あとがき 2022/6/26
今日は真夏並みの暑さ。35度くらい気温がある。
久しぶりに「極北」と題してスタートした一連の文章を読んでみた。
あまりにも酷いのは、印象として変わらない。
この当時の精神状態が、まさに直截的に、文章表現の中に顕現している。
そして、その荒れ果てた精神状態は、現在でも変わらない。
人類に対する、社会に対する嫌悪や憎悪の気持ちは、むしろ今の方が強くなっている。
もちろん、私自身も人類であるわけだから、それは速やかに強烈な自己嫌悪や厭世的な感情へと繋がる。
どうしようもない。
いまさらこの作品に「あとがき」を書こうと思ったのはなぜだろうか。
それさえ、具体的な理由はないのだ。
なんとなく、書いてみたくなった。
「誰もまともには読まないのだからどんどん過激にすればいいのだ」
というのが、この作品あたりから加速したように思う。
ウィリアム・バロウズは人間が残酷に殺戮されているシーンを非常に嬉しそうに書く人だった。
また「理解される」ということをほとんど信じていない人でもあった。それはその通りだ。
「理解された」ということを「理解する」ことは、脳みそがコネクティングされているわけでもないのだから、不可能だ。
「理解された」と感じることがあるなら、それは単にその主体の中で作られた「理解された」という感覚の捏造でしかない。実際のところはわかるわけがないのだ。
私も、それを見習いたい。
希望を匂わせる存在や無防備な明るさ、ピュアっぽい人々を、私はこれからも憎み、怒りを表明していくに違いない。
当面、その価値観に変更はないだろう。
今回、改めて「極北」を読んでみて、思ったことである。
(2022/6/26 自宅ゴミ部屋 エアコンのついていない状態 全裸にて執筆)
極北 (長編小説・完結済み) モグラ研二 @murokimegumii
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