4.選択
愛する人の側に永遠にいたい。
愛する人の永遠の願いを叶えてあげたい。
もし、相手に対する自分の思いと相手の思いが同じくらいで、それが交差してしまった時が来たら。彼はどちらを選ぶのか。
村に"訪問者"が来たとき、村人は初め、吉兆の証だと喜んだ。
「俺が案内役をすることになったよ」
「エミルが?」
「ああ、だからエイミアにも手伝ってほしい。君は誰とでも仲良くできる優しさがある。きっと、君ならあの子と気が合うと思うんだ」
そのときは素直に恋人の言葉が嬉しかった。
そして、実際対峙した訪問者は、とても美しい少女の姿をしていた。
村人は、段々と噂話をするようになった。
恋人同士のエミルとエイミア、その中に突然現れた、美しき少女の、三角関係を。
「ありえない」
そう口に出したのは全く同じタイミングで、エイミアとミュラッカは顔を合わせて笑った。
それは心から思ってのことだった。
「……二人して声を揃えることはないだろう」
エミルは一人むっとしていた。
「だって、ありえないでしょ。エミル、君の思いが変わることあるの? 村人のいうとおり、エイミアじゃなくて、ボクと恋人になってみる?」
「それはない、が」
「あら。じゃあ私がミュラッカと?」
「それこそないでしょ、エイミア。とにかくボクは君たちの思いが、ボクの吹雪をもってしても割けないことを知っている。それだからこそボクはよく理解できないし、自分に芽生えることはないと知っているよ」
「ミュラッカ、水を指すようだけど、心は理解するものじゃないのよ」
「そうなの? それなら余計理解できないな」
何があっても、ミュラッカがエミルに恋慕することはないし、エミルの心がエイミア以外に向くことはありえない。
ミュラッカの言う通り、吹雪ですら弊害ではない恋だ。
お互いの想いは、この雪の世界で何よりも、火よりも熱い。
それじゃあ、もしも……
喉まで出かかった疑問は、形にならず、不発のまま、代わりに心に燻る。
それは、真っ白な雪原を、ほんの少しずつ、焦がしていく。
「この辺りの村の、葬儀の事情を知りたいのです」
村に来た彼らに、真っ先にエイミアが出会ってしまったのは、本当に偶然のことだった。或いは、ミュラッカのことも、彼らのことも、必然だったのかとエイミアは後から考えたこともある。
彼らはある国の研究施設に勤める職員だと名乗った。
そこは村から少し離れた小屋で、村周辺にいくつかある貯蔵庫のうちのひとつだった。雪崩や、乾いた空気による火事などで全てが失われることのないよう、貯蔵庫はいくつかに別れているのだ。
その日エイミアは、貯蔵数と保存状態の確認のため小屋に一人で訪れていた。エミルは例によってミュラッカにつきまとわれていた。この小屋は三人入るには少々手狭だったし、確認作業はなるべく一人で集中してこなしてしまいたかったからだ。
最初、男を遭難者と勘違いしたエイミアは、彼を村に通す前にひとまず小屋で落ち着かせようと中に招きお茶を振る舞った。
彼は彼で、それが村の関門での確認と受け取ったのか、エイミアに村に来た理由を話し始めた。
「……確かに、私の村では氷葬を行っています。周辺の地域は近くの都市に合わせて別の方法をとる村が多いと聞いたことがあるので、この辺りでは珍しいことかもしれません」
「それでは協力いただけますか」
エイミアは首を振った。
「いえ。それは無理でしょう」
「それは、どうしてでしょうか。やはり信用頂けない?」
「いえ。専門的なお話は正直理解しきれていませんが、可能であるということは、私も何となくわかりました。けど、どれだけ説得力を持ったお話で納得させても、一番重要なことが欠けています」
「重要なこと、というのは?」
「蘇生させたい、という動機が、この村の村人にはありません」
村人はエイミアの言葉に考え込む。
しばらくしてから口を開く。
「成る程。つかぬことをお伺いしますが、近年、十数年以内に葬送された方というのは」
「貴方の要望に該当しそうなのは、一人しかおりません。有り難いことに年長者たちはまだまだ健在なのです。わたしが生まれてから祖母が亡くなりましたが、彼女は元々別の村の出身だったので、亡くなってから故郷に還りました。なので、この村では葬儀を執り行っておりません。後数年かすれば話は変わるでしょうが」
「ご老人が健康なのは良いことです。それで、葬送された方というのはお婆様以外に?」
「ええ……ミハイロという、当時32の男が、五年ほど前の厳冬の際に亡くなっています」
「ほう。もし差し支えなければ、死因を伺っても?」
「……本当に、近年希に見る厳しい冬でした。早く来て遅く去った長い冬で、村の貯蔵はほとんど無くなりかけていました。それでも村人たちで支えあい、何とか生きていたのですが……」
「餓死されたと?」
「いえ。彼は……彼は、飢えに耐えきれなかったのです。彼には、一歳になったばかりの子供と、妻がいました。彼にはそれが何に見えていたのか……考えたくもありません。妻子は無惨な姿になりました。そして、口と身体中に血を付けた彼を、村人は処しました」
「……成る程、それで理解しました。唯一の遺体は、死を望まれた存在だと」
「はい」
実際、エイミアたち子供世代はその現場を知らない。ある時厳しい冬が来て、ある日いつの間にかひとつの家族が亡くなっていた。
真相を知ったのは三年は経った後だったから、有り難いことにトラウマにならずに済んだ。
けど、エイミアはふと思った。生きたいと思った彼は、どんな思いで罪を犯したのだろう。もしも、彼の思いが知れたら――。
自分が同じ立場だったら、何とかエミルと生きていたいと思うだろう。自分が生きたいとも、彼に生きてほしいとも。それが拮抗したとき、勝つのはどちらの思いなのか。
そんなもしも、が、目の前の部外者の話では、叶うかもしれないのである。
と考えたところで即座に否定した。ミハイロを蘇生させるなんて、村中誰もが反対するに決まっている。
「当てが外れてがっかりしたでしょう?」
「いえ。滅相もない。元より我々は死者を蘇生させたい、人を生かしたいのが目的なのですから、不幸な死人がいないことはそれ事態喜ばしいことで……」
そう言いながらも、男の顔には明らかに落胆の表情が浮かんでいた。
そのとき、吹雪いた風に窓が激しく揺れる。
「しかし、この村の吹雪は凄いですね。ここに来るまでに他の氷雪地帯も巡ったのですが、これほどではなかった」
「ええ、そうですね、今は」
《
そこで、エイミアは唐突にあの訪問者のことを思い出した。
彼女が村に来た理由を。
この男と会ったのが自分であることを。
吹雪に頭が支配されたように、何も見えなくなって、ある一ヶ所の焦げ跡だけが、はっきりと目についた。
「……もしも」
そして、何気なく呟いた。
「もしも、この後、村人から蘇生を望まれる死者が出来れば」
雪の冷たさとは異なる、鋭い冷たさが走った。
目の前の男も、言葉の意味を理解したようだ。
「当てがあると?」
「――ある条件を飲んでいただければ」
「我々で可能なことならば、何でも」
エイミアは微笑む。これは最良の選択肢のはずだ。
「蘇生の判断を、あなたがたではなく、ある村人に委ねて欲しいのです」
身を焦がす想いは、自分でも気づかぬうちに心までをも焦がした。
だからエイミアは、どうしても知りたくなった。
もしも自ら死を望んだら。
自分と生きる道を望む彼は、どちらを優先させるのだろう、と。
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