母様。

 悪役にしかなれない妹でごめんなさい、お兄様」


 きっと私が王妃になれば、もっと殿下を、この国を傷つけてしまうから。

 そして十六となった私が今さら婚約破棄をしたいと申し出ても、通らないことはさすがにわかるから。


 私は悪役として、殿下とこの国の幸せを願います。



 それから私は、できる限り家族にも使用人にも冷たく当たるようにしました。

 私が過去に戻った十六歳の誕生日パーティーもすっぽかしました。


 王立学園では、赤点ギリギリを取り続けました。

 誰にも見られていないことを見計らって、図書館で家族に迷惑のかからず、かつ私が婚約を破棄されるような罪を探しました。

 アミリア様にも無理やりマナーについての難癖をつけ、虐めました。


 王妃教育だけは真面目に取り組みました。

 アミリア様が殿下の婚約者となったときに少しでも楽になれるように。

 王妃教育の先生方から私が真面目に勉学に取り組んでいる、という情報だけは流れないように、口止めしました。



 そして、過去に戻ってから約半年後。


 私は王立学園で、罪を犯しました。

 クラスメートも殿下もアミリア様も見ているど真ん中で、どうどうと犯しました。



 結果私は、婚約を破棄されました。

 公爵家から、修道院へと追い出されました。


 前回よりも一年半早い婚約破棄でした。



 修道院では、おとなしく過ごしました。

 新たに選ばれた第一王子殿下の婚約者は、やはりアミリア様でした。


 彼女は婚約者に選ばれて間もないにも関わらず、見事に王妃教育をこなしているという話を聞きました。


 ……良かったです。

 私の悪役も、無駄にはならなかったようですわ。



 私は二十歳のときに、流行り病で死にました。

 今回の国は、ほぼ揺らぐことなく存続しているようでした。



 ――さようなら、皆さん。






 ☆☆☆






 ふと、目を覚ました。


 周りを見渡して、あぁ、と思う。


「わたし、また、過去に戻ったのね」


 死んだ直前のよぼよぼな身体ではなく、十六歳の若々しいピチピチの肌。

 どうやらわたしは、また、過去へと戻ってきたようだった。



 一回目の生は、必死に生きるので精一杯だった。

 侯爵令嬢の身で第一王子の婚約者に選ばれたときは、もうそれはそれは大変でしかなかった。


 今まで以上に厳しい王妃教育。

 最低限デアモニカ・コメンディーバス公爵令嬢を越えなくてはならないからと、短い時間で考えられないほどの技術を叩きこまれた。


 ……あぁ、そうだ。

 一回目は、その教育に嫌気が指して、首吊って自殺したんだっけな。


 てか、いくらコメンディーバス公爵令嬢の方が教育期間が長かったからって、あんな厳しいやつに耐えてたんだね。

 いやもう、尊敬でしかないわ。


 わたしが王立学園で次席を取れてたのって、侯爵令嬢でしかも末っ子だからって侮られないように、未来の職業に繋がるように、必死で努力した結果なんだよな。

 決して、もとから頭が良かったわけではない。

 というか、入学試験はギリギリだった。

 だから、王立学園の定期考査前とか、もう寝る間も惜しんで勉強してたんだよ。

 勉強、あんま好きじゃないけどさ。

 こっちに関しては、王立学園を卒業したら終わるってわかってたもん。

 なんとか頑張ってたんだよ。


 けど、王妃教育はそうもいかないもんなぁ。

 王妃になるのに、王妃っぽくない態度とか普通の貴族令嬢としてのマナーなんかじゃ、すぐに叱責が入るし。

 そもそもニェーリャシア侯爵家の末っ子だったこともあって、わたし自身、マナーとかの堅苦しいことは苦手だったし。

 王立学園で次席を取り続けたわたしも、さすがに鬱になった。


 それで、死んで。



 で、謎に十六歳の頃に戻っての二回目の人生。

 二回目の人生で目を覚ましたときは、発狂しそうになったね。


 あぁ、またあんな辛い教育、受けなきゃならんのか、って。

 王立学園の方は前にやったことの復習だったから、ある程度勉強しとけばどうにかなったんだけどさ。


 けど、なんだよ。

 二回目の人生、前よりコメンディーバス公爵令嬢が荒れてたんだ。


 前より成績は悪いし、気づいたら消えてて気づいたら現れてる、なんて話も聞いたし。

 いや、気づいたらいなくなってるとか、怖いだろ。

 今思い返してみれば、そんなの、普通の貴族令嬢にはできないよな。特に彼女は公爵令嬢だったわけだし。

 ……そういえば、取り巻きもいなかったな。

 一回目のときは、いたのに。


 あとなにより、わたし、コメンディーバス公爵令嬢からすっごく虐められるようになったのよ。

 ……それには理由があったのかもしれない、って思ったときには、ホントのことを確かめることなんてできなくなってたけど。


 一回目の人生のときも、いろいろ難癖はつけられてたんだ。

 でも二回目のときはそれ以上に、ひどく言われるようになった。


 特に、マナーについて。

 しかもなぜかマナー関連のことだけは、わたしとコメンディーバス公爵令嬢二人っきりのときばかりに指摘された。

 そしてここが、わたしが第一王子の婚約者と選ばれてから気づいた違和感に繋がってる。



 王妃教育が前回よりもすごく簡単に感じられてしまったの。



 最初はね、二回目だからかな? と思ったの。

 そりゃ一回目のときは、二十二歳のときに嫌気がさして自殺したけどさ。

 四年間で学んだことを繰り返し学んでるから、そこまで辛くは感じないのかな、って。


 でもそれが違うということは、すぐにわかった。


 明らかに一回目のときには習わなかったことも、すらすらとできるようになってたの。

 しかも自然と、まるでそれが当然のように。


 最初は、すごいすごいと思った。

 けどすぐに、怖くなってきた。


 だって一回目のときは、それ以下のことで自殺しちゃうくらいに追い詰められたんだよ?

