ごくん
oxygendes
第1話 悩み買います
その店は、繁華街の片隅、細い路地をはいったところにあった。正面のウインドウは分厚いカーテンで覆われ、中の様子はうかがえない。樫の一枚板で作られたドアに店の名前は無く、「悩み買います」と書かれた小さなボードが掛けられていた。
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分厚い木の扉を押し開けたら、頭の上でドアベルがチリンと鳴った。
お店の中は内装も家具もこげ茶色のマホガニー、奥にカウンターがあってその後ろは天井まで届く飾り棚になっていた。きらきら光る何かが並べられている。
「いらっしゃいませ」
カウンターの中にいた店員が声をかけて来た。細身のジャケットにアスコットタイ、髪をオールバックにして細縁の眼鏡をしている。口元に貼り付いたような微笑みが気持ち悪い。
「お客様、当店は初めてのご利用でございますね」
微笑みを全く崩さずに聞いてくる。切れ長の目が値踏みをするようにあたしを見つめる。
思わず後ずさりしそうになった。でも、ここでたじたじなんてしてられない。あたしは店員をにらみつけた。
「そうよ……。ねえ、外にあった『悩み買います』って本当なの?」
「はい、買い取りさせていただいております」
店員の口の端がさらにつり上がった。
「何か、お悩みがあるのですか?」
「決まってるじゃない。あるから来たのよ」
「ごもっともでございます。それではお話をおうかがいいたします。こちらへどうぞ」
店員は右手をすっと動かして、壁のそばにある小さな丸テーブルと椅子を示した。あたしは足が沈み込むような絨毯を歩き、手前の椅子に腰かける。顔を上げると、カウンターの中にいたはずの店員が、もう向かい側に座っていた。
「悩みを買うってどういうことなの?」
「私どもはお客様の悩みを身体から抜き出して、買い取りさせていただいております」
「抜き出す?」
「正しくは思い悩む気持ちですね。その気持ちを結晶にして取り出すのです」
「なによ、それ。訳わかんない」
あたしが文句を言っても、店員は眉一つ動かさなかった。
「多くの皆さまが、大きな悩みを抱えているとおっしゃいます。けれども、よくお話を聞いてみると、悩みの原因は大抵たいしたものではありません。思い違いだったり、客観的にはほんの小さな問題だったり。それでもご本人は重大だと考え、思い悩んでいらっしゃる。時には身体に悪い影響が出るほどに。そこで私どもは考えました。思い悩む気持ちを取り除いて差し上げればいいのでないかと。そしてその方法を開発したのです」
店員は右手を顔の前に掲げて、親指と人差し指で一センチほどの隙間を作った。
「薬を使って気持ちを凝結させ、一つの塊にして抜き出します。ちょうどこれくらいの大きさですね。たくさんの棘があり、悩みの種類によってそれぞれ違った色をしています。抜き出して差しあげたお客様は皆さま、楽になったとおっしゃいますよ」
突拍子もない話だけど、細部は妙にリアル。本当に悩みがなくなるのかしら。でも……。
「どうしてその……結晶を買い取ってくれるの? 逆にお金を取ったっていいじゃない」
「はい、それは」
店員は唇を、剃刀の刃よりも薄く開いて笑った。
「売れるのでございますよ、お金持ちのお客様に。有り余るお金があれば、ほとんどの物は買うことができます。愛や若さといったものもです。そうした方々は悩みから解放された暮らしを過ごしておられるのですが、悩みがまったく無いのも退屈なのでしょうね。たまには悩みを味わってみたいとおっしゃる。コントロールされたエンタテイメントとしてですね。そうした方にお売りするんですよ。解除方法も一緒にして」
なんかムカつく話だけど、それで悩まなくてよくなるのなら……。
「それなら、あたしの悩みも買ってもらえるの?」
「よろこんで。どんなお悩みなのですか?」
店員はじろじろとあたしの全身を見つめる。ますますムカついたけど我慢しなきゃ。
「あたしには付き合っている彼がいるの。貴史っていうんだけど、顔はまあまあだし、背も高くて、バンドをやってる。女子の間でも人気が高いのよ。
だからさ、有ること無いことあたしに言ってくる
思い出しただけで、胸の中でねっとりとした塊が蠢きはじめた。
「もちろんそのたびに彼に確かめて、見間違いやバンドの関係者だったことはわかったのよ。だけど、話を聞いたとたんに頭がかあっとなって、いらいらした気持ちがずっと続くのよ。彼と話をしてもなかなか納得できなくて、ついつい言い争いになっちゃう。夜、ベッドに入っても、胸がもやもやしてなかなか寝付けなくて……」
ああ、話をしていても胸が苦しくなる。
「こんなことはやめようって思うんだけど、友達はみんなうわさ話が好きなのよ。また同じようなことが起きそうで……」
「なるほど。その方への愛情がお深いだけに、もしかしたらという思いが、悩みを生んでいるのでございますね。わかりました、その悩む気持ちを買い取らさせていただきます」
店員は指を交差させて手を合わせ、あたしの目をのぞき込むように頷いた。
「じゃあ、お願い。どうすればいいの?」
「道具を持ってまいります。しばらくお待ちください」
店員はカウンターの後ろへ行ってかがみこむ。すぐに小さなボトルとグラスを持って戻って来た。
店員はボトルの液体をグラスに注いであたしに差し出す。透明な液体は普通の水にしか見えなかった。
「一口だけお口にお含みください。まだ飲み込まずに」
言われたとおり、口に含む。ハーブみたいな香りが鼻に抜けた。
「彼氏のうわさをお聞きになった時のことを心に思い浮かべください」
うわさって……、そう、この前、話を持ってきたのは玲奈だった。彼女の友達が、榎木坂を女性と歩く貴史を見た、親しそうに話をしていたのだと。思い出しただけで、胸の熱い塊が大きくなり、顔がほてってくる。
「心に浮かんだようですね。では、飲み込んでください。」
ごくんと飲み込む。のどを通りすぎた液体の感触が胸いっぱいに広がり、熱い塊がすーっと鎮まった。その代り胸の奥がムズムズしてきた。ムズムズはだんだん胸の真ん中あたりに集まり、そこから上の方へ動き始めた。のどの下のあたりでムズムズはイガイガに変わる。
こみ上げる不快感に思わずせき込む。
コホッコホッ、コホッ。
せき込むうちに何か大きなものがのどを通った。
「うぷっ」
口から何かが飛び出して、テーブルの上に転がる。
「はい、出てきましたよ」
店員が白手袋をはめた手で、それを拾い上げた。
あたしに向けて差し出されたのはラピスラズリのような濃い青色をした結晶。大きさはビー玉ぐらい。針のように鋭い棘がびっしりと生えていた。
「綺麗な青色をしている、なかなかの上物ですよ。不安を胸に宿らせた方の結晶はこのような青色になります。ちなみに、怒りを宿らせた方の結晶は赤、妬みを宿らせた方の場合は黄色の結晶ですね。ほかにもいろんな色がございますが、青は結晶を買おうというお客様に一番の人気の色でございます。そうした方々は普段縁のない不安を味わってみたいのでございましょうね。赤色も色が純粋なものは、人気が高(たこ)うございます」
店員は結晶を持ったままあたしに尋ねる。
「そうですね、一万円で買い取りさせていただこうと思いますが、いかがでしょう」
「別にいいけど」
値段がいくらかなんてどうでもよかった。胸の中の不快な塊がなくなり、息が楽になった。さっきまで玲奈の話が腹立たしかったのが不思議。だってあれは人違いだったのだし。
店員は結晶を円筒形のケースに入れてカウンターの向こうへ持って行く。あたしはふと思いついて後ろ姿の店員に問いかけた。
「もし気が変わったらそれを買い戻すことはできるの?」
「ほかの方に売られていなかったら大丈夫ですよ。ただし、これは既に私どもの商品であることをはお忘れなく」
店員は振り返りもせずに答え、飾り棚に結晶を置いた。改めて飾り棚を眺めると、そこにはケースに入った結晶がびっしりと並べられていた。青や赤、黄色と様々な色をしていて、大きさもそれぞれ違っていた。
あたしは店員からお金を受け取り、家へ帰った。その夜はベッドに入ったとたんに眠りに落ち、朝までぐっすり眠ることができた。
それからの数日をあたしは穏やかな気持ちで過ごした。
そして貴史との約束の日、いつもはなかなか決まらないメイクも、落ち着いた気持ちで取りかかったら一回で決まった。いつもより余裕のある時間に待ち合わせの場所に着く。貴史はもう来ていた。
「お待たせ。ごめんね、ずっと待ってたの?」
「いや、俺もちょっと前に来たとこ」
貴史はあたしだけに見せる笑顔で微笑む。あたしは幸せで満たされた。悩みの結晶を取り除いておいてよかったと思う。
「じゃ、行こうか」
「う……ん」
なにか引っかかるものがあって返事が遅れてしまった。何かしら、背筋がざわめくのを感じる。
ざわめきは貴史と一緒に街を歩いている間も続いた。そしてカフェテラスにはいり、貴史があたしの前に座った瞬間、ざわめきの原因がはっきりした。
「ねえ、そのペンダントは?」
「え……」
「ペンダントよ。それ初めて見るわ」
「そ、そうかな」
「ちょっと見せて」
貴史はシャツから半分見えていたペンダントをひっぱり出した。
「これってペアのやつじゃない? アクセのお店で見たことがあるわ」
「そんなことないだろ……。それより、」
貴史はとびっきりの笑顔をあたしに向けた。
「榎木坂においしいイタリアンの店を見つけたんだ。今度一緒に行こうぜ」
「う、うん」
返事をしながらあたしは自分自身に戸惑っていた。いつもならこんな時に黙ったりしない。納得がいくまで話を聞く。だけど今日はその気力が出ない。このまますませてもいい気がする。
そしてあたしは気が付いた。言葉が出ないのは結晶を抜き取ったせい。店員が言っていた、悩みの原因は思い違いや小さな問題だと。そんなことに悩まなくてもいい。言い争いをして、波風を立てなくたって……。
あたしの疑いはきっと勘違いだ。貴史があたしを裏切るなんて、千にひとつ、いや万に一つもない。
万に一つ、でも、もしかしたら……、そう考えた時、目の前の世界がくにゃりと歪んだ。思わず瞬きをし、自分が目にいっぱいの涙をためていることに気付く。
いやよ、万に一つでも貴史を失うなんて絶対にいや。でもどうすれば……。あたしは必死に考え、そして……、
あたしは涙をぬぐって立ち上がる。
「貴史、ごめん。すぐ戻って来るから待っていて」
それだけ言って、カフェテラスを飛び出した。
やって来たのはあの店だ。
チリン
あたしはおそるおそるドアを押し開け、お店の中をのぞきこむ。
「いらっしゃいませ」
例の店員が、微笑みを貼り付けた顔をあたしに向けた。
「これはお客様、どうかなさいましたか?」
全てを見透かされているみたいで気分が悪くなった。でも、言わなくちゃいけない。
「あ、あたしの結晶を返して」
店員は口の端を上げて微笑んだ。
「お客様の結晶? 買い戻されたいということですね。少々お待ちください」
振り返って飾り棚に並んだ容器を調べはじめた。
「まだ売れていなければよろしいのですが……」
お願い、残っていて。あたしは祈った。
「ああ、ございました」
店員は容器を持ってこちらを向いた。
「それでは、三万円いただきます」
「えっ、でも……」
「お話ししたはずですよ。これはもう私どもの商品だと」
細めた目で冷たく見つめられた。もう、言われたまま受け入れるしかなかった。
「わかったわ。その値段でいいから……」
「お買い上げありがとうございます」
ていねいな言葉づかいだけど、貼り付けた笑みは仮面のように動かなかった。
手持ちのお金で足らない分は分割払いでいいと言われ、誓約書を書き、拇印を押した。そうして何とか支払いをすまし、結晶を受け取る。
「それでどうすればいいの? 元に戻すには……」
「簡単ですよ。飲み込んでいただければ元に戻ります」
掌に載せた結晶は鋭い棘に覆われていた。口の中の柔らかい箇所なんか簡単に突き破りそう。でも、これが無ければ……。あたしは覚悟を決めた。結晶を口の中に入れ、舌をチクチク刺すそれを舌で口の奥に押し込む。そして、ごくんと飲み込んだ。
喉のあたりが一瞬チクリとしたけど、結晶はするりと体の中に落ちていった。
何の痛みもない、そう思っていた時、胸の中に何かが生まれた。そしてだんだん大きく熱くなっていく。間違いない、貴史のことで悩んでいた時、胸で蠢いていたあれよ。
それだけじゃない。一緒に彼への怒りが燃え上がってくる。何よ、あんな見え透いた言い訳をして。あたしがそんなものでごまかされると思っているの。絶対に許さない。
ふと気が付くと店員があたしを見つめていた。
「お客様、お気分はいかがですか?」
「大丈夫、元に戻ったわ。それじゃ、あたしは用があるから」
「休んでいかれなくてよろしいですか?」
「しないといけないことがあるのよ」
そう、あたしにはしなければいけないことがある。急いで戻って、貴史を締め上げてやる。二度と浮気なんてできないように。
─数日後─
チリン
ドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
店員が、微笑みを貼り付けた顔で迎える。
入ってきた男は目の下に黒い隈を作っていた。
「ここで悩みを買ってくれるというのは本当かい?」
「はい、どのようなお悩みで?」
「俺の彼女がさ、嫉妬深くってやってられないんだ」
「かしこまりました。それではくわしい話をおうかがいいたします。こちらへどうぞ」
店員は壁のそばの丸テーブルと椅子を差し示す。
「きっと、悩みなどない幸せな生活が取り戻せますよ」
口の端をわずかに上げ、新たなお客に語り掛けた。
終わり
ごくん oxygendes @oxygendes
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