夢に溺れる逃避
ヘイ
逃避
『最後に伝えたいことがあるの』
そんな言葉を聞いて、
心臓ガンだったらしい。
もう長くは無い。
彼女の変わっていく姿をずっと見ているのが辛くなって、康平は逃げ出した。
彼女が死んで半年。
未だに引きずって、部屋に引きこもって外に出られないまま彼は、心を閉ざしていた。
あの時に、君は何を言おうとしたのか。
何を最後に告げたかったのか。
「……もし、俺が逃げなかったら」
今はもっと違ったのだろうか。
部屋に引きこもり、カーテンを閉め、じめじめと湿気の多い日陰で苔生すまで生き続けるのだろうか。
「分からないな」
だって、どうせ。
あの日の彼女の言葉を知ったところで、何も変わらない。彼女が死ぬ今を変えられず、彼女が生きる世界を作ることはないだろう。
もし、やり直せるなら。
「俺は……」
どうしたんだろうか。
仮説、予測。
結局の所はどうにもならない。
彼女は死ぬだろう。
自分は救えない。
「どこで間違ってたんだろう……」
目深にパーカーのフードを被り、現実逃避の様に、いつもの様にパソコンの前に座る。暗い部屋、ディスプレイのライトだけが黒髪の眼鏡を掛けた少年を照らす。
『やり直したいですか?』
そんなメールが一つ。
「は?」
唐突で意味不明で、差出人に心当たりもない。
『いつ、どこから。人生をやり直しますか?』
康平に頼る理由はない。
彼がこんな悪戯メールを信じる必要はない。
『まあ、貴方に選択肢はありませんが』
世界が暗転した。
歪む視界、最後に捉えたパソコンのディスプレイも光を放たず、真っ暗な世界で机に向かって頭から落ちた。
ゴトン!
大きな音が響いて、目を開いた。
「おーい、康平。堂々と居眠りか?」
教壇に立つ教師の姿に瞠目。
学校に来た覚えはない。制服に着替えた覚えも。黒板に書かれた日付が更に驚きを覚えさせる。
四月六日。
外は明るい。
隣には────。
「
首の裏程までの長さの茶髪の少女。
死んだはずの彼女が隣の席で微笑んでいる。
「どうしたの?」
夢。
夢だ。これは。
「大丈夫?」
だって、彼女は死んだのだから。
「先生、康平が具合悪いみたいなので保健室に連れて行きまーす」
「そうなのか?」
何も答えられずにいると、教師も何やら察した顔になり、「はあ、行ってこい」と告げて二人を送り出した。
「そ、うだ! 紅葉! 身体、身体大丈夫なのか?」
「……何のことー?」
誤魔化す様に笑ういつも通りの彼女。
「それより、康平こそ大丈夫なの? ほら、保健室にゴーゴー」
紅葉に腕を引かれて、廊下を進む。
感じる温もりと柔らかさに康平は彼女のいる日常を思い出した。思い出してしまって、自然と涙が溢れた。
「え、な、何? 泣いてるの?」
「……ごめん」
「もー、ほら。泣かないでよ」
背中が小さな手でさすられた。
「ごめん……」
あの時に逃げたこと。
それは隣にいる紅葉には分からない事だ。
この夢は醒めない。
そして、現実は変えられない。
紅葉が入院した。
このままでは死んでしまう。
だから、あの日を思い出して。
康平はパソコンの画面を掴んで叫んだ。
「おい! 戻せ! 戻せよ! もう一回! もう、嫌なんだ! 失いたくないんだよ!」
悲痛な叫びに、メッセージが尋ねる。
『それで良いのですか?』
何で、そんな事を聞くんだ。
躊躇う必要なんかない。
「何だって良いんだよっ!」
あの幸せが。
まだ手に入るなら。
何度だって、何度だって。あの夢を繰り返そう。あの紅葉がいる当たり前の日常を。当然の権利の様に。
「頼むから」
一度の奇跡から、二度目に縋る。
甘い世界だ。
「もう一回だ」
まだ、気が付かない。
「もう一回だ……」
何度も繰り返す。
何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
「……もう一回」
救えないことはわかってる。
「もう一回」
だから、繰り返すだけだ。
何も変わらない、この世界を。
『最後に伝えたいことがあるの』
このメールが着た。
終わりだ、今回も。
『ねえ、康平』
次は何をしようか。
『ちゃんと来てね、これが最後だから』
携帯電話を切って、逃亡の準備は完了だ。また、塞ぎ込むだけ。次の夢に、次の世界に溺れていこうとして。
「ちが……行かな、きゃ……」
立ち上がった。
まだ、確かめてない。
一度も紅葉の言葉を聞いていない。逃げ続けて、何も変わらなかった。なら、残されたのはたった一つだけだ。
『そうです』
メッセージは笑う。
正解者を祝福する様に。
だが最早、康平にはどうでもいい。会わなければならない筈だ。
「来てくれたんだ……」
変わり果てた彼女がベッドに横たわり、儚く笑う。
「……ごめん」
逃げ続けて。
許して欲しいなどとは言わない。
「そう、だね」
後悔はある。
こうしてここに来てしまったこと。変わり果てた彼女の姿を見てしまったこと。溺れていた方が幸せだったかもしれない、と。
「絶対、許さない……なんてね。まあ、最後にだけど、私、康平のこと好きだったよ。死んじゃうけどさ、私の分ちゃんと生きてよ、それで幸せになって。後は……長生きして自慢でもしに来て」
「…………」
「ちょっと、泣かないでよ」
「ごめん……それ、ムリ」
溢れ出してきた感情を抑える事はできない。
『これで良かったんだよ』
夢から覚める時間だ。
『本当に、こんな事で良かったんですか?』
黒スーツ、黒ステッキを右手に握る銀髪の男性の確認の言葉に、紅葉はニッコリと笑って答える。
『大丈夫だって』
夢が覚めた、暗い部屋。
康平はカーテンを開けて、陽の光を浴びる。
「……行ってきます」
ほらね。
自慢げな少女に銀髪の男性はやれやれと息を吐いた。
夢に溺れる逃避 ヘイ @Hei767
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