第8話 偶然なんかじゃありませんでした
エリックの処分をフレデリカが聞いたのは、翌日に出仕を控えたその日だった。
罪状としてはただの暴力未遂。しかしあの場にいた大勢の貴族たちが彼の愚劣な性根を抗議し、フレデリカへの名誉毀損を証言し認められたため、エリックは貴族籍を剥奪されて平民になることが決定したらしい。
重さで言えば、多分重い。
見せしめだろう、とランドールは言った。
「見せしめですか?」
「私は不問にすると言ったが、あれだけの衆人環視の中で格上の人間にあれだけ礼儀のなっていない口をきいたからな。事の顛末を聞いたルザード侯爵が重く受け止めたんだろう」
成人したとはいえまだルザード侯爵家は家督を譲っていなかった。決定権は侯爵にある。
家同士の婚約を当主以外の人間が動かすことは出来ないが、流石に恩を仇で返す真似をしたのだから責任は取る必要があった。ルザード侯爵はフレデリカたちよりもずっと事態を重く感じていたのだろう。
ルザード侯爵家に男はエリック以外いない。フレデリカが知る限り、あとは今年6歳になる妹がいるだけだ。
今後の侯爵家の未来はきっと明るいものではない。
「……エリック様本人はどうでもいいですが、ルザード侯爵家が衰退してしまうのはちょっと心苦しいですね」
「そうか?」
「はい。侯爵家の方々には優しくしてもらいましたから」
「そうか。けれどフレデリカ、残念ながら明日からそんな風に周りを気遣う暇は無いぞ」
「えっ!」
「見習いは忙しいからな。自分のことで精一杯になる。私はもう助けてやれない」
明日から彼は上司で、師匠ではない。組織のトップが入団した見習いと一緒にいることは出来ないのだ。
ランドールはただ忙しさを伝えたかっただけだが、フレデリカにはそれが彼との決別を意味しているように聞こえた。
(それがたまらなく寂しい)
ぎゅっと胸の奥が引き絞られるように痛み、フレデリカは無意識に口を開いていた。
「…………いやです」
「ん?」
「師匠と、ランドール様と一緒にいられなくなるのは、嫌です」
思いっきり口にしてしまってから、フレデリカは自分の言ったことに気づいて両手で口を押さえる。やれるなら今すぐ時間を戻すかランドールに今の記憶を忘れてもらいたかった。
ランドールはしばらく紫水晶の瞳を下に向けて何か思案していたが、やがて立ち上がるとそっとフレデリカの手を取った。
「フレデリカ。初めて会ったときのことを覚えているか?」
「え、は、はい。私が「封魔の匣」を解呪して、そのお礼にいらっしゃいましたね」
「ああ、そうだ。そのときに私は封魔の匣には私自身の「大切なもの」が封じられていたと話したな」
「結局、ランドール様の「大切なもの」って何だったんですか?」
いきなりの話題に困惑しながら、フレデリカは疑問に思っていたことを訊いてみた。
すぐに答えが返ってくると思っていたが、ランドールは気まずそうに目を逸らす。
予想外の反応に驚くフレデリカの耳に、小さな呟きが聞こえた。
「………………だ」
「え?」
「こ、恋心、だ。私の……君への」
「…………え?」
フレデリカは絶句した。
ランドールは目を逸らしたままだ。よく見れば、銀髪に隠れた耳が真っ赤に染まっている。
握られた指先にぎゅ、と力がこもっているのは無意識だろうか。
鍛えられよく回るようになった頭も今はまったく役に立たず、フレデリカはあうあうと唇を半開きのまま震わせた。
「え、な、え? ら、ランドール様が、私に? え、恋?」
「…………ああ、ああ、そうだ。言うつもりはなかったのに、君がそんな可愛いことを言うから我慢しない。笑いたいなら笑えばいい」
ランドール曰く、フレデリカのことは幼少に知っていたのだという。
当時フレデリカは7歳。ランドールは12歳で、見習いとして宮廷魔導士団に入団したばかりだった。
太っていてお茶会や社交界には出ていなかったフレデリカも、自分の領地を見回ることは責務として行っている。ランドールは偶然、視察に出ていた彼女の姿を目にして一目惚れしたのだ。
自分が今いる土地の所有者など名前を調べればすぐに分かる。そこからフレデリカの名前を貴族名鑑で調べることはとても容易かった。
しかしそれだけだ。フレデリカは既に婚約者がいる身で、ランドールは侯爵家の嫡男とはいえまだまだ子供。どうにも出来なかったランドールは、「叶わぬ恋なら恋心ごと封印してしまえ」と封魔の匣を入手し、手を尽くして恋心を封印したのだった。
そして。
「――封魔の匣を知らない奴らが、それを私の宝物だと勘違いしたらしくてな。私を困らせ、なんなら強請の種にしようと匣を盗み出した。どうせ誰にも解けないし、手元に置き続けるとまた君への恋心を生み出してしまいそうだったから放置していたんだが……」
「私が解いてしまったんですね」
ランドールが頷く。
そこでフレデリカは納得した。何故解呪した次の日にランドールがやって来たのか。
「一方通行の想いだと思っていた。だからドレスを贈ってエスコートまでしたら、そこから先はまたこの想いは封印しようと思っていた。でもフレデリカがそんなことを言ってくれるなら、私はまだこの気持ちを諦めなくても良いということか」
「ドレスを贈ったって、じゃあやっぱり……」
「男が女にドレスを贈る意味を、知らないか?」
真っ直ぐに見つめられてフレデリカは真っ赤になった。
脳裏にプリンストン夫人の言葉が再び浮かぶ。
――――「愛の告白」の意味を持つんですよ。
(あれは偶然でも、思い違いでもないんだ!)
衝撃をやり過ごせず固まるフレデリカにランドールは追い打ちをかけるように、柔らかく微笑んで彼女の手を握りなおした。
神々すら魅入られそうなほどの熱を込めて、そっと囁く。
「私の隣にいてくれないか、フレデリカ」
「――――喜んで!」
絶世の美貌に負けぬ麗しい笑顔で、フレデリカは愛おしい彼の胸に飛び込んだ。
のちに。
宮廷魔術師団において、史上初となる女性団長が誕生する。
彼女の書いた「魔力放出と体形変化の関係性について」の論文について実録であるかどうかという一点は未だに議論されているが――この理論は魔術師界に大きな革新をもたらした。
晩年、彼女はこの国の魔術師の数を増やし、発展に貢献したとして国王から勲章と爵位を与えられ、愛する旦那様と銀色のドレスを着て過ごしたという。
婚約者に「デブはありえない」と言われたのでこっちから婚約破棄します 東雲 和泉 @firstmoon82
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