5.氷の杭
吹雪が囁いた。
自分の望むままに、行動すればいいと。
氷の棺は開かれた。
二人を隔てる透明な壁はもうない。砕けた氷の破片が山となり、きらきらと辺りは輝いている。
ミュラッカはその眩しさを好まない。彼女が望むのは、人の身体をも凍らすほどの吹雪だ。けれど今日は、どういうわけか彼女の気分はよかった。雪の上に寝転がり、頬杖をついてその様子を眺めていた。
開くことない瞼に隠れた瞳、声を発さない唇、真っ白な肌、冷たい体に、手が届く。
エミルの指がそっと触れる。そこに命がないことは、明白だった。
「良かったじゃないか。後は、彼らに聞いた方法を試すだけだね」
ミュラッカが声をかけても、エミルは曖昧な返事をするばかりで、目線はエイミアに向いているのに、その視線は遠くを見ている。
「どうしてそんな表情をするんだい。まるで君は、それを使うことを望んでいないみたいだね」
「そんなことはない、俺は……」
言葉を探すエミル。何度か口を開閉すると、観念したというように短く息を吐いた。
「俺はただ、疑問に思ったんだ。正しいことなのか」
「へぇ」
思っていなかった――いや、半分くらいは期待していたかもしれない言葉だ。
つまり彼はこの土壇場で悩んでいるということか。
「どうして、またそんなことを考えたんだ」
「ミュラッカ、君だって言ってたじゃないか。本当に望んだことなのか、と」
「そりゃ、ボクの悪戯心だよ。あまりにも君が真剣なものだから、ひとつからかってやろうと思ったのさ」
「あれはお前の言葉だったか?」
「は、どういう意味だい」
「この雪を掘っているときから、自分の迷いなんじゃないかと薄々感づいていた。エイミアは、蘇生することを望むか? むしろ、むしろ俺は思うんだ。彼女は自ら死ぬことを望んだのではないかと」
そこまで気づいていたのか。
半ば聞き流していたエイミアの言葉が、いよいよ真実味を帯びてきた。
ミュラッカの口元が微笑む。
面白い。わざわざ晴れの日に起きていた甲斐があるというものだ。
「どうしてそう思うの? エイミアは君に何か言ってたの?」
「いや、何も。でも、俺はそう思った」
ミュラッカは感心した。
彼らは、彼らの言う恋とは、思いとは、凄いものだ。
エミルには確証がない。けれど、それを感じ取っている。多少ミュラッカの介入があったとは言え、エイミアの望みが何であるか自分で掴もうとしている。
「――もし彼女が自ら死を望んだのなら、彼女を生き返らせたいという俺の望みは、彼女の望みを奪ってしまうのではないか?」
ああ、素晴らしい。
恋人を思い通りに動かした彼女も、恋人の思うように動いた彼も。
これが、自分がここに訪問した理由なんだね。
「君のおかげで、よくわかったよ」
陽は陰り、灰色の雲が立ち込める。
「おい、どうしたんだエミル」
「早くしろよ。もうすぐ吹雪そうだ」
村の方からざわめく声が聞こえてくる。恋人同士だからと二人きりにしていたが、中々決行される様子がなく、痺れを切らしたのだろう。
全く、せっかちなものだ。
彼も、そして彼に答えを託した彼女も、誰も知らない続きが漸く始まろうとしているところなのに。
ミュラッカは立ち上がり、軽く右手を上げ風を混ぜるような仕草をした。
するとそれに呼応するように、周囲の風が段々とうねりをあげる。風は、地面の雪と氷の破片を舞い上げ、雲から降りてくる雪を巻き込み、やがて大きな壁を作っていく。
「どうなってるんだ!? 何も見えないぞ!」
「何でこんなときに吹雪が!?」
村人たちはこれ以上進めない。吹雪という壁の中で、二人と外を隔てた。
そんなことはミュラッカにとっては朝飯前のことだったが、いよいよ環境が整ったことに少しだけ満足げにほほ笑む。
「さて、もうひとつ」
これで、自分の仕事は仕上げだ。
彼の手にあるのは、科学という魔術師に与えられた、自分の望みを叶える魔法の薬だ。
ならばその反対も、授けられるべきだろう。
ミュラッカは吹雪の中で手をかき回すと、剣を鞘から抜き取るかのように、氷柱を取り出した。
そしてそれを、空いている彼の右手に握らせる。
「ミュラッカ、これは……」
「選ぶんだ。君が」
しばしそれを茫然と見つめていた彼の瞳は、やがて眼前の吹雪を写し、それから横たわる恋人の身体を見つめた。
「……すまない、エイミア」
愛している。その囁き声を拾った吹雪は、歓喜の声をあげるように雪を舞い踊らせ、更に白い世界で彼らを包んだ。
右手には心臓を貫ける氷の杭。
左手には心臓を再び動かす魔法の薬。
彼が振りかぶった腕はどちらだったのか――吹雪だけが、その行方を知っている。
氷葬 青井 @kingyo8
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