 なのにただ二回目の人生でもう一回習ってるからって、そんなすぐにできるようになるわけがないの。


 そのことは、わたしが二回目の人生で首席を一度も取ることができなかったことから、イヤってくらいに思い知らされてる。


 だからこそ、二回目の好調のわたしを不審に感じて。

 彼女に焦点があたった。

 一回目のときとは明らかに辿る道が違った、彼女に。


「ねぇ、デアモニカ・コメンディーバス公爵令嬢のこと、なにか覚えてらっしゃらない?」


 ある日わたしは、王妃教育の先生の一人に尋ねたの。

 わたしが不審に感じたときにはもう、彼女は修道院にいて、話を聞きに行くことなんてできなかったから。


 するとその先生、そっとわたしに近づいてきてささやいた。


「……今から話すことは、誰も言わないでください。よろしいですか?」

「え、えぇ。もちろんよ」


 先生は周囲を気にしながらも、続けた。


「その、実は私。デアモニカ嬢が将来の王妃になると思っていたのです」

「そうなの?」

「ええ。

 デアモニカ嬢の仕草や知識は、これまでの王妃の方々と比べても相当上位に位置するものでしたから。

 ですので、デアモニカ嬢が罪を犯し修道院送りになったと聞いたときは、耳を疑いました。

 私も含め王妃教育に携わっていた皆で、デアモニカ嬢のことを庇ったのですが、脅されて言わされているのだろうと相手にしてもらえず。

 むしろ、彼女が優秀であることを言いふらすなと口止めされていたのに」

「口止め……?」

「はい。

 みんなを驚かせたいから、秘密にしておいて欲しいと仰られたので。特に彼女がいなくなる前の半年間は、寝る間も惜しんで努力なさっておられたのに。

 ……こんなことになるなら、もっと周りに吹聴すべきでした。

 デアモニカ嬢、王妃となるために必死に頑張っていらしたのに……っ」


 身を切られるような表情で最後に小さく呟いた先生を見て、わたしは確信した。


 コメンディーバス公爵令嬢は、わたしが婚約者になっても辛くならないように、マナー関連について口を酸っぱくしていたのだと。


 とはいっても、これはわたしの想像に過ぎない。

 ホントにそうなのかは、本人に直接問いただしてみないとハッキリしないけど。


 でも、わたしの想像をもとにした確信だけでも構わない。


 デアモニカ・コメンディーバス公爵令嬢は、わたしのトラウマを排除してくれた。


 一回目のときよりも態度も王立学園での成績も悪かったのは、きっとわざとだ。

 王妃教育の先生たちに、こんなに褒められるくらいの能力を持ってるなら、もっとうまく立ち回れるはず。


 けれども二回目のときは、そのことに気づくのが遅すぎた。

 首を吊るほどのトラウマを消し去ってくれた彼女に、直接ありがとうと言うことすらできなかった。



 デアモニカ・コメンディーバス公爵令嬢。


 あなたがなにを思って二回目のときもわたしを第一王子の婚約者に、そして王妃に仕立てあげたのかは知らないけど。


 せっかくまた、わたしは十六歳に戻ってきたんだ。


 三回目の生。

 わたしはあなたに恩返しをする。


 ついでにあなたが二回目でさらに悪くなったのか、暴いてやるわ。

