蜂×人+スプレー=?

総督琉

蜂×人+スプレー=?

 ーー夏

 夏といえば海の季節、風鈴の季節、日焼けの季節といろいろあるけれど、やはり夏といえばーーそう、奴らの季節だ。




 夏休み、僕はバイトを始めた。

 それは蜂駆除のバイトだ。

 高校一年生の僕に勤まるかは分からないけれど、採用されたのだからしばらくはやってみることにした。


 そこは蜂の駆除を担当する民間事務所『スピアーズナイフ』

 社長、縞崎しまざきさんは机に足をかけ、僕の履歴書を見ながら言った。


黒黄くろき駆除太郎くじょたろうくん。夏は仕事多いからよろしくね」


「はい。お願いします」


「じゃあ早速君にはお願いしようかな。そこにいる女性と一緒に行くと良い」


 社長が指を刺す場所には、眼鏡をかけ、真面目そうな雰囲気を出している女性がいた。今も黙々と書類作業をこなしている。


「彼女は君の二歳歳上で、そしてここで働いてもう二年だ。ちょうどこれから仕事が入っているから。くれぐれも死ぬなよ」


「は、はい」


 会話が終わった頃、彼女はパソコンを閉じ、立ち上がる。


「はじめまして。私は涙南なみだなすい。これからよろしくお願いします」


「僕はーー」


「ーー黒黄駆除太郎、話はちゃんと聞いていましたから。それでは行きましょう」


「ちょっと待ってください。僕、仕事をどうやってするかとか分からないんですけど……」


「仕事内容はまずは実践で教えます。百聞は一見にしかずですから。それに何より時間の無駄です」


 この人、怖い。

 口調が何というかはっきりとしていて、僕と二歳だけしか変わらないとは到底思えない。


「おい、何ぼけっと突っ立ってやがる。とっとと仕事に行くぞ」


「は、はい」


 涙南先輩に先導され、気付けばヘルメットを被ってバイクの後ろに乗っていた。

 エンジン音が響き渡り、正面にあるシャッターが徐々に開いていく。


「それじゃちゃんと私に掴まっとけよ」


「は、はい」


 僕は先輩の腹に手を回す。

 その直後、バイクは勢い良く走り出した。

 先輩は楽しそうだが、慣れていない僕にとってはジョットコースターに乗るようなもの。手を離せば即落下という極限の状況下に、手は震える。


「おいおい後輩くん、まさかビビってる?」


「そりゃビビりますよ」


「そう怖がんなって」


「怖いですって。それよりまだ着かないんですか」


「早く着きたいんだね。じゃあスピード上げるよ」


「鬼ですか」


 十五分かけ、ようやく依頼人の家の近くの駐車場に着いた。仕事はまだしていないというのに、もう体はろぼろぼろでやる気が出ない。


「おい、早く行くぞ」


 先輩は平然と僕にそう言ってくる。

 だが初めてバイクに乗る僕からすれば、あんなスピードを出されれば死にかけるに決まってる。


(法定速度を守るために30キロしか出してないんだけどな)


 そんなことを知るわけもない僕は、へとへとになりながらも依頼者の家に向かった。

 駐車場から徒歩二分、そこにあった家は古民家といった感じで、昔ながらの雰囲気が感じられるような場所だった。


「後輩くん、私たちの仕事は命を落とす可能性がある、そんな仕事だ。だから気は抜くな。常に背後にスナイパーが立っていると思え」


「分かりました」


 蜂の恐怖は知っている。

 お爺ちゃんは蜂に刺されて死んでいるから。

 アナフィラキシーショック、最悪の場合死に至る。


「私たち民間の蜂駆除会社は少人数で器具も少ない中、命懸けで戦う。聞いたところによると、これまで何人も先輩が死んでいる。この仕事はそういう仕事だ」


 先輩は怖いように見えて、僕のことを心配してくれている。

 この人が先輩で良かった。


「気を引き締めて行くぞ」


「はい」



 依頼者は家の中に入れず、外から家を傍観していた。


「お客様、私たちがこの度蜂の駆除を担当致します、涙南彗と申します」


「蜂が、蜂が家の周りを飛び回って家に入れないんです」


「あれは大雀蜂ですね。蜂の巣がどこにあるか分かりますか?」


「いえ、そこまでは」


「お客様、危ないですので離れていてください。少々時間がかかってしまいますが、お任せください」


 お客の二人は安堵しているようだった。


「後輩くん、君は自分の身を護ることを最優先してくれ」


 僕は全身を覆う程の宇宙服のようなものを渡された。生地は分厚く、だが手の部分はスプレーなどが持てるようにと動きやすくなっている。

 だが先輩は顔以外を薄い布で覆うだけだ。腰に二本のスプレー缶を下げ、かけていた眼鏡も外し、近未来のゴーグルをつけている。


「君は一階の屋根の下や地面を探してくれ。私は二階の屋根下や屋根上を見る」


「屋根上……ですか?」


「まあ念のためだ。蜂の巣は雨が避けられるような場所に作られやすい。可能性は低いが、最近は雨も降っていないし、充分あり得る。それじゃ作業に取り組め」


「先輩は薄手で大丈夫なんですか?」


「もちろん。だって私はーー」


 先輩は高く飛び上がり、一階の屋根へと着地した。


「ーー先輩だからな」


 先輩は身軽な身のこなしで屋根の上を走り回り、二階の屋根下を見ている。その都度蜂に襲われるが、蜂を次々とスプレーで仕留めている。

 僕が何年ここで仕事をしようとも、あんな風にはできないだろう。


「さあて、こんなところに巣があったか」


 見つけるの早!


「かなり大きいな。これなら約三百匹はいるな」


 先輩は隠し持っていた小さな折り畳みナイフで屋根についている巣の根っこ部分を斬り、煙が出る玉と一緒に袋の中に入れた。その煙を嗅いだ蜂は、次々と眠りにつく。

 蜂が次々と先輩を襲う中、それらをかわし、先輩は僕のもとに戻ってきた。


「仕事、終わっちゃいましたね」


「ああ。まあ早めに見つけられたからな。それだけこちらに分配が上がった」


 先輩は蜂の巣が入った袋を、バイクの開閉式の後部座席に入れた。これで一件落着ーー


 何か羽音が聞こえ、僕はその方を振り向いた。その方角からは、ひときわ大きな蜂が猛スピードで先輩の方へと向かってきていた。


「……先輩」


 僕は先輩を突き飛ばし、蜂は僕の腕にダイブした。幸い防護服を着ていたおかげで助かった。

 しかし防護服には穴が空いていた。それも先ほど蜂がぶつかった場所に。


「え……」


 その蜂は先輩が倒してくれたものの、僕は少しずつ意識が遠退いていくのを感じた。

 まるで死ぬ直前のように……



 刺されてから平均15分、心臓や呼吸が止まるといわれている。だが人によっては数分で死に至ることもある。


 まだ刺されたと決まったわけじゃない。

 まだそんな幻想を。視界が真っ暗になっている時点で、僕は今死にかけているということだ。



「彼の容態は?」


「一命を取り留めました。しばらく安静にしてもらえれば大丈夫でしょう」


 話し声が聞こえる。

 僕は目を開ける。


「黒黄くん。私が見えるかい?」


 知らないおっさんが視界にドアップで映っている。


「誰ですか?」


「この病院の医者だ。君は蜂に刺されたが、奇跡的に一命を取り留めた。これも君の恋人の祈りのおかげかな」


「恋人?」


「毎日お見舞いに来ていたんだよ。それに手術中もずっと、君を心配していたよ。彼女のことを大切にしなよ。人生とは、いつ終わるか分からないものだからね」


 そう言って、医者は病室を後にする。

 あの医者が言っていた人は誰だろう?恋人と間違われるくらいだから歳は近いと思うが……だが恋人なんていないし……。


 考えていると、駆け足で女性が入ってくる。


「後輩くん。何だ、生きてたんだね」


 息をきらしながら、先輩は無愛想にそう僕に言ってくる。

 多分あの医者が言っていた人は少なくともこの人ではないだろう。


「先輩、すいません」


「悪いのはあの防護服だよ。君は悪くないよ。そういえば君は一週間で退院できるらしいから、退院したらまた職場に来て。社長が訊きたいことがあるってさ」


「分かりました」


「あと、一応これ」


 先輩はメロンを渡してきた。


「いっぱい食べて早く元気になってよね」


「ありがとうございます」



 それから一週間、退院できるまでに回復した僕は先輩に言われた通り、職場に足を運ぶ。

 そこでは社長が椅子に腰掛け待っていた。


「訊きたいこととは何でしょうか」


「死を間近にしたからこそ、君は誰よりも命の尊さを知ったはずだ。そこで問おう。君はこの職場で働くか?」


 いつだって僕の中には答えは二択。

 やるか、それともやらない。


 命の危機に直面し、僕はそこで思った。まだ生きたいと、やり残したことはまだあると。

 葛藤の末に、僕は答える。


「働きます。僕はここで働きます」


「良いのか?少年」


「はい。だってこの職場には……」


 その続きを、言い欠けてやめた。今の僕にはその言葉を言うにはまだ相応しくないから。


「社長、これからもよろしくお願いします」


「ああ。よろしくな」


「先輩にもこれからお世話になります。よろしくお願いします」


「よろしく。後輩くん」

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