羽毛の無い鳥

@motomliu

一切れのお話。

羽毛の無い鳥が鳴いている。

眼球の無い家畜が屠殺されている。

けれど、鳥に羽毛があったことや豚には眼球があったことは、この世界の誰も知らない。


まばらに草の生えた砂漠に、少女は墓標のようにただ立ち尽くし、淡々と実行される残虐を、無視する努力をした。


ピュギィエ”ェェェェェェ!!!

家畜小屋からジュナが豚を引っ張り出す。

目がない豚は何が起きたのか分からない。


数年前、少女は、平凡な学生だった。

しかし、15歳のときに、祖国の紛争から逃れるために隣国のヤスレオカに母と共に逃げ込んだ。

母は途中で盗賊団の銃弾によって脳味噌に穴を開けられ、死んだ。



ドズン!

ジュナが、手にした棍棒を豚の脳天に叩きつける。

豚が地面に倒れ込む。



その後少女は、母の死体を尻目に、がむしゃらに走った。

遠くへ。もっと遠くへ。

そんなところをジュナに助けられた。

ジュナは、生き物を肉に変える仕事をしているのだという。


ボォォォォォォ!!!

腹の底から絞り出すように、豚は低い唸り声を出す。

必死に生きようとしている。


少女は、震える空気と血の匂いに目眩がした。

こんなこと、許されない、許されない、許されない。

母は、この豚みたいに死んだ。

正直見たくないが、どうしても目が吸い寄せられてしまうのだ。


シュパッッッ

頸動脈から、ダムから水が決壊したように血が勢いよく飛び出す。


まもなく豚は死ぬだろう。

「......はぁ」

少女は、自分のため息を空気に溶け込ませた。

世界は吐き気がするほど残酷だった。



「おかえり」

木造りの戸を開けると、そんなジュナの声がした。

「ただいま」

時計の針は20時59分を指している。

時計の下にはホログラムで作られたカレンダーがあって、デジタル文字で「21年 9月12日」と書かれていた。

古びた木造建築とホログラムは、明らかに不協和音を発している。



ジュナはたしかに私の恩人だ。

砂漠で倒れているところを助けられた。

しかし、あの仕事は気に入らない。

不愉快を押さえつけられない。



「よし、ご飯を食べよう」

そう言ってジュナはシチューを差し出す。

ジュナが作るシチューは絶品だ。

だが、豚肉を口に入れた瞬間、私は昼間の光景を思い出した。

たしかにひどいことではあるが、これがないと私は生きていけないということは理解している。

悔しい。

苦しい。

豚の血が津波となって押し寄せてくる。

木々や建物を飲み込んで砂漠へと変貌させる。


そんなことを考えているとグェェと吐いてしまった。


「食べ物を粗末にするな」

「けど」

私は泣いていた。

「ジュナは、豚を殺すのに抵抗はないの?」

「私が生きるために必要なことだ」

暖炉の炎がジュナの顔を赤く照らしている。

眼光が鋭く燃えた。

「生きるために殺す。当たり前だ。我々もいつかもっと大きなものに殺される。

それは人間か、病気か、もっと根源的なものかもしれない。これは抵抗なんだ。

この世の不条理への抵抗なんだ」

「...で、でも......豚がかわいそうだよ」

「あの豚は、死ぬ瞬間までは幸せだったはずだ」

「?」

「もういい。寝なさい。人間には休息が必要だろう」

私は豚肉を避けてシチューを急いですすり、残った肉はジュナのシチューの中へ放り込んだ。

いつもより少し早めに床に着く。

いつまでも、ジュナに養ってもらうわけにはいかない。

私もいつか、懸命に育てた家畜を殺さなければならない。

そんなことをうじうじと考えていると、ジュナが部屋に入ってきた。

めんどうくさいので寝たふりしていると、ジュナがそっと毛布をかけてくれた。

そしてジュナは

「悩めるのは崇高な証拠だよ」

と小さく言って部屋を出た。




翌日、がなる音で起床した。家の外で男のどなり声がした。


窓から外を覗いてみる。

全身を黒い衣装に包み、左手に持ったナイフはギラギラと輝いていた。

男と目が合った。

いつかに見た盗賊の一人だった。



「へへ、やっと見つけたぜぇ?」

「いい商品だったよ。お前の母ちゃんはよ。内臓は完売だったぜぇへへ」

あいつらは臓器の売人だったのか。

ジュナの姿はない。

毎朝、最も近いオアシスまで水を調達しに行くのだ。



ついに私にも不条理がやってきたようだ。

ダンダンダン!と勢いよく向こう側から扉を壊そうとしている。

「おら!開けろ!おら!へへへ」

急いで扉を抑えた。

しかし、か弱い自分の力では、なんの抑えにもならない。

途端に扉が壊された。

「な、なんでこんなことを...?臓器なら人工で作れるでしょ」

「あんなんは金持ちだけの話さ。今でも臓器は高値で売れる。もちろん人工臓器よりは安いがな」

「や...やめて!」

「そりゃあ無理な相談だ」


男はナイフ振り上げ、抵抗する私を切り裂いた。

視界が無くなり、地面に打ちつけられた。

痛みを感じる前に、私の意識も飛んでいってしまった。



破裂的な銃声と共に、盗賊は倒れた。

ジュナが家に帰ると男がナイフを振り上げているところだった。

その瞬間、銃弾は男の頭蓋に食い込んでいた。

ジュナは少女に冷静に言う。

「大丈夫か。目から血が出ているぞ」

当然少女は応答しない。助かったことも気づいていない。




私が意識を取り戻すと、暗闇が広がっていた。

額には濡れたタオルが置かれている。

「ジュナ!」

そう叫ぶと、すぐ隣から

「起きたか」

と声がした。

しかしジュナはいない。

「どこにいるの?」

「おまえのすぐ横だ。その様子を見ると、お前は目が見えなくなったらしい。ひどい損傷だった」

「......え?」

私は、心臓がドキリとしたのを感じた。

しかし、なぜかホッとしている自分も感じた。


「これでやっと幸せになれるんだね」

涙を流しながら言う言葉ではなかった。

悲しみと安堵がぐちゃぐちゃになって迫ってくる。

「何を言っている?」

「もう、残酷な世界を見なくて済む。私は善人のままでいられるんだ。お母さんを亡くしてからずっと苦しかったの。もう見ていられなかったのよ。全部。やっと私は目のない家畜になって死ぬまで幸せでいられるんだよ」

「...そうか。しかし、お前に言わなければいけないことが二つある。ずっと隠していたことだ」

「なに?」

「実は、私はアンドロイドなんだ。人間のように食事や排泄はするが、嬉しい、悲しい、悩ましい、こんな感情は持っていない。これは下賤なことだ。私がなぜこんな砂漠のど真ん中で豚を殺しているか不思議に思わなかったのか?人間がやらない仕事はアンドロイドの仕事だからだ。本来君の居場所はここじゃない。私には「豚を殺すのは苦しい」なんて思ったことがなかった。君がそんなことを言い出した時は驚いたよ。あぁ、やはり私は所詮アンドロイドだ、ってね」

「......」

「もう一つは、私はもう死ぬってことだ。ドロイドは初めから生きているわけではないから、停止する、といったほうが正しいか。先日、ホログラムから通達が来た。人間はアンドロイドの反乱を防ぐため、私たちに寿命を与えたんだ。私たちの意識は虚像だ。アンドロイドの意識は過去の膨大な統計の集積によって構成されている。常に過去の誰かの意識を借りているんだ。そこには犯罪者の意識は含まれていない。だからありえないのに。恐らくアンドロイドの大手のエルゼヌ社の収益を上げる戦略でもあるんだろうな」

「......いつ...死ぬの?」

「15分後」

「フフ...早すぎるよ」

私たちはしばらく黙って、ひっそりとただ静かにお互いの存在を感じあっていた。

「...なんで私を拾ったの?」

「これは、本当に分からない。ただ、お前を、死にそうなお前を見た時、『かわいそうだ』と思ったんだ。本当に驚いたよ。本物の感情というものなのか...はたまたエンジニアが書いたプログラムなのか。私は前者だと信じたいがね」


その時、電子音が木造建築の中に鳴り響いた。


「最後に、話せてよかった」


ピ...ピピピピピピピ...ピピピピピピピピピピピ...シューーーン...

「ジュナ!!!」

私は、ジュナが死んだ音を聞いた。

決して「停止」なんかではなく、死んだ音だ。

だって、ジュナは生きていたんだから。



ジュナが死んで、私の養育者は消えた。

豚のように、何も知らないことは、ある意味幸せなことなのかもしれない。

けれど私は人間だ。

私は間違っていた。

知らないことは幸せなんかじゃない。

知らないことは死へ予感を感じないことであり、知っていることは死の予感に対処できるということだ。


少女は目を見開いた。

暗闇はもう広がっていなかった。

窓の外に朝焼けが広がっていた。



残酷さを認識すること、申し訳なく思うこと、葛藤すること。

これこそが幾多の生命を虐殺し、破壊してきた人間に与えられた断罪であり、贖罪の機会でもある。


前を向き、扉を開いた。


残酷な世界に、今日も生きている。

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