 他の人たちが一回目と二回目で行動が変わらなかったのに、あなただけ二回目が変わったのって、あなたも人生を繰り返してたからでしょ?


 覚悟してなさい。





「――んで?

 なんでコメンディーバス公爵令嬢サマは、わたしに丁寧かつお優しくマナーなんてものを教えてくださってるんですか?」


 思い立ったらすぐ行動。


 ということで、現在王立学園の個室。

 絶賛目の前の、つり目でキツい印象のコメンディーバス公爵令嬢に問い詰めてる。


 ……いきなりの敵対してるような態度はアカンだろ、って?

 あー、うん。

 こうでもしないと、暴けないかなぁ、と思って。


 …………うそです。わたしの生来の態度です。

 王妃教育を通しても、直らなかった……あ、いや、最後の方はわりかし隠せてたかなぁ……?



 コホンコホン。

 とにかく。

 三回目の十六歳として王立学園に来たわたしは、唐突にコメンディーバス公爵令嬢に呼び出された。


 それで、個室に来て(閉じこめられて?)。

 弾丸のような速さで指摘された。

 特に、マナーについて。


 だからわたしは、言い返した。

 言われたら言い返すは、わたしのポリシーよ。


 ……ホント、なんでわたしなんかが第一王子の婚約者に推薦されたのかな。

 意味わからん。


「はぁ? なに言ってるのかしら。

 そうやって他人にケチつけるのも、貴族としてなってないのよっ」


 当然、コメンディーバス公爵令嬢は冷たい口調と見下したような表情で言い返してくる。



 ……ねぇ、なんでなのかな。



 なんであなたは、今にも泣きそうな顔をして叫んでるのかな。



 苦しいなら苦しいって、言えばいいのに。

 一回目のときになにか感じたから、二回目のときに行動が変わったんでしょ?


 三回目の今も、あなただけが悪者になって、舞台から降りようとしてるんでしょ?


 わたし、あなたに救われたんだよ。

 首吊るぐらい辛かったトラウマ、消せたんだよ。


 あなたのおかげで、二回目の人生。

 わたし、ちゃんと寿命をまっとうできたんだよ。


 大変なこともたくさんあったけど、おおむね幸せっていえる人生。送れたんだよ。


 全部全部、あなたのおかげ。

 そりゃあなたは、わたしのトラウマを消せたこと、知らないのかもしれないけど。

 つかそんなことすら考えてないのかもしれないけど。


 それでも、悪役を演じてわたしを変えてくれたあなたが、わたしの人生の転換点になったんだよ。


 相手の表情の奥の感情をなんとなく察せるくらいまでには、わたし、きちんと王妃になれたんだよ。

 だから。



「――ねぇ」



 あなただけを、悪役にはしない。

 さよならなんて、言わせない。



「デアモニカ・コメンディーバス公爵令嬢、あなた人生をやり直してるんでしょ?」






 ☆☆☆






「デアモニカ・コメンディーバス公爵令嬢、あなた人生をやり直してるんでしょ?」


 そう告げられたとき、私の頭のなかは一瞬真っ白になりました。

 けれどもなんとか口を開き、言い放ちます。


「なに言ってるの? ……まさか、虚言癖でもあって?

