寝坊助の蝉

彼方

寝坊助の蝉


ぼそぼそと乾いた土の感触がなくなり、爪先に涼しい風を感じた。足一本につき幾つかある節の全てに力を入れれば、黒一色の世界にぱあっと白が広がった。

うわ、なんて眩しいんだ。初めての色はとても強すぎて、手の一本だけじゃ防ぎきれないほどだった。これが土伝いに噂に聞いていた太陽というものなのか。

折角だから一目その姿を見てみよう。そう思って上を見上げれば、暗い色の下で煌々と光る何かがあった。時折ちかちかと瞬く光はとても綺麗で、気づけば眩しさも忘れて僕は見入ってしまっていた。

もっと近くで見てみたい。けれど、今の僕にはまだその術は無かった。

見上げた先では、先に生まれた特権とばかりに羽虫達が光を堪能している。広げた羽が光を纏って、キラキラと輝いていた。

なんて綺麗なんだろう、僕もそこへ行きたいのに。そう思うと、胸の奥がぎゅっと締め付けられるのを感じた。

僕には、この感覚に覚えがあった。微睡みの中、土の震えが伝わる度に感じていた感覚。誰かが地上へ旅立っていくのを肌で感じながら、僕は暗い土の底ただ待ち続けるしかなかった。

次こそは、次こそはと。その度に締め付けは強くなっていった。


「どうだ? 羨ましいだろう」


暗い記憶を辿っていると、不意に声が掛けられた。見ると、羽虫の一匹が笑いながらこちらを見ている。羨ましいか、悔しかったら来てみろよと。

そうか、これが羨ましいってことなのか。得心を得ると、何故だか僕も笑いたくなった。全く、地上は本当に新しさで満ちている。その全てが硬い殻の中に染み込んで、僕の体を新鮮なものに作り替えていくようだ。

この感覚にも名前があるのだろうか、それがどうしても気になって仕方ない。頭を悩ませていると、また羽虫の笑い声がした。


「そんなところで顔だけ出してていいのかい? 寝坊助さんよ」


あ、そうだった。早く僕も飛べるようにならなきゃいけないんだった。言われて漸く、僕は自分がすべき事を思い出した。

踠きながら地面へと這い出るとすぐ側にある大きな木の幹に近づき、僅かな隙間に足を引っかけ、えっちらおっちらと上っていく。今はまだ飛べないけれど、少しでも光の側にいきたかった。そうすれば、終わったら直ぐに行けるから。

そうして高く高くよじ登り、丁度良い場所を見つけてそこに体を落ち着けると、自分の柔らかな場所に意識を集中させた。真新しい全てを取り込んで、柔らかく作り替えられた自分の体。もう狭い世界に収まっていられないと、少しずつ殻を破っていく。

パリっと割れた背中が空気に触れる。その痺れる程の冷たさに、まだ殻の中にある体が震えた。

その時、僕は気がついた。自分があまりにも無防備だと。こんなにも衝撃的な世界に、僕は自分の柔らかな体を晒そうとしている。それは本当に大丈夫なのだろうか。

それでも、一度殻が破れてしまえばもう後戻りはできないと本能的に知っていた。このまま外へ出られなければそのまま死んでしまうのだ。

外に出られたとしても、いつかは命を落とすだろう。土の中で出られずに冷たくなった仲間もいる。生きていれば、いつかは死ぬのだ。


どうせ死ぬなら、僕はあの光の元で死にたい。


そう思うと、柔らかな体に力が沸いてくる。

その力で、僕は背中を、頭を、足を、ゆっくりと殻の外へ出していった。

顕になった体は、あの光のように真っ白で、透き通った姿をしていて、自分の事ながらとても綺麗だと思った。

全てが顕になると、また長い時間を掛けて体を外へ慣らしていく。頭上の暗い色が段々と薄まっていくように、白い体に少しずつ色がついてきて、殻に負けない位硬く硬くなっていった。

そして体が完全に慣れた時、遠い彼方から光が昇る。初めて見た光よりも遥かに強い輝きが、薄暗い色を白に染め上げていく。

うわ、眩しい。足で顔を覆うも、それでも光は遮切れない。もしかすると、これが本当の太陽なのかもしれない。ということは、これが夜明けというものだろう。

初めての朝日はとても綺麗で、僕はまた暫く見入っていた。漸く出会えた太陽に夢中になって、あの光のところへ行きたくてたまらなかった。

でも、そこに羨ましさはもう感じない。今なら僕にも飛べる術があるのだから。


背中の羽を大きく広げて、僕は新しい世界へと飛び立った。

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寝坊助の蝉 彼方 @far_away0w0

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