嘆きの悪魔

神原ちゆり

第1話

 君はこんな都市伝説を知っているかい?

 十人くらいの人が同じ悪夢を見るんだって。

 その夢でみんな決まってゲームをするんだって。

 そのゲームに勝った人は夢を忘れて目を覚ますけど。

 負けた人は……悪魔に食べられちゃうんだって。

 

 俺の話をしようか。俺は悪魔。人間を主食とする悪魔だ。まあ俺も無差別に喰ってるわけじゃない。ただ喰って寝て、気が向いたら人間に災いをもたらす。そんな悪魔にはなりたくない。だってそんなのつまんねーじゃん。だから俺は人間にゲームの悪夢を見させる。現実の死と直結してる所謂デスゲームってやつだな。そのゲームの勝者はゲームの記憶はただの悪夢になり、敗者は俺が喰う。負けたんだからそいつに価値はねぇ。

 それに人間は愉快な事に死が絡むと醜くなる。そうだろ?

 俺が見てきた中で負けた人間は死に際になると大体二種類の反応を見せる。一つは泣きわめく奴。ただ絶望して現実逃避を始める奴もいる。俺はこっちの方が好きだけどな。絶望ほど面白いものは無い。

 で、もう一つは自分の価値を示す奴。俺はこっちが死ぬほど嫌いだ。なのにこっちが大半ときたもんだ。自分は金持ちだから、政治家だから、家族がいるから……知るかそんなの。だって俺には関係ないし。

 あぁ、こんな話があるぜ? 恋人、親、親友なんていったものを犠牲にするやつ。それだけでも醜くて愉快なのに滑稽なのはここから。朝起きて死んでる姿を見てなんで死んだのって悲しむんだ。当たり前だよな、大切なんだから。俺は、そいつを殺したのは紛れもないお前なんだって言いながら腹がよじれるほど笑い倒す。……外道? 俺、悪魔だぞ。褒め言葉にしかなんねぇし、人間だって似たようなもんだろ? いや人間の方が、かもな。 

 この世の生物で何よりも自堕落で、罪深くて、欲望のままに平気で人を殺せる。それが人間だ。俺なんて可愛いもんだろ。暇つぶしにゲームをさせて、人間の醜いところを息が出来なくなるまで笑い、敗者を喰う。これが俺の娯楽であり俺の全て。

 

 だがある日、そんな俺の全てが音を立てて崩れ去った。

 いつもと同じようにゲームをさせてご馳走タイムにしましょうか、と敗者である女の元へ訪れた。見た感じ十六、七ぐらいの若い女。でもそこで何かが違うと感じたが、気にかけることでもないだろう、と俺はその女に話しかけた。いつもしているように。果たしてこの女はどんな風に絶望するのか、楽しみでにやけちまう。

「はじめまして。お嬢さん」

「貴方は……誰?」

「こんな都市伝説を聞いたことがないかい? 夢の中でゲームに負けたら悪魔に食べられるって話」

「聞いたことある……なるほどその悪魔があなたって事ね」

「そういう事。俺は心臓さえ喰えたらいいんだけど……」

 ここまで言ってまた違和感を覚える。この女は死に直面しているというのに慌てふためき、絶望するどころかなぜ冷静でいられるのだろうか。意味が分からない。支配しているはずなのに支配されている感覚に、俺は無意識に唾を飲み込んだ。そして彼女が口を開いた。

「どうぞ、どこでもあなたの好きなように食べて」

「はぁ?」

 今この女はしっかり食べてと言った。この女、頭がおかしいのだろうか。

「いきなりびっくりしたかな。ごめんなさい。でもね、冗談じゃないの。私ね、重い病気でもうあんまり長く生きられないの。それとも病気の体は食べたくない?」

 俺は声が出なかった。人間は死ぬ事が分かっているとここまで潔くなれるものなのか、と困惑した。それと同時に納得した。もう長くないという、異様な気配のする女。聞いたことがある。そうかこいつが、

「天使に魅入られた人間か」

「え?」

「残念だったな。天使に魅入られた人間を殺した悪魔はもう二度と他の人間を食べれなくなる。その上悪魔の体が丈夫なもんだから寿命が来るまで俺らは飢えに苦しむことになる。運が良ければ数百年、下手すれば数千万年ってな。人間にとったら天使の祝福だが、俺らにとったら天使の呪いだ」

「どうして私が天使に魅入られたってわかるの?」

「お前からは他の人間どもと違う気配がするんだよ。それに天使に魅入られた人間は早く死んじまうんだ」

「どうして? むしろ長生きしそうだけど」

 思わずため息を吐く。仕方ないといえば仕方がないのだが、何も知らない人間に呆れた。哀れんだ俺は親切に答えてやった。

「天使は穢れを特に嫌うんだ。アイツらに魅入られたお前は清らかな魂の持ち主。だから他の魂に影響を受けて穢れないように、お前みたいなヤツは寿命が短いんだ。ま、ご愁傷さま」

「なら、天国に留めておけばいいのに」

「命を生み出したのはあくまで神だ。神に生み出された命は、輪廻を繰り返さなきゃならない。天使も神には逆らえないから代わりに祝福をかける。最も悪魔に食べられたものはそこで輪廻が終わりを迎えるけど」

「なるほどね。で、あなたは私を食べてくれないの?」

 女はそんなことを言い出した。やっぱり頭がおかしいらしい。

「誰が喰うかよ。天使に魅入られた人間なんか気持ち悪くて喰えるわけが無い」

「それにしても私はさっきのゲームで死んでるはずなのにどうして生きてるの?」

「ゲームの中で殺して喰うなんて器用なこと低級の俺には出来ねぇよ。精々ゲームの空間を創れるだけ。空間の時間も操れない雑魚だよ。俺は」

「……ふふっ」

「何がおかしい」

「だってあなた優しいじゃない。わざわざ自分が雑魚だなんて教えてくれて。まるで人間みたい」

「あんな下等生物と一緒にすんな」

 睨みながらそう答える。普通の人間ならここで怯むのに、天使様に魅入られた存在は違うのか。

「ね、少し話に付き合ってくれない? もしここが現実の世界と同じ時間で進んでいるなら夜明けまででいいの。私ずっと病院にいるからなかなか人と話せないの」

 実際同じ時間で進んでいるし、まだ夜明けまで時間があった。だから俺は興味本位で話に付き合うことにした。話したというより、話を聞きながら適当に相槌をうつだけだった。そして突然、女は俺にこう聞いてきた。

「ねぇ、悪魔ってどうやって生まれるの?」

「そんなこと知って何になる」

どうせ死ぬお前に、とは言えなかった。

「だって気になるんだもの。ねぇどうやって生まれるの?」

 この時答えなければ良かったのに答えてしまった。あと少しで夜明けだ、と気が抜けていたのかも知れない。

「主に三つ。一つは人間にある負の感情が具現化されたもの、これが上級悪魔。もう一つは上級悪魔から創り出されたもの、これは悪魔によって変わるが主に中級か低級。それから、」

「それから?」

「……悪魔に魂を売り、代わりに悪魔の魂を貰う契約をしたもの。これはみんな低級」

「あなたはどれ? 低級って言ってたから二つ目か三つ目よね」

「俺は……三つ目」

 確かに俺も元は人間だった。別に今更恥じるつもりも無いが。

「どうして悪魔に魂を売ったの?」

「単純な話だ。親に捨てられて、友達だと思ってたヤツには裏切られる。なんてのを繰り返してた、生まれてからずっと。だから俺は絶望して、人を信用出来なくなった。そこに俺と契約した悪魔が目をつけた。以上だ」

「……そう。でもあなたは完全に悪魔にはなってないように見えるけど」

「は?」

「あなたは私の話をちゃんと聞いてくれた」

「適当に相槌うってただけだぞ」

「それでもいいよ。もしあなたが酷い悪魔なら、ご飯にもできない私なんてさっさとここから追い出せせばいいじゃない」

「それは、暇つぶしで」

「それに天使の祝福のことも、悪魔のことも教えてくれた」

「別にお前を哀れんだだけだ」

「ねぇ、もう少しだけ人を信じてみない? 大丈夫、私はあなたを裏切らないから。」

 やめてくれ、俺はもう人を信じたくなんかないんだ。彼女が近づいてくる。それに合わせて俺は後ずさる。

「あなたには、私が死ぬまでそばにいて欲しいの」

 もうやめてくれ、近づかないでくれ。背中が壁について逃げ場が無くなり、一気に彼女との距離が狭まる。

「あなたは周りの環境に報われなかった、弱い人。でもまだ人間を捨てきれない優しい人だよ」

 彼女が俺の腕を掴む。もう、もうこれ以上俺を傷つけないでくれ。俺の中でヒビの入る音が聞こえた気がした。相手は人間なのに、いくらでも振り解けるのに、力が上手く入らなくて、とにかく彼女を振りほどこうと叫ぶ。

「もう後戻りは出来ねぇんだよ!」

「できるよ! あなたはただ不幸なことが起き続けて怖くなってるだけ。私は大丈夫だから——」

 もうやめろ、やめてくれ、俺が不幸だなんて決めつけるな。お前に俺の何がわかるんだよ。だかラ、モウヤメテクレ……………。

 

 目の前が真っ白になった。そういや契約した悪魔が言ってたっけ。

「魂を売って悪魔になった奴は暴走しやすい。人間との接触は十分に気をつけろ」

 これが暴走か。彼女の言う通り弱くて、臆病で、人間を捨てきれなかった愚かな俺の——。

 

 気がつくと目の前には着ていた服を真っ赤に染めた彼女。

「ハハッ……俺、喰っちまったんだ」

 もうなんも喰えねぇじゃねぇかよ。俺は彼女の心臓があったであろう場所に耳を押し付けた。心音なんて聞こえる訳がなかったし、まだ固まりきっていない血が顔に張り付いて気持ち悪い。喉から乾いた笑いが零れる。

「ア、ハハ……ハッ……ハハ」

 俺の頬を濡らすのは彼女の血か、それとも俺の目から流れる何かなのか——。

 

 これで俺の話は終わり。つまらなかったら悪かったな。ん? 俺の命はあとどれ位かって? さあな数百年か数千年……もしかしたら数千万年後かもしれないな。さて、その間どうやって暇を潰しながら飢えに耐えていようか。


 あぁ、腹が減ったなぁ。

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