第7話 愚かの極みでした
もういいだろう。
フレデリカは扇の残骸を打ち捨て、渾身の笑みを浮かべた。周囲の貴族たちが顔を赤くする二次被害は割とどうでもいい。
頬を染めたエリックをまっすぐ見つめて、フレデリカは可憐な唇を開いた。
「見世物なら既に見せていただきました」
「は? ……ん? 貴女、どこかで」
フレデリカはドレスの裾をつまみ、綺麗に一礼して見せた。
「お久し振りでございます、エリック様。貴方の婚約者、フレデリカ・ヒュポーンでございます」
――――瞬間、会場の空気が変わった。
当然だろう。エリックは大衆の目の前で婚約者を散々悪く言い、あまつさえ婚約破棄という大事を喜劇のように口にした。それも当の婚約者を前に。
体感で3度は下がったであろう空気の中、この場で自由に動けるのはフレデリカただ一人。
髪の一筋すら計算され尽くした美姫は底冷えのする笑顔のまま、真っ青な顔をしたエリックの顔を覗き込む。
「さて、エリック様。いくつかお伺いしたいことがございます。よろしいですか?」
「…………お、俺の女神が……あの、デブ……? いや、え……?」
呆然とぶつぶつ呟いているエリックの耳にはフレデリカの声は聞こえていなかった。
びきっと切れてはいけない理性の糸が切れた。
「――――エリック・ルザード侯爵令息」
「っ! な、なんだ!?」
声に魔力を込めてぶつければ、流石のエリックも我に返った。恥を隠すように怒鳴る姿は滑稽以外の何物でもない。
「まずは……本日はエスコートが出来ないとお姉様から聞いておりましたので体調不良だと思っておりましたが、どうやら私の勘違いだったようですね。大変失礼いたしました」
エリックに向けられる視線が冷たい。特に令嬢と、伝統を重んじる壮年の貴族たちからの。
遠回しに嫌味を言われ言葉に詰まりかけるエリック。しかしフレデリカは容赦しない。
「それから婚約破棄をしたら面白い……でしたっけ。ふふ、どこが見せ場なのかお教えいただいてもよろしくて?」
「なっ、おっ、お前! お、俺は侯爵家の人間だぞっ、口の利き方がなってない! 無礼者っ!」
唾を飛ばしながらエリックが見当違いのことを叫ぶ。
普通の令嬢なら剣幕に多少は怯むかもしれない。しかしランドールとの修行でもっともっと恐ろしい目に遭ってきたフレデリカにとって、彼の苦し紛れの威嚇など子供の悪戯と同義であった。
はしたないものを見る目をするフレデリカに、むしろエリックのほうが「ぐっ」と唸って言葉を失う。
「貴族の娘にとって婚約は大切な責務の一つ。家と家を繋ぎ、また存続させるために私たちは嫁ぐのです。それをただ「相手の反応が面白い」というだけで破棄しようなど、貴族が何たるかをお分かりになっていないどころか、人としてあまりに醜悪な性根です」
まだ浮気のほうが何倍も外聞が良かっただろう。フレデリカも浮気だったら相手を責めることが出来たし、修羅場にはなるだろうがぶっちゃけ「よくある」ことだからだ。
「婚約破棄。いいでしょう、その申し出お受けいたします。泣いて縋りつかれず、残念でしたわね?」
「ふ、ふざけるなっ! 俺との婚約を破棄してお前が生きていけるわけがないだろ! デブでブスだったお前は今まで茶会にも出てなかった、縁談なんて来るわけがない! 一生独身で過ごすつもりか!?」
「ああ、それに関しましては――」
フレデリカの言葉を遮るように彼女の体が傾いだ。
見上げればランドールの顔がすぐそこにある。フレデリカの腰を抱き寄せたのだ。
突然乱入してきた美貌の宮廷魔術師に、令嬢たちからは控えめに声が上がりエリックはたじろいだ。
「だ、誰だ貴様はっ! 俺はこいつと話をしている、邪魔しないでもらおう!」
「……やれやれ。私もだいぶ顔が割れていると思っていたが、とんだ自惚れだったか」
「いえ、ランドール様。ただ彼がものを知らないだけですわ」
「なんだと!?」
激昂するエリックが睨みつけるがランドールの無表情は一切揺るがない。
「この場での無礼は一応不問にしよう。それで、フレデリカ嬢が貴殿と婚約破棄したら生きていけない、だったか? 心配ない、彼女は宮廷魔術師団への入団が決まっている」
「なっ!? 嘘だ、こいつに魔法が使えるはずがない! そんな話聞いたことがないぞ!」
「手紙で伝えたとフレデリカ嬢から聞いているが」
宮廷魔術師筆頭に鍛えられたフレデリカは、本来4年制の魔法学校に通ってなお合格が困難といわれる入団試験に、わずか2年半の修行で通過した。今日の成人パーティーが終われば、来週からフレデリカは宮廷魔術師見習いとして宮仕えが始まる。
一応礼儀としてエリックにも手紙で伝えたのだが、知らないということは読んでいない。仮にも婚約者からの手紙を放置するなど、いかにフレデリカが蔑ろにされてきたかが分かる。
「そんなの知るか! お前のような奴が宮廷魔術師団に入れるなんて嘘に決まってる! どうせ金に物言わせたか、親に泣きついて脅して無理矢理入団したんだろ! そいつもお前が脅して庇わせてるんだろ!」
「本当にランドール様のことを知らないのですね、驚きました。ランドール様はガルシュナー侯爵家のお方ですよ? たかが伯爵家の私がどうやって脅せるとお思いですか」
王国一の忠臣と名高い名門貴族に盾突ける者など侯爵家以下に存在しない。ランドールのことは知らずとも家名に聞き覚えはあったのか、エリックが震えながらランドールを見た。図らずともその様子が、エリックがいかに世間知らずかを証明している。
しかも宮廷魔術師団は有事の際に実力を発揮できるよう、貴賤を問わない実力主義として有名な組織だ。金銭でどうこうなるような場所ではない。
「そ、そんな……っいや、待て! お前今日そい……ガルシュナー殿にエスコートされてきたな!? 俺という婚約者がありながらそれは浮気だろう!」
「――――馬鹿者が」
一瞬ランドールの言葉に奇妙な熱がこもる。
フレデリカがそれに気づき顔を向けるより先に、ランドールは懐から紙を取り出して振って見せた。
そこにはフレデリカのエスコートを正式にランドールに依頼する旨が、父アルベルトの名前で記されている。貴族間で交わされる正式な依頼書だった。
「エスコートに関してはヒュポーン伯爵より正式に許可を得ている。まあこんな書状をすぐ用意できるんだ、おそらく最初からエスコートしないと思われていたのだろう」
「な、んだと……っ! なんで、そんなのがっ!」
エリックが顔を真っ赤にして歯ぎしりした。怒りに燃える瞳がフレデリカに向けられる。
「お前っ! なんて性格が悪いんだ! お前がっ、お前が仕組んだんだろ! 伯爵に俺の悪口を言い、そんな依頼書まで用意して、そんなにそいつが良かったのか! もしかして体でも許したか!? とんだ悪女だな、そんな奴と婚約なんか出来るかっ! 婚約破棄だ、破棄!」
「だからお受けしますと申しております。それに性格が悪いのはどちらでしょうか? 3年も前から婚約破棄を面白そうに語っていた貴方のほうが、ずっと性格が悪いのではないですか?」
「う、うううううるせえええっ!」
エリックが激昂して拳を振りかぶる。令嬢たちの悲鳴が上がり、フレデリカは冷徹な眼差しを彼に向けたまま口を開こうとして――
「何をする」
ランドールの瞳と指先がほのかな光を放つ。
バチッ! と弾けるような音と共にエリックが白目を剥いて気絶し、握り拳はフレデリカのドレスを掠めて床に落ちた。
雷の初級魔法のせいで、エリックは岸に打ち上げられた魚のような不規則なけいれんを繰り返している。
「連れて行け」
ランドールの指示によってエリックが会場から運び出されていくのを、フレデリカはただ無感情に見送る。
仮にも婚約者――破棄を承諾したので元がつくだろうが――が倒されたというのに、何の痛痒も湧いてこなかった。
騒ぎを起こしたこともあって居心地の悪くなったフレデリカは、会場を早々に後にしたのだった。
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