 貴族なら、そんな癖、直した方がいいわよ」


 できる限り、高圧的に。

 私の内心の動揺が見透かされないように。



 三回目の十六歳で目を覚ましたとき、私は理解しました。

 第一王子殿下と婚約者のアミリア様とこの国を苦しめた代償は、私の二回目の人生だけでは足りなかったのだ、と。


 当たり前ですよね。

 たかだか、十六歳から二十歳までの四年間。

 しかも、私のような愚か者の人生など、幾ら差し出しても償いきれません。


 故に私は、誓ったのです。

 何度繰り返してでも、殿下を、アミリア様を、この国を、私以外の全てを幸せにすることを。


 そしていつか私の罪が赦されたときに、きっと誰かが私をこの永遠と続くであろうループから解放してくれるのでしょう。



 それなのに。


「ね、そうでしょ?

 あなたも人生、やり直してるんだよね?」


 なぜアミリア様は、このようなことを仰っているのでしょうか。


 アミリア様も、人生を繰り返している?


 そんな、同じことを永遠と繰り返すかもしれない苦行に、巻き込んでしまっているの?


「だから、なに言ってるのかしら」


 なら、もっと、皆を幸せにしなければ。

 そしてアミリア様を、解放しなければ。



 ――ああ、そうですね。いいことを思いつきました。


 私が死ねば、みんなみんな幸せになるのではないでしょうか。

 何度も何度も死んで、何度も何度も皆が幸せになれば、きっと、解放されますね。


「このあと私、予定あるの。失礼するわね」


 舌を噛みきって死にましょう。

 けれどアミリア様も血を見るのは不快でしょうから、誰もいない場所へ行く必要があります。


「ちょっ、待ってよっ」


 アミリア様の制止を無視し、私は個室から出ました。


 どこか、一人になれる場所へ。



 ――――腕を、掴まれました。


「待って、って。言ったよね?」


 アミリア様が真剣な瞳で私を見ております。


「離しなさいっ」

「離さない」

「あなた、私を誰か知ってやってるの?

 私はコメンディーバス公爵令嬢よ」

「知ってる。

 でも、離さないから」


 なんでですか。

 貴女を幸せにするために、私は今から死ぬのに。


 なんでですか。


「離しなさい」


「離さない。

 そんなに辛そうな声で言われても、離せないから」


 ……辛い?

 そんなこと。


「そんなこと、どうだっていいわ」


 流行り病で命を落としたとき、とても苦しかったです。


 私以外の誰もいない部屋で、たった一人、死ぬことは。

 以外のなにものでもありません。


 けれども、だからこそ。

 私の苦しみが、愚かにも犯した罪の償いとなります。


「どうだっていいから、離してちょうだい」


 ……もう。

 私以外の誰かが傷つくのは、嫌なのです。



 しかし。

 力任せにアミリア様から逃れようとしても、逃れることができません。



 ギュッと、暖かいなにかに包まれました。


 遅まきに、抱き締められたのだと。

 気づきました。


「離さないよ、コメンディーバス公爵令嬢。

 そんな辛い声で、泣きそうな顔でどっかいっちゃたら、もう二度と捕まえられなくなっちゃうから」


「離して」


「離さないから。

 言っとくけど、あなたが死んだりしたら、わたしもあと追って死ぬからね?」


 …………、――は?


「恩人をみすみす殺しちゃうなら、死んだ方がマシでしょ?」


「……おん、じん……?」


 まさか、そんな。


「そう、恩人。

 首吊るトラウマから救ってくれた、恩人」


「あなたを救ったことなんてないわ。

 なに勘違いしてるのかしら」


「救った。

 だから今度は、わたしがあなたを救う」


 さらに強く抱き締められる。

 離れようとしても、力を入れることができません。



 ……こんなに暖かい言葉、初めてです。



「辛いんでしょ?

 泣きたいなら、泣いてもいい。

 死ぬことが怖いこと、わたしも知ってる。一回首吊ったこと、あるから。

 だからさ、お願い。


 あなた一人が悪役となって消えるなよ。

 あなたが消えたら、わたし、辛いから。

 二回目の人生で、あなたにお礼すら言えないまま暮らすの、辛かったから」



 …………なん、ででしょう。

 私、苦しまなきゃいけないはずなのに。


 嬉しくて、心が、ぽかぽかとしています。


 駄目なんです。

 私が幸せになっちゃ、駄目なんです。


「はな、して」

「ここであなたを離しても、あなたに恩返しはできないでしょ」

「……やめて……」

「お願い。わたしに恩返しをさして」

「やめてっ」


 前が見えません。

 涙でぐちゃぐちゃに汚れてしまっています。



 なのに。

 引き止めてくれたことが、暖かい言葉で話しかけてくれることが、嬉しい。


「駄目、なんです。

 私は苦しまなきゃ駄目なんです」


「なんで?」


「だって、」


 だって。


「私は、殿下を、この国を、貴女を、苦しめてしまったから。

 私が愚かなせいで、皆さんを苦しめてしまったのです。


 皆さんが苦しむくらいなら、私の幸せなんていりません。

 ……もう、過ちを犯したく、ないんです…………」


 私が言い終わると、アミリア様はそっと私の肩を押して、私と目を合わせました。

 ……なん、ですか?


「それが、あなたが二回目でさらに悪くなった理由?」


 質問に、私は小さく頷いて答えます。

 もう、隠すことなんてできなさそうですね。


「…………はぁ……」


 私が俯いていると、アミリア様が大きなため息を洩らしました。


 今のうちに離れようと、肩に置かれた手を払おうとしたときでした。



「ハハッ」



 突然、アミリア様は笑いだしたのです。


「どう、なさったんですか?」


「まったく、って思っただけ」


 ごめんなさい、仰っている意味がわかりません。


 そう彼女に伝わったのでしょうか。

 アミリア様は優しく微笑みながら、口を開きました。


「コメンディーバス公爵令嬢、あなた、周りが見えてなさすぎ。

 あなたが言ってたことって、一回目のことでしょ? 過ちを犯してしまった、ってのは。

 それでなんで、二回目で同じ道を辿ろうとしたの?

 しかもさらに過激になって」


「それ、は……」


「まさかだけど、わたしの王妃教育を始められるようにするために、わざわざ自分だけに降りかかるような罪を犯した、とかじゃないよね?

 しかもその罪を犯したことが周りから見て自然になるように、わざと態度を悪くしたとか、なんて、ね?」


「…………」


 全てが見透かされているようです。

 私はなにも言うことができませんでした。


「ねぇ、コメンディーバス公爵令嬢。

 あなたが心を入れ換えて王妃になる、という選択肢はなかった?

 一回目で、確かにあなたはいろんな人を苦しめた。

 だからこそ二回目で、死ぬ覚悟で努力をして王妃になる、って選択肢もあったはずよ」


「……駄目なんです。

 私に王妃の器はありません。


 何度教えられても同じところで間違えた。

 教育によってマシになったとはいえ、感情的に動いてしまうことが多々あった。

 甘やかされて育ったこともあってか、欲しいものはなんでも手に入ると思い込んでいた。

 殿下の婚約者だから、誰よりも偉いとふんぞり返っていた。


 そんなことにすら気づけなかった私は、王妃にはふさわしくありません」


「……あのね、コメンディーバス公爵令嬢。


 それだけ自分で言えるってことは、ちゃんと気づいている、ってことなんだよ?」


「……………………え?」


 私が、気づいていた?


「え? じゃなくて、事実だから。

 きちんとそのことに気づけてて、あなたに王妃になる器がないっていうなら、わたしにもないから」


 それに、とアミリア様は微笑みました。


「人間は誰もが過ちを犯すものよ。

 大事なのは、それに気づけるかどうか。

 現にわたしも、一回目のときに過ちを犯してるの。

 王妃という替えのきかない役職に就いていたのにも関わらず、わたしはただ辛いからっていう個人的な理由で自殺した。

 ……正直、二回目の人生でもそうなると思ってた。

 けど、ならなかった。

 これって、あなたのおかげなのよ。コメンディーバス公爵令嬢。

 あなたが悪役のフリをしながらも、わたしに王妃教育のほとんどを先取りさせてくれたから」


「それ、は……」


「事実でしょ?」


 私は頷くことしかできませんでした。


「あなたはわたしの、首吊って自殺するくらいにひどかったトラウマを、消してくれたの。

 だから、あなたはわたしの恩人。オーケー?」


「…………、はい」


「それで、わたしはあなたに恩返しをしたいのさ。


 デアモニカ・コメンディーバス公爵令嬢。

 あなたが心の底から望むものは、なに?」


 私が、心の底から、望むもの。


 そう考えたとき、するりと口から言葉が滑り落ちました。


「もう、一人は嫌。

 一人で、生きたくない。

 一人で、死にたくない……っ」


「うん。もう一人にしないよ」


 頭を優しく撫でられます。

 また涙がこぼれていくのを見られたくなくて、私はアミリア様の身体に顔を押し付けました。



「――それで」


 ふと、男性の声が響きわたりました。


「話はついたみたいだが」


 アミリア様の服を握ったまま、私は声のした方向に視線を送ります。


 そこには、第一王子殿下がいました。

 私の、婚約者が、いました。


「ここは王立学園だからな。無理に畏まれとは言わない。

 だが、放課後の人の行き来が激しい正面道のど真ん中で言い合いをしていた理由は是非とも聞きたいのだが」


 …………周りの目を、忘れておりました。


 どう、しましょう。

 悪役として、理不尽に叫び散らした方が良いのでしょうか。


 そううろたえる私の耳に、そっとアミリア様が囁きました。


「コメンディーバス公爵令嬢、あなた、王妃教育の先生方に認められてたから」


 えっ、と思わず彼女の顔を見上げてしまいます。


「だからさ、たぶん、あなたは王妃になれる。



 あなたは、悪役じゃなくても生きてけるの」



 ……私が、悪役じゃなくても、生きていける?


 こんな私に、悪役じゃなくても生きていける道があるのでしょうか。



 …………だと、したら。


 今ここで、取るべき態度は。



 そっと、アミリア様の身体を押します。

 それだけで、彼女は私から少しだけ離れてくれました。


 息を吸います。


 そのまま、アミリア様に背を向けて。

 私は、頭を下げました。



「皆さま、申し訳ありませんでした。

 私の勝手な都合で道を塞いでしまい」



 一回目の私では考えもつかない態度を。

 二回目の私では取ることを許されなかった態度を。


 そして三回目の私は、醜態ながらも謝罪を。

 悪役の道を棄てた私だからこその、誠意を。



 第一王子殿下は、小さく息を吐きました。


「謝罪は受け入れよう。

 だが、俺が聞きたいのは道を塞いだ理由だ

 なんとなく、というわけではないのだろう?」


「…………」


 道を塞いだ理由、ですか。


 自殺するために個室から逃げ出して、アミリア様に捕まって、いろいろ話し込んでしまって……。


「……成り行き、ですかね?」


「なぜ疑問形で返されるんだ……」


 呆れたようにまた溜め息を吐いた殿下。

 逆に、なぜかすぐ後ろからアミリア様の楽しそうな声が聞こえてきました。


「成り行きで、ちょっと口論になっただけですよ。

 ごめんなさい、殿下。あと、他の人たちも。

 わたしのとの口論に巻き込んじゃって」


 ……親友。


「はぁ……。今度からは場所に気を付けろ」

「わかりました。気を付けますね~」


 親友。

 しんゆう。

 親友。


 親しい友達。


「ほら、コメンディーバス公爵令嬢。さすがにこれ以上ここにいちゃダメそうだから、移動するよ」


 親友。

 私と、アミリア様が、親友。


「おーい、コメンディーバス公爵令嬢。

 聞いてる?」


 ですが、私はアミリア様を苦しめた本人。

 なのに、親友、ですか。


 ……聞き間違いでしょうか。


「あの、アミリア様」

「お! ようやく話に応じてくれた」

「あの、親友、って、どういうことでしょうか?」

「……へ?」

「え?」


 もしかして、聞いてはいけなかったことでしょうか?


「ご、ごめんなさい。聞いてはいけなかったですよね」

「……あー、うん。大丈夫。うん。

 でも、ちょっとだけ、待ってて。頭んなか整理するから」

「は、はい」


 待つのは平気ですが……。


 それにしましても、アミリア様の困った顔、初めて見ました。


 けれども、どこか暖かい顔で。



 少しだけ笑ってしまったのは、内緒の話です。


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皆さまこんにちは、悪役令嬢です。――そして、さようなら。 叶奏 @kanade-kanai

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