浪う邦人

@Kenzi-Yamamoto

第1話

人類が生きた様々な時代で、絶えずどこかで人々は戦火に追われ、故郷を捨てて、枯れきった野原、干からびそうな砂漠、険しい山地、荒れ狂う海。書ききれない、表現もできない過酷な環境に身を置き、生への執着を捨てることなくさまよい続けた。


彼らが思い浮かべる風景とは何だろうか。今欲するものにあふれた楽園だろうか。それともどこまでも果てしなく続くこの道なりだろうか。復讐を果たす自分だろうか。


おそらく違うだろう。彼らが求めるもの、風景とは、争いのない世界ではないだろうか。


そこにはある男がいた。時代はわからない。ただ野原を歩いている、ただの男である。彼は一人で、あげた足は地面とすれすれを、擦るようにして歩いている。彼もまた戦火で追われた男なのだろう。


背の低い草が彼のすねを撫で、傷口にかかるたびに彼はしかめたその面をさらにしかめ、残りかすかな力が無駄であるかと言わんばかりに、裂けた傷口の名誉のためにもかすれ声で少しうめくのである。


彼の身なりは何だろう。黒い袈裟のような、布切れを少し着ているくらいで、風にあおられるとだいぶと布は揺れ、大部分の肌が見える。布の端には草のかすのようなものが引っ付いて回り、雨にさらされたがために色は褪せ、向こうの景色に透かすと糸がところどころはねているのがわかる。


ここは山と山に挟まれた谷間。その真ん中をこの男はのしりのしりと歩を進め、この野原の先に進もうとしている。その先に何があるのか、私にはわからないが、背をげんなりと曲げた彼の生気を失った目は確かに斜め下45度を見つめたまま、歩き続けるのである。


少し時間がたったであろうか。彼は捕まっている。彼は手を縛られ、ひざまずいている。額には傷があり、顔は少し汚れている。彼の着ている服は最初に見たよりも砂がついている。きれいな黒の召し物がところどころまだらに砂がつき、膝に至っては見えないがおそらくまんべんなく砂がついているのであろう。


彼は生気のない目をしている。よどんだ瞳は限りある、すぐそこで終わっている地平線を見つめている。人々はその顔を見て口を覆ったりしているが、彼が表情を変えることは一切ない。サッと布に包まれて彼の首は持っていかれるのである。そこに残るのは彼の血が不十分にしみ込んだ地面である。雨の消化不良なためにまだまだ大きい硝子のような砂利はじっとりとついた血を払い、何もなかったようにそこに居続けるのである。


彼はなんのために戦うのか。戦ったのか。私にはわからない。彼の命は他とは比べ物にならないほどの尊いものなのだったのだろうか。人々に語り継がれるものようなものだったのだろうか。


もし死後の世界があるのなら彼は何を思っているのであろうか。自分が死んだ意味はあったのか。その後の世界はどうなったのか。私にはわからない。


では、彼が望むことは何だろうか。自分の敵討ちか。自分が祀り上げられることだろうか。私にはわからない。


私たちはこの世のすべての人と会うことはできない。話すこともできない。彼らの人生を知ることもできない。思いや、願いも。


でも、考えてみてほしい。彼らにも私たちと同じように数えきれないほどの思いや気持ち、出来事があったはずだろう。したいこともあったはずだろう。数えきれない時間、経験しきれないその刹那の積み重ねで私たちは唯一無二の人生を生きている。命を生きているのである。


命とは悲しいもので、それぞれの命の価値は原理に帰れば等しいはずである。なのに命の価値はたまに違いがあるように思える。


イエス・キリストも、モーセも、ムハンマドも、ブッダも、すべての神と評されたような人々は常に変わることのない、等しい価値を持った命の上に生きているのである。大義のために死んでいった多くの人々も、今日車に轢かれて亡くなってしまった人も、今自殺しようと考えている人も、幼くして死んだ病人たちも、生まれることのなかった者も。そして等しい命の名誉のために死せるものも死されるものも、すべて同じ価値を持った命を持っているのである。


彼はこの世にもいるであろう存在である。サッと見ただけでは彼のことを知ることはできない。なぜなら彼にもおそらくその年に至るまで膨大な時間を過ごし、仲間を得て、思う人もいたはずで、もしかしたら家族がいたかもしれない。ただ彼の人生は、彼のことを憎しみ、敬いなど思うはずのない人々の手によってササっと済まされるのである。


ただ、私たちは彼らのことを一切知ることなく、見ることも、語るものにも会うことなく、人生を終えるのである。


なぜ私たちは争うのか。私は知る由もない。ただ言いたいのは、今まで失われた命、これから失われる命に価値の差などあるはずがなく、その命は自分、思う人、敬う人、家族、信じる人と間違いなく同じ価値を持った命なのである。ぞんざいに扱っていいい命などないのである。


ある男は歩いている。住処の近くで、人々に囲まれて、笑いあいながら、肩を組みながら、食事を共にする。一世代前の人々の考えが違えば殺しあっていたかもしれない人々も、こうやって仲良くすることができる。


すべてが平和になることはないだろう。そんなことは現実的でないということはわかっている。人間には各々の分野で優劣があり、それぞれに違いがあり、争いも起こるだろう。


ただ、私たちが終わりのない小さな戦い、大きな戦いの戦火に追われる最中に何を望むのか。


こうあればいいのに、ああなればいいのに。それは理想郷かもしれない、もしかすると相手に復讐するというステップを踏んだのちの妄想かもしれない。


ただ間違いなくまとめると擦れば、私たちが命と同じように等しく望むもの、それは唯一、争いのない世界である。


目標を一つにしても、同じ命によって建てられたこの人類の歴史と平衡を崩すのは無意味な同一化を押し付ける謎の思想であり、共存できるはずのものを阻む考えである。


私はそれが憎い